最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

2005年11月20日
マタイ福音書25:31〜46  私たちが持っている教会の暦では、毎週の日曜日、主日と呼んでいますが、この主日には、全部それぞれ名前がついています。今日の主日は「降臨節前主日」といいます。そして、この降臨節前主日は、1年の最後の日になります。一般の暦より一足はやく、次の主日「降臨節第1主日」から新しい暦が始まります。  教会において、主日の礼拝で読まれる聖書の個所がきめられていて、暦の終わりに近づくシーズンになると、終末、世の終わりとか、キリストの来臨、キリストが再び来られるというテーマが多くなっています。  さて、今年の暦の最後の主日である本日の聖書ですが、福音書には、今読みましたマタイ福音書25:31〜46が定められています。  聖書を見ますと、この個所には「すべての民族を裁く」という見出しがつけられています。この個所でも、終末やキリスト再臨の時のことが語られています。さらにその時に「裁き」というものがあると教えています。  裁きとは、審判、良いものと悪いものを明らかにし、選り分けられるということです。私たちは、日頃、神は愛である、慈しみ深い方である、赦してくださる方であるということが強調されています。愛と恵みに満ちた方であるから、どんなことも赦されると思っています。  しかし、同時に、神は裁く方であり、選ぶ方であり、そういう意味では厳しい方でもあることを知らなければなりません。  私たちは、お祈りをするときに、「天におられるわたしたちの父よ」と呼びかけます。私たちと神の関係を、あなたとわたしの人格的関係としてとらえるために、「父」として擬人化して、親しみを込めてその名を唱えています。本来、一家の家長である父は、愛に富んだ、やさしいまなざしの父であるとともに、厳格な厳しい父のイメージが含まれています。厳しい父親というのは、ただ厳格で怒ると恐いというだけでなく畏怖する、威厳をもった父がイメージされています。父である神の厳しさというのは、裁く方であるということです。  さて、聖書の言葉に目を向けてみましょう。この、25:31〜46は、二つの「たとえ」が続けて記されています。  最初は、31節〜33節で、羊飼いが羊と山羊をより分けるというたとえが記されています。  そして、その次の34節〜46節では、王が、祝福された人と呪われた人を分別するというたとえが記されていましす。  最初のたとえでは、羊飼いは、昼間は羊も山羊も、同じ所に放って、いっしょに草を食べさせます。夕方になると、その山羊と羊の群れを集めて、連れて帰り、山羊と羊を別々の囲いの中に入れて休ませます。山羊と羊は性質、習性がちがいますので、いっしょにしておくわけにはいきません。囲いの入口で右と左に分けて、山羊は山羊の囲いに、羊は羊の囲いに入れて選り分けます。キリストが再び来られて、栄光の座に着かれるとき、すべての国民、民族がこのように選り分けられると言います。  次に後の方のたとえですが、主人公は「王」です。王は、右側にいる人たちに、「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」と言いました。そして、 王は、左側にいる人たちにも言いました。「呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」と、恐ろしいことを言いました。  人を、右と左に分け、永遠の国の世継ぎとする者と悪魔の用意した永遠の火に入れられる者とに分けられるというのです。恐ろしい裁きの様子が語られています。  それでは、この祝福された者と呪われた者とに分けられる理由とは何んでしょうか。何をもとにしてこのように分けられるのでしょうか。  それは、王が、「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」か、そのようにしてくれなかったかにかかっていると言います。右側の人たちは、「わたしたちは、王さまにいつそんなことをしましたか」と言いました。すると、王は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言いました。  その反対に、左側の人たちは言いました。「わたしたちは、王さまにいつそんなことをしませんでしたか」と。すると、王は、「この最も小さい者の 一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と言いました。「この最も小さい者の一人にしてくれたことが、わたしにしてくれたことなのだ。」そのようにした人と、しなかった人が、最後の裁きの時には選り分けられ、永遠の命にあずかるこの者と、永遠の罰を受ける者とに分別されるというのです。最も小さい者の一人にしてくれたことが、わたしにしてくれたことなのだ、そのようにしたか、しなかったかということが分別の基準になるというのです。  この聖書の言葉をどのように理解するか。2通りの解釈ができます。  最初に、マタイ福音書10章40節〜42節を参照します。  「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」  この聖書の個所は、主イエスが、12人の弟子たちを選び、宣教のためにこれから派遣しようとする一連の物語の中の最後の言葉です。弟子たちを派遣するに際して、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行くな。旅には袋も2枚の下着も、履物も杖も持って行くな。働く者が食べ物を受けるのは当然である。イスラエル人の失われた羊のところへ行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払え。