スタートラインを歩く  


 10月19日(火)町田市の小学校にコンピューターを一台納品にいった。
「本体とモニター込みで5万円で作って欲しい」といわれ中古のコンピューターを買ってきて、ハードディスクとモニターを新品にして納品した。

 納品しに行った小学校の最寄りの駅は小田急線の玉川学園前駅。
今から15年ほど前、中学校に1年と一ヶ月だけ通った学校である。

 納品に行った小学校の事務の女性が友人だったので納品が終わってから二人で玉川学園駅前にある購買部に寄って銘菓のアイスクリームを買って食べようということになった。

 購買部の建物は当時と変わり、とても立派な2階建てになっていた。
体育祭が終わったばかりのようで、体育祭の写真を貼りだしてあり、申し込みを受け付けていた。
 
 その写真を見ているうちに、「懐かしさ」と「自分の通っていた学校がどうなっているんだろう」という好奇心がわき上がってきて、車で来ているにもかかわらず学校に行ってみたくなり、友人と二人アイスクリームを買って車のまま門へと入っていった。

 学校のセキュリティーは堅く、門の前で警備員さんがしっかり立っていた。
そこで、「教会を見たいのですが、何とかなりませんでしょうか?」と聞いてみた。
 初めは「困るんだよね」って感じだったが、「どこから来たの?」と聞かれ、「品川からです」と言ったら、「しょうがないね〜、見学って事で入れてあげるから…」ということで、うまく入ることが出来た。
 

 手にアイスクリームを持って、陽が落ちている校内を二人で歩き始めた。

校内と一口に言っても、幼稚園から大学まであるキャンパスで、校門から一番奥の中学部まで歩いて15分はかかるほどの広さがある。

 歩き始めてすぐ左手には、講堂がある。入学式や卒業式が行われる場所で、学部を問わず利用していた。
 中学部の合格が決まり、入学式の前日に「リハーサル」と言うことで初めて入ったところである。リハーサルでは、「校歌」「君が代」「賛美歌」等の式中で歌う歌を4部合唱で歌えるように練習をした記憶がある。

 そういえば、入試当日は大雪で大騒ぎだった記憶が…

 しばらく歩くと、右手に小田急線を跨ぐ橋が現れる。
小田急線を真ん中に両サイドにキャンパスが広がっていて、橋の上から眺める電車はしばらく見ていても飽きることはなかった。

 橋を渡ると、中学部と高等部の新築工事が行われていた。
その工事現場を左手に見ながら、学園本部の建物を通り過ぎていく。

この学園本部とその周辺は、中学部の部活では必ずと言っていいほど走らされるコースの一部だった。
 当時、部活動は全員が入部しなくてはならず、入りたくなかった僕としては、「楽しくサッカーが出来たらおもしろいな」という軽い気持ちでサッカー部に入った、またそのころサッカーをテーマにした「キャプテン翼」というマンガが流行っていたこともあり、モテるかもしれないという下心も働いていたのだと思う。

 しかし現実は違った。
基礎体力強化という名目のもと、来る日も来る日も400mグランドを何周も走らされたり、グラウンドを出てキャンパス内を何キロも走らされたりと、サッカーを楽しむと言うにはほど遠い物だった。
 たまにボールを触ることが出来ても、それはパスやトスの練習だったり、蹴り方の訓練だったりと、「わいわい楽しみたい」という自分の希望とは全く相反する物であった。

 学園本部を通り過ぎてしばらく歩くと、スタジアムのナイター用カクテルライトが輝いていた。

 スタジアムのスタンドの最上段に二人で座った
グラウンドの中では学生達が「サッカー」「アメリカンフットボール」「陸上」などそれぞれの競技の練習をしていた。

 彼らの熱心な練習を見ながら、友人に自分が中学生だった頃の話を沢山話した。

 あの時の自分は、私立学校という大きな組織を向こうにまわし、独り闘っていた。
「なぜ、言うことを聞かないといけないの?」
「なぜ、必ず部活をしなくてはならないの?」
「なぜ、優秀な成績を取らないといけないの?」
「なぜ?なぜ?なぜ?」

 しかし、だれも応えてくれない、それどころか、冷たい態度で接してくる。

 この現実が「バーン」と立ちはだかったとき、「だれにも頼っちゃいけない」「自分一人で起たなくては」ということに気が付いた。

 そのことに気づいたときから、何でも出来るような気がして、学校に行くことよりも、もっと大切なことがあるような気がしていた。

 その答えは今持って出ていない、いや、それどころか学歴がないことが今になって壁となって現れてきた。

 中学を辞めたことは後悔をしていない、今のところ実用上は問題が出てきていないし、放送大学の授業にもついていっているし、来年度からは本学生として大学生の資格が取れてしまうから。

 答えは最後まで出てこないのかもしれない、しかし、これまでの15年を振り返ると、イヤで辞めたここ「玉川学園」が大きな転換点であり、僕にとってのスタートラインなのかもしれない。