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― 阪神・淡路大震災4周年 ―


1.17を覚える
祈りの集い

 

日時 1999年1月17日(日) 15:00〜
場所 三光教会礼拝堂
主催 1.17を覚える祈りの集い実行委員会
協賛 三光教会礼拝委員会 社会委員会

式次第

招きのメッセージ
聖 歌         「増補版第2番」
聖 書         ローマの信徒への手紙8:32−39
聖 歌         「主に感謝」
朗 読T        山形謙二著 『人間らしく死ぬということ』より
朗 読U        野呂和美 『「輝いていた君」震災で逝った息子に捧ぐ
              レクイエム』より
朗 読V        立教女学院高 『共に苦しむ−阪神・淡路大震災
               ボランティアの記録』より
  
  (朗読の合間に黙想の時を持ちます)

諸 祈 祷

聖 歌         「増補版第2番」
聖 書         マタイによる福音書5:1−12
聖 歌         「主に感謝」
証 し         吉川 公慈兄(聖公会長田センター主事)

   (証のあと、しばらく黙想しましょう)

聖 歌         「あわれみたまえ主よ」 代祷の前後に繰り返し歌います
代 祷         自由にお祈りください
主の祈り
献灯の聖歌      「増補版第49番」
      (ろうそくに皆さんの思いを託して順次お捧げください)
祝 祷
聖 歌         「増補版第1番」
後 奏         「南町から」 平松愛理のアルバムから



招きのメッセージ

 1995年1月17日、午前5時46分、誰も予想だにしなかった想像を絶する大地震が阪神淡路地域を襲いました。

 一瞬にして家屋は倒壊し、およそ6000名という多くの人々の命を奪いました。愛する者を失った人々の悲しみ、家族と離散させられた人々の悲しみ、痛みはいかばかりだったでしょう。
 
 礼拝堂の入り口に、震災で亡くなられた方々の名前が掲示してあるのをご覧になったでしょうか?あの時、あの場所にいた人達です。心の中でもいいです。声に出してもいいです。目に留まった名前を呼んでみてください。もちろん、応えは返ってこないでしょう。でも、その人はたしかに生きていたのです。どうかそのことを覚えてください。

 あれから、4年の年月が過ぎました。私たちは、ともするとこの出来事を過去の話としてとらえてはいないでしょうか?
 4年前の震災で失われたものの大きさは量り知れません。
 阪神淡路地域には今なお震災による後遺症があちこちで見られます。住まいを失い、生活が再建できない人々、区画整理事業、仮設住宅での孤独死など、困難な状況にある人々は存在しているのです。震災時と同じように、今なお続いている苦しみや悲しみもまた深く重いのです。どうかそのことを覚えてください。

 人間の意識は時の流れと共に変化し、大切なものから離れてしまうことがあります。この中にも、震災という出来事から徐々に遠ざかっている感覚を抱いている方もいらっしゃるでしょう。

 今日、私たちがここに集まったのは、あの時を振り返り、今をみつめ、これからへ向かって第1歩を踏み出すためです。ここに集った人々と、あの時神戸にいた人々と、今神戸にいる人々と、共に歩んでいくためです。どうかそのことを覚えてお祈りください。


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ローマの信徒への手紙8:32―39

 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
 「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらされ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。


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朗読T

 私の息子の名前は上中大志と言います。
 ……一生懸命パクパクとお乳に張りついてくる彼がけなげでいとおしく、一人の人間を丸ごと預かっている重大さと幸せを同時に感じ、今までにない充足感を経験しました。
 日増しにかわいさを募らせる彼との生活は驚きと感動の連続でした。
 
 ……でもその息子はいない。1995年1月17日、息子は私を残して多くの人と一緒に逝ってしまいました。
 わずか1年6ヶ月の人生をあっというまに駆け抜けていった息子。
 私と周囲の者の心にポッと温かい灯をつけて。

 どうぞお願いです。これを読んでくださった方に。上中大志という幼い命がこの世にあったことを、ほんの少しでもいい、思ってください。短い命を一生懸命に生きた彼のことを、今の一時でもいい、その名前を口にして心に思ってください。
山形謙二著 『人間らしく死ぬということ』より


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朗読U

ありがとう


オルガンが賛美歌を奏で始めます
とめどなく涙が流れ落ちます
この涙、幾夜枕ぬらしたことでしょう
この涙、幾たび便せんにじませたことでしょう
この涙、終わりにする、それはできないことでしょう
私の宝を奪ったあの地震が憎い
けれど君は、人を憎むことを残しはしなかった
それだけでも ありがとう
多くの出会いをくれた
それだけでも ありがとう
君にさよならは言えません
でも、今日1月17日、君に伝えたいこの一言
私の子供でいてくれた、君
のろたいすけくん  
            ありがとう


