<6月21日のヨセフさんへ

2005年06月23日
今日、午後、奈良県吉野であった2泊3日の京都教区の教役者修養会から帰ってきました。 それで、返事が遅くなりました。 どんなに時代が変わっても、世界が変わっても、聖書にもとづいて、キリスト教では、「離婚してはいけない」と戒め続けています。 しかし、現実には、教会の内外を問わず、離婚が起こっていることは事実ですし、その現実は受け入れなければならないと思っています。 教会の結婚式で、「神が合わさられた者を人は離してはならに」と宣言されるその瞬間には、誰も離婚するだろうと思って結婚する人はいません。みんな、その結婚によって幸せになろうと思って結婚しているのだと思います。 しかし、その後、愛がさめたり、他の人に心が向いてしまったり、互いにの心が「一体である」ことができない事情が起こってくるのだと思います。それでも、私たちはどんなことがあっても離婚してはいけないのだと思い、懸命に努力して、その事態を乗り切ることができる夫婦もあれば、やむを得ず離婚してしまうこともありえます。 人はそれほど強くはなく、神が合わせてくださった者でも、それに背いてしまわざるをえないこともあるのではないでしょうか。