イエスの姿が変わる
2006年02月25日
マルコによる福音書9:2〜9
7週間にわたって、私たちは、顕現節を過ごしました。
「顕現」とは、神の側から私たちに対して、ご自身を現されることです。日頃隠れておられる神が、私たちに、チラッ、チラッとご自身を現されます。そのような神であることを知り、父なる神と、子であるイエス・キリストの関係を深く知ることが目的です。
私たちが手にしている聖餐式聖書日課によりますと、A年、B年、C年と3年を周期に、旧約聖書、使徒書、福音書が読まれることになっています。今日の「大斎節前主日」は、A年も、B年も、C年もテーマが一緒で、主イエスの「変容貌」の出来事が読まれることになっています。
マルコの福音書によりますと、弟子たちを代表して、ペテロが「あなたはメシヤです」という信仰告白をした後、主イエスは、弟子たちに、3回にわたって、ご自分の死と復活を予告なさいました。「わたしは、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」と言われました。
マルコによる福音書では、先ほど読みました聖書のこの出来事が起こったのは、その第1回目の予告の直後であったと記されています。
主イエスが、弟子たちに、死と復活の予告をなさった時から、6日ほど経ったとき、イエスは、12人の弟子の中から、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れて、高い山に登られました。
その山の上で、彼らの目の前で、主イエスの姿が変わり、服は真っ白に輝きました。「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」とありますから、いかに真っ白に輝いていたかその姿が想像できます。
そして、そこに、2人の人が一緒に現れて、主イエスと語り合っているという光景が、弟子たちに見えました。それは、モーセとエリヤでした。弟子たちは、そのように見えたのです。
モーセは、神から律法を授けられた人で、律法を代表していると言われます。そして、エリヤは、後の時代の人物ですが、預言者たちを代表しています。この律法と預言者を代表する2人は、栄光に包まれて、いわゆるまばゆい光に包まれて現れ、イエスと話をしていました。
そこで、ペトロが口をはさんで言いました。「先生、わたしは、今、ここにいるのはすばらしいことです。ここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と、叫びました。
それには理由がありました。当時は、イスラエルの最も大きな祭りは「過越の祭り」と「三大巡礼祭」でした。過越の祭りは、遊牧生活からくる祭りで、三大巡礼祭は、農耕の祭りでした。この三大巡礼祭は、「種入れぬパンの祭り」「七週の祭り」「仮庵の祭り」からなっていました。七の祭りと仮庵の祭りは、収穫感謝の祭りでした。とくに仮庵の祭りは、秋に行われ、7日間祝われました。かつて、ぶどう畑で収穫のときには、木の枝で簡単な小屋をつくり、番小屋としてそこに住み、または収穫物を入れたということから、この仮庵の祭りの期間、畑に木の枝を組んで簡単な小屋を作り、そこに寝泊りするのが祭りの習慣でした。(申命記16:13、レビ23:34、42〜43、申命記31:10、ゼカリア14:16、18〜19等)
ペトロは、気が動転して、自分でも何を言っているのか分からなかったのでしょう。他の弟子たちも非常に恐れていたました。頭が真っ白になった中で、神の使いとも思えるこの方々に、少しでも長く止まっていただきたいという気持ちで、とっさにこの仮庵の祭りの仮小屋のことを思い出し、奇妙な提案を口走ってしまったということでしょうか。
ペトロが、こんなことを言っていると、雲が現れて彼らを覆いました。すると、雲の中から声が聞こえました。「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえました。弟子たちは急いで辺りを見回しましたが、もはやそこにはだれも見えず、ただ主イエスだけが彼らと一緒におられた。
一同が山から下りると、主イエスは「わたしが死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはいけない」と弟子たちにお命じになりました。
この出来事は、主イエスの姿が真っ白に光り輝く姿に変わったということから「主イエスの変貌」の出来事と言います。主イエスと父である神が交わっておられる瞬間であったと言われています。
ナザレから東南に10キロ、ガリラヤ湖の南端から西南西に20キロの所に、タボル山と呼ばれる小さな山があります。東西約800メートル、南北400メートル、高さ588メートルの小さな山で、平原の中にお椀を伏せたような山です。旧約聖書の舞台としてもよく出てくる山でもあります。伝説によると、イエスが弟子たちを連れて登られた山