権威ある教え
2006年01月29日
マルコ1:21〜28
ガリラヤ湖の南東岸にテル・フームという所があます。そこにペトロのしゅうとめの家であっただろうと言われる家の跡や会堂の遺跡があります。そこがたぶん主イエスの時代のカファルナウムという町があった所だろうと言われています。その会堂の遺跡は、石造りのユダヤ教の会堂跡としてパレスチナでは最も古く、昔の形を残した美しい会堂だと言われています。
会堂は、シナゴーグと呼ばれ、当時のユダヤ教の礼拝が行われる場所であり、子どもたちに律法を教える学校であり、議会や裁判が行われる場所でもありました。
主イエスは、訪れた所で、たびたび会堂に入り、そこで人々に教えておられました。
ある安息日に、カファルナウムに着い主イエスは、会堂に入って教え始められました。ところが、その「教え」を聞いた人々は非常に驚いたとあります。その教えは、今まで聴いた律法学者の教えのようではなく、権威ある者としてお教えになったからでした。
それだけではなく、その後で、汚れた霊に取り憑かれた男から霊を追い出すと、人々は皆驚いて、「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」と言って論じ合いました。
主イエスの教え、主イエスの言葉に、人々は、「権威ある新しい教えだ」と言って驚きました。
この「権威ある新しい教え」とは、どのような教えだったのでしょうか。決して大きな声で、上から下へ命令するような、脅迫するような話し方だったからではないと思います。語られる言葉一つ一つに力がある。その内容には、心打たれるものがある、魅力がある、力強い、聞く人の心を揺り動かすような、迫ってくるような教え、などなど、いろいろと想像することができます。
私たちの社会でもよくあることですが、肩書きや知名度や学歴などで、同じことを言っていても、聞く人は違って聞くということがよくあります。主教さんがこう言われたとか、どこどこの大会社の社長がこう言ったとか、校長先生がこう言ったとか、大学の教授がこう言ったとか、その肩書きから来る権威、それによって耳を傾ける度合いが違うことがあります。なるほど良いことを言うと思ったり、感心したり、感激したりすることがあります。
それに比べて、主イエスは、突然、ナザレから出てきた無名の一人の男性でありました。律法学者として肩書きがあるわけでもありません。立派な服装や格好もしていません。まだそれほど有名でもなく、話題にもなっていません。どこの、誰だ、何者だと疑っています。「権威ある者として」というのは、その教えの背景は何なのだろう、どこからこんな教えが出てくるのだろうといぶかっている人々の姿が見られます。
「権威」とは、権威、権能、権力、支配、力など、いろいろな言葉に訳されてますが、辞書を引いてみますと、権威とは、「人に認めさせ、従うことを求める精神的な、道徳的な、または法的な力」とあります。その他に「その筋の権威」という言い方をし、「その道では第一人者と認められている人」とも記されています。
主イエスの教えを聞いた人たちは、今まで聴いていた「律法学者たちのようにではない」力がこの人にある、それはいったい何の力だろう、その力はどこからきたのだろうといぶかる驚きでした。
このカファルナウムの人たちが、今まで会堂で聞いていた教えは、ユダヤ教の律法学者たちの教えでした。律法学者は、律法の専門家であり、まさに律法の権威でした。小さい頃から律法について学び、たくさんの律法を暗記し、いくつもの試験を受け、律法学者として認められた人でした。そして、誰よりも律法の専門家、権威であることを自負し、そのことを誇りにしていました。他の聖書の個所から見ますと、彼らは律法学者であることの権威を振り回す権威主義者でした。
一方、主イエスについては、ナザレの出身で、大工の息子であるということはわかりますが、それ以外は何もわからない無名の男でした。服装も、語り方も、風采も、律法学者たちとはまったく違った平凡な一人の男でした。
ところが、語られる教えそのものが、その内容が、根本的に違っていました。
律法学者の教えというものは、神の掟である律法を、口から口へ語りつがれ、伝えられたことを聞いて、知っていることをあれこれと引用し、いわばいつも間接的に語っている教えでした。どんなに熱心に、どれほどたくさんのことを知っていると言っても、「ラビ誰々はこのように語った」という、言い伝えに過ぎません。
これに対して、主イエスの教えは、父である神を指さし、自分自身のことを語る直接的な話の内容であったのです。愛によって結ばれた父を、親しみをもって語る時、また、ご自身のことを語られる時、それは、直接的なご自身の経験として語られます。そして、その力は神そのものであり、神の力をもって語られるのです。
その言葉は、当然、聞く人の胸を打ち、心に響くものだったに違いありません。人々が不思議に思い、驚くのは当然であったと言えましょう。
この権威ある教え、直接、神が語られる教えに対して、いちばん最初に反応したのがこの会堂にいた「汚れた霊に取りつかれた男」でした。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」と叫びました。悪霊は、悪魔、サタンの使いと考えられています。当時の人々は、病気や不幸の原因は、悪霊の仕業だと考えていました。汚れた霊、悪霊は、動物的感覚というか直感的に主イエスの正体を見抜き「神の聖者だ」と告白しました。
主イエスが、「黙れ。この人から出て行け」と、この汚れた霊に命じ、叱りつけると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行きました。
それを見た人々は、皆驚いて、口々に論じ合いました。
「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」
主イエスの言葉を、「権威ある教え」として受け取っていた人々は、主イエスの言葉に悪霊を追い出す力があることを知り、今まで見たことも聞いたこともない「新しい教え」だと受け取ったのでした。
主イエスの権威は、肩書きや知名度や学識や経験の積み重ねからきている権威ではないことがわかります。主イエスの権威は、神の権威であり、神ご自身の力が直接現されているものです。人に認めさせ、従うことを求める宗教的な力そのものなのです。
モーセの十戒の第5番目、第五戒には、「あなたの父母を敬え」と命じられています。この「父と母を敬え」は、単に親孝行をしなさいとか、血縁関係や年長者を敬うという儒教的な教えとは違います。ユダヤ社会において、家庭での子どもに対する宗教教育は両親の重大な責任でありました。両親に服従することは、神への服従に結びついていたのです。両親は、単に、自分を生んでくれたから、食べさせてくれたから、養い育ててくれたから父母なのではなく、神の戒めと信仰によって養育する責任があるから父であり母なのです。このような宗教教育を責任として負うところに、両親の権威というものがあるのでした。だから「父と母を敬え」と命令されているのです。
今日、社会的な現象として、何かにつけて権威を否定するような風潮にあります。居丈高に上からものを言う、権力を振り回す、権威をひけらかすというような姿勢はもはや流行らない時代になっています。民主主義、自由平等、人間みな平等という考えは、一面では正しいことには違いありません。しかし、一方では、ほんとうの権威、神の権威をも認めない、恐れない人々になってしまいました。正しくほんとうの権威を認めない代わりに、それに替わる力により頼み、そこに新しい権威を見つけようとしています。それは、お金であったり、科学の力であったり、欲望の満足であったり、目に見える効果や結果を追い求め、それのみを尊重しようとしています。それらの欲望が満足されないと、恐怖を感じたり、不安を感じたりしています。
イエス・キリストの教えに驚くこともなくなり、イエス・キリストが示される奇跡に驚くも失っている社会に私たちは生きています。私たちはどうでしょうか。今、あらためてほんとうの権威ある方の教えに耳を傾けたいと思います。
(2006年1月29日 顕現後第4主日(B年) 聖アグネス教会)