ローマ法王の逝去
2005年04月07日
4月3日の早朝、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の逝去のニュースをテレビで見た。
その1週間前には、サン・ピエトロ広場に集まった群衆に対して、イースターのメッセージをのべるために姿を見せたが、一言も声が出なかった。生命維持装置をつけられ、苦しそうに身もだえしながら手を動かす姿がテレビの画像で映し出され、そこまでしないといけないのかと残酷な思いで見ていた。
現地時間4月2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)と報じられているから、復活日の次の主日、世界各地のカトリック教会の主日ミサに間に合わせるかのように逝去された。84歳。
ローマ・カトリック教会では、ペテロから数えて264代目の教皇。使徒継承者とする。ポーランド人の法王だった。在位期間中、百数十ケ国を訪問し、平和のために貢献された。「空飛ぶ法王座」、平和の使者と呼ばれている、等々。
葬儀には、世界各国の要人が出席するとかで、連日、テレビでも新聞でも大きく取り扱われている。11億カトリック信徒の指導者と言われるのですから、国際的な組織としては、やはり世界でもっとも大きな組織のトップなのだという実感を持つ。
しかし、法王の遺体は、赤い法衣に司教冠を着けた正装をつけ、左手につえを抱えるような形で、少し傾斜のついた台の上に安置され、聖堂の真ん中に置かれている。
死んだ後も、正装して弔問を受けねばならない人、その人の人生って何だったのだろうかと、残酷を通り越して怒りを感じる。この感覚にはついていけない。
聖書の中に見るキリスト、キリストが説かれた人間の生き方、キリストが求められた信仰者の姿、この瞬間には、そこにはキリストはいないと思う。教皇ご自身は、誰よりも強く、キリストに従おうとされたに違いないが、やはり何かがおかしい。教会の組織か、制度か、習慣か、必要善なのか必要悪なのか、教会のあり方について考え込んでしまう。
心から哀悼の気持ちを持ちながら、いろいろなことを感じる。