イエスと弟子たち

2005年06月19日
マタイ福音書9:35〜10:8  今日は、イエスさまと弟子たちについて考えたいと思います。  イエスさまには12人の弟子がいました。その他にも、熱心な女性たちが後に従っていましたし、弟子と呼ばれる人たちが、70人とか90人といわれる集団が、イエスさまを取り囲んでいました。今でいうファンや追っかけのような人たちもいただろうと想像できます。  その中でも、この12人の弟子たちは、特別の地位を持っていました。 彼らは、「12人の弟子」という呼び名のほかに「12使徒 」と呼ばれています。それは、特別の使命を持って遣わされた人たちという意味です。 今日の福音書には、その12使徒の名簿が記されています。  「12使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」  (マタイ10:2〜4)とあります。  彼らは、まず、イエスさまによって選ばれた人たち、招かれた人たち、そして「わたしに従いなさい」と命じられた人たちでした。彼らはイエスさまに従って歩き、共に生活し、イエスから直接教えられ、訓練を受け、試みられ、そして大事な使命が与えられ、派遣されました。  イエスさまの公生涯の3年間は、ご自身が福音を宣べ伝えることでありましたが、同時に、弟子たちを忍耐強く訓練することにありました。  イエスさまの心がなかなかわからない弟子たちに対して、ある時にはきびしく戒めながら、彼らを教え、訓練し、整えて行かれました。  先日、平安女学院創立130年記念の講演会があり、特別講師として、アテネ・オリンピック・シンクロナイズ・スイミング日本代表のヘッドコーチとして有名な井村雅代さんの講演を聴きました。27年間、日本のシンクロのコーチをし、6回オリンピックにまで選手たちを導いたと紹介されていました。「鬼の井村」と言われ、厳しい教育訓練の結果、世界に日本のシンクロの名を有名にしたこの方については、皆さんもテレビなどでよくご存じだと思います。  「井村式人材育成法を語る」という題で、選手たちを育て、オリンピックにまで導き、銀メダル獲得にいたった、さまざまな具体的な裏話を聞くことができました。大変な苦労をなさり、そして、今も次の目標に向かって努力をしておられます。  たくさん語られた中で、一つ心に残る言葉がありました。  それは、「ゴールが見えているか」ということです。人が何かを努力するのに目標が見えているか、どこへ行こうとしているのか、はっきりしているかということでした。  その目標はどんなに大きくてもよい、到達しようとする目的地はどんなに遠くてもいい。その目標、到達点に向かって、今日の目標を定めなさい。それは、ミリ単位の小さな目標でよい。それを、毎日達成しなさい。今日一日の目標は決して大きなものであってはなりません。  たとえば、40センチしか飛び上がることが出来ない人は、今日、40センチと1ミリを飛び上がりなさい。そして次の日にはさらに1ミリ、すると40センチと2ミリになります。すると、10日で、1センチ、100日で10センチ飛び上がれます。そして、今日の1ミリが飛べない時は、なぜ飛べなかったのか、真剣に考えなさい。飛べるために工夫しなさい、と、熱っぽく語られました。それだけではありませんが、オリンピックという世界で1位、2位を競い合うスポーツの厳しさを教えられました。  イエスさまも、弟子たちをきびしく指導して来られました。  イエスさまの、弟子たちに与えた目標、目的は、今日の福音書から見つけますと、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と、弟子たちに言われました。そして、そのために、こまごまと注意をし、指示を与えて、その上で、弟子たちを派遣されました。  さて、イエスさまも弟子たちに、福音宣教のコーチをしておられます。  では、井村さんのコーチとイエスさまのコーチはどこが違うのでしょうか。もちろん、その中身が、スポーツの種目と福音宣教と内容が全然違います。井村さんも真剣に選手たちと向かい合い、生涯をかけて、命がけで選手の指導にあたっておられます。  しかし、根本的な違いがあります。それは、井村さんは、ヘッド・コーチではありましたが、あくまでもコーチです。  イエスさまも、弟子たちに教え、指導し、叱ったり、励ましたりしておられるのですが、根本的に違うところがあります。イエスさまは、自分で、まず、実践し、それを見せておられるのです。  先ず、ご自分で 町や村を残らず回わり、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされました。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ、病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払われました。  たとえば、イエスさまは、愛について教えておられます。 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」 「あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」  神を愛する、人を愛する、そのことが最も大切なことだと教えられました。しかし、そのことを口で教え、命令されただけではありませんでした。  今日の使徒書をごらん下さい。パウロはローマにある教会の信徒にあててこのように手紙を書いています。  「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、 不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。  イエスさまは、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」ということを、ただ口で教えるだけではなく、ほんとうに自分の命を捨てて、神の愛を示してくださったのです。主イエスの生きざま、死にざまを通して、神の愛をご自身の愛をあらわしてくださったのです。  イエスさまはこのようにして、弟子たちを教え、導き、そして、ご自身の命を与え、聖霊を与えて、彼らを育て、導き、生まれ変わらせてこられました。  そして、弟子たちは、いずれも最後にはイエスに従って殉教の死をとげたと伝えられています。このようにして新しい教会が生まれました。  イエスさまが弟子たちを呼び出し、教え、そして派遣されたように、私たちも選び出され、教えられ、この社会に向かって福音を宣べ伝えるために遣わされています。わたしたちも教育訓練されている者です。  井村さんの言葉を借りますと、「教会は、ちゃんとゴールが見えていますか」「あなたの信仰生活のめざしているゴールはどこですか」と問われています。  教会には目標があります。目的があります。それは、キリストの福音を、「天の国は近づいた」ことを宣べ伝えることにあります。 教会の生活が、また、私たち一人一人の信仰が、自分たちだけのため、自分の喜びのため、自分の満足のため、自分が気持ちよくなるためにだけあるとすれば、ずいぶん次元の低い目標に止まっていることになります。そして、いつかは滅んでしまいます。  「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」 友のために命を捨てられる愛し方ができますように、大きな目標の今日の第一歩を、ミリ単位の小さな目標をクリアして、自分自身が変えられていくことを願いたいと思います。