ただで受けたのだから、ただで与えよ」とこまごまと教え、さまざまな苦難、迫害に出会うことを予想しながら送り出されました。そして、最後に主イエスは、「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」と結んでおられます。  この言葉からしますと、今日の福音書の25章40節「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という言葉は、とくに、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」というのは、イエスの弟子たちのことであり、福音の宣教者、伝道者を意味するということがわかります。このキリストの弟子、伝道者の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことなのだということです。そして、そのようにしてくれた者には、永遠の命が約束されています。  これに対するもう一つの解釈を考えるとき、あの有名な誰でも知っているマザー・テレサのことを思い出します。  マザー・テレサは、1946年、黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で「神の召命」を受け、修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意します。1948年、まず薬を買って粗末なサリーをまとい貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピーだったと言います。「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」 1950年インドに帰化しました。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”「神の愛の宣教者会」設立、「マザー・テレサ」と呼ばれるようになりました。 1952年、路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」を開設しました。地元住民の強い反対と施設撤去を求める請願が出されました。何しろ、ヒンズー教徒の国ですから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のためにそんなに苦労してもあまり意味がないのではないかという批判もありました。でも、マザーは、最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切さを知っていました。ある日、コレラで死にそうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったことがきっかけになり、住民の彼女を見る目が変わってきました。 「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。」 孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設、ハンセン病の巡回診療を始めました。西ベンガル州にハンセン病患者の「平和の村」を開設、1975年、学校・病院・作業所持つ複合センター「プレム・ダム」を開設しました。 1997年9月5日、「もう息が出来ないわ」の言葉を残し、87歳亡くなりました。  亡くなってからもう8年が経ちますが、このマザー・テレサのことを知らない人はありません。  ある時に、インタビューに答えている場面を見たことがあります。  「マザーは、飢えている人を引き取り、病気の人の面倒を見、ハンセン病(らい病)の人の足をさすり、死に瀕している人の最後を看取り、孤児のための施設をつくり、さまざまな最も貧しい人、弱い人、見捨てられた人のために働いておられます。あなたがそれをなさる動機は何ですか。なぜそのようなことをなさろうとするのですか」と尋ねました。  これに対して、マザー・テレサは「飢えている人に食事を用意するのは、イエス・キリストに食事を差し上げているのです。らい病の人の足をさするのは、イエス・キリストの足をさすっていることになるのです。」と答えていました。まさに「この最も小さい者の一人にしてくれたことが、わたしにしてくれたことなのだ」という聖書の言葉を生涯を通して実行した人でした。マザー・テレサの言葉や行動が人の心を打つのは、単に人道主義や博愛主義によるのではなく、自分自身への見返りや自分の名誉のためではなく、イエス・キリストとの関係、キリストへの信仰の上に立っているからだと思います。毎朝4時からのミサと黙想のために2時間を費やします。その上に立ってこそ、ヒンズー教徒にも、仏教徒にも、宗教を持たない人々にも、同じように仕えることができたのだと言われます。  1979年、ノーベル平和賞を受賞しました。「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました。」受賞後も、朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上生活者やごみ捨て場に捨てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど変えずに行い続けたといいます。  マザー・テレサの修道院のどの部屋の壁に掛けられている十字架。そのそばにはどこにも全部、「われ、渇く」という、主イエスが十字架の上で最後に残された言葉が記されています。            (2005年11月20日 降臨節前主日説教)