東京聖マリア教会
(東京教区のページにリンク)

1. 教会まで
三光教会の日曜学校礼拝の、オルガンを弾いてから、マリア教会へ。それでも充分間に合う距離。今回は、私一人でなく、三光教会から青年が何人か一緒に参加。(理由は後述)

2. 礼拝
 この日の礼拝は、解説付き!!(これが皆が参加した理由)けれども、とても自然な説明の入れ方で、毎週同じように説明があってもおかしくない感じだった。(解説は別資料)

スタンプラリー第1段で、お邪魔した時には、「こどもとおとなとともにささげる聖餐式」ということで、藤井執事のご長男(小学校高学年)が、旧約日課を読んでおられ、説教も子ども向きのわかりやすいものだった。

今回は、直前にサーバーが日課朗読者を決めておられた。

福音書は、 ヨハネによる福音書10章1節から10節
説教は山野司祭。
「豊かな命を与える」ということは、すなわち、その人が持っている1番良い物を花開かせること。
イエスが私達に命をお与えくださったように、私達も他の人のいのちとして、ともに生きていくために派遣される。

山野司祭のゆっくりとした口調は、「諭し」という言葉を連想させるような、それでいて、やわらかくて心地の良いお説教だった。

平和の挨拶のあと、報告。三光教会関係の人たちがごそっと押しかけてしまったので、挨拶だけで時間がかかってしまった。
 よく見ると、マリア教会のメンバーの方々と、押しかけた者たちの人数が同じくらいだった。

聖歌のほかに、「マリアの賛歌」として曲集が作られており、その中の歌も礼拝で使っていた。

3. 礼拝後
 三光から参加した子の中に、「教会にオルガンが弾きたくて来ました」という高校生がいたのだが、人数の多い三光教会では「まだ早いから」とか、「ローテーションを組んでから」などと、なかなか弾く機会がなく、残念な思いをしていた。
 
けれども、さっそくマリア教会からスカウトが来ていた。
その場の話し合いで、5月16日に弾くことが決定していた。
彼女のためにはとても嬉しいことだったが、三光教会で受け入れられていない事実を考えると複雑な気分になった。
「大きな教会と、小さな教会の差」という言葉で納得するのも、悔しい気がする。
「神様を賛美するために自分の出来ることをささげる」のに、時期の遅い、早いがあるのだろうかと考えさせられた。

普段、マリア教会では昼食は食べないが、遅くなったので、近くのそば屋から出前を取る。

ラーメン330円には驚いた。食事をしながら、和気あいあいとおしゃべりを楽しんだ。

とても豊かな日曜日だった。

4. その後
 その後、三光教会内で、多くの人たちがこの「解説付き聖餐式」に出席したことが問題になった。
私たち青年は、アコライトギルトをしている人たちが多かったのだが、「アコライトの奉仕をさせてもらっているのに、他の教会に行くとはけしからん」ということらしい。
このことがきっかけで、スタンプラリーを続けることを躊躇する人もいる。

でも、今、私は三光教会の信徒であり、そのことは大事に思っている。

毎週違う教会へ行くということは考えていない。教会を1度決めたら、物理的に行けなくなる以外は、行き続けなければならないというのはおかしいと思う。

誰と聖餐式の場を持つかが問題になることだろうか。いまだに疑問に感じている。