牛込聖公会聖バルナバ教会
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1. 教会まで
家からバルナバ教会までは、約45分くらい。
東急東横線で渋谷に出るのだが、急行にのってしまったため、かなり混んでいた。

日曜日にまで、窮屈な思いをして礼拝に出席するというのは、どういうことなのかと、考えてしまった。
やはり、教会は自分の家の近くにある教会に行く方がいいと思った。

10時15分くらいに到着。受け付けも割にあっさりしている。

ホールに行ってみると、加藤博道司祭が 7月から留学なさるので、10円バザーが行われていた。引越しの不必要なものを全て10円で売っていた。

2. 礼拝
歌ミサではあったが、そのために式文があるのではなく、祈祷書を見ながら、オルガンの伴奏に合わせて歌う形だった。

教会がまったく初めての人には近づきがたいかもしれないと感じた。歌う形に慣れている場合には、持ち物が少なくてすむので楽だと思う。

礼拝堂が明るく、開放的な感じがした。
(自分に何の役割がないという開放感も影響していたと思う。)

福音書はマタイによる福音書9章35節〜10章8節
「イエスが弟子たちを集めて『権能をお授けになった』とあるが、これは象徴的なこと。物理的なパワーをもらうということではない。
「いやし」というのは、その人が「全体性」を回復するということ。
お互いの関係を回復することによって、力づけられ、健康になる。イエスが弟子たちを集められたのは、イエスが共に居るということを示し、そして人々を「いやす」ために派遣するためだった。
「天の国が近づいた」と宣教し、イエスが私たちとも共に居るということを伝えるためだった。
今、私たちも弟子たちと同じように集められている。
「いやし」を求めている私たちだが、それぞれに「いやす」こともできる。」
加藤博道司祭のお話は、力強く、励ましを受けているような感じだった。

平和の挨拶の後、報告。私のそばに青年たちが数人いるのを気にしながら、このスタンプラリーの意図を説明した。

聖餐のとき、サーバーがサンクタスベルを鳴らしていた。三光教会以外でこのかねを聞いたのははじめてだった。

人数として、20人ほどだったと思う。
すごくゆったりとした空間があり、皆で一緒に礼拝をしているのにもかかわらず、個人と神様の関係、を感じさせるようなのんびりした感じがした。

3. 礼拝後
昼食がある時とない時があって、この時は、本来であればなかったはずだが用意されていた。
みなでテーブルを囲んで食べる形で、家族的な雰囲気がとてもよかった。

大学を卒業した年齢くらいの青年が、3人、高校生が1人いて、お話することができた。
「いままで、教区の活動には参加したことがない」ということで、これから関わってくれるだろう、ホープを見つけた感じで嬉しかった。
自分の夢や希望をしっかり持っていて、それに向かって、まっすぐ努力している素敵な人たちだった。

この日は、友人の結婚式の打ち合わせがあり、青年たちで、お茶をのみに行くのには遠慮したのだが、新しく力ある人たちと出会え、友人の幸せを感じて、私自身とってもHappyな1日だった。