野呂和美 『「輝いていた君」震災で逝った息子に捧ぐレクイエム』より


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朗読V

 「夜は奧司祭(注 当時の芦屋マルコ教会牧師)から、地震直後の生々しい話を伺う。教会近隣の家々がほとんど崩壊し、「助けてくださぃ〜」という叫びがあちこちで・・。

 2階が一階になってしまったその屋根のかわらをはがし、梁をのこで切り、バールでこじ開け、次々と助け出すも、死者も出る。
 柱の下から紫色の手がのぞいており、かすかなうめき声が聞こえても、いかんともしがたく、泣く。
 死者は、火葬場もつぶれていて、いつまでも処理できずにまた泣く。
 帰るところもなく、仮設住宅のくじもはずれて、また一緒に泣く。無事な園児と再会し、「よかったねー」と言っては泣く。
 無表情になってなってしまった園児がふびんでまた泣く。
 「何も出来ず、一緒に泣くしか能のない自分を見つめるしかない」と奧司祭。
 テレビやヘリコプターからながめた惨状とは異なった皮フ感覚のお話に、皆シーンとしてしまった」
立教女学院高 『共に苦しむ−阪神・淡路大震災ボランティアの記録』より


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諸祈祷

 慈しみ深い神様、多くの災害や事故、ことに「阪神・淡路大震災によって命を失った人々の死を慎み、その魂を神様の憐れみの御手にゆだねます。
 どうか、犠牲となった一人一人の魂に平安を与え、安らかに憩わせてください。
 また、私たちが、その犠牲の死をむなしくせず、悲しむ者を慰め助け、震災後の復興のために力を合わせ、希望を持って共に歩むことが出来ますように常に豊かなみ恵みをもって導いてください。
主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン


 

慰めのもとなる神様、阪神・淡路大震災によって愛する者を
失った人々、住まいを失った人々、離散させられた人々、
健康を害されている人々など、今なお痛みと悲しみ、苦しみのうちにある人々のために祈ります。
どうかその一人一人を主のみ手をもって守り、支え、励まし強め、苦しみに打ち勝つ心をお与えください。
そして、痛み、悲しみを越えて、復興に向けて共に励まし合い、
支え合って、平安のうちに共に生きることができますように
お導きください。
主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン。


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マタイによる福音書5:1−12

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」


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代 祷

共生のための祈り
慰めのもとである神よ、阪神淡路大震災をはじめ多くの苦難の中にある人びとのために祈ります。
どうか、主の慈愛をもって一人一人を憐れみ、み力をもって支え励ましてください。街の復興に向けて心を合わせて進むことができますように。そして人びとの触れ合いの回復と自立に向けて共に励まし合い、支え合い、助け合って、希望のうちに喜びを分かち合う時が早く来ますように見守り導いてください。
主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン


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後 奏 この曲がリアルプレーヤーG2で再生できます  再生

南町から
作詞・作曲 平松愛理


春には海に近い校舎で
記念のスナップにVサイン
離宮公園の桜たち
くもった日が鮮やかで
グレイのキャンパスに
夢は咲くものと
教えてくれたはずなのに

ありふれた毎日があたりまえじゃなくなる
こんな日がくるなんて
何気ない一言がさり気ない微笑みが
こんなに暖かくて
まだ見ぬ薄紅の花びら
もっともっと
あの日へと置き去りの人の夢
咲き誇れ

夏には波打ち際走った
遠くで母の呼ぶ声がした
須磨海岸で陸サーファー
気取る頃気がついた
寄せる波が傷
ひく波が時間
そして去っていく人生のように

あといくつ波くればどれだけの時経てば
痛みおさまっていく
どんな偉い学者でも有名な政治家も
心までは量れない
小さな無数の引き潮が
そっとそっと
いつまでも乾かない深い傷
さらってゆけ

秋には山へ落ちる夕日が
焦がした初めての恋心
お揃いのシャツで三ノ宮
けれど顔さえ見れず
真っ赤な六甲を
背に港へ続く道歩いた
黙ったまま

どこにいて
どう生きても何をどう失くしても
思い出は変わらない
きんもくせい咲く季節めぐる度甦る
蒼かった日々のこと
神さまでさえ消せはしない
ずっとずっと
かけがえのない記憶自分だけの
History

冬には聖歌隊に混じって
異人館通りでアヴェマリア
山手教会のクリスマス
空届きそなもみの木
積もりはじめる雪は
すべての罪を
許してしまう最上の愛

捨てるはずのなかった果たすはずの思いが
天国で雪になる
希望へと向かった時もう一度愛になって
すべての人に降るの
新しい生命のうたになる
きっときっと
強い町になっていく故郷へ
届くように
人生の道しるべ はじまった
南町へ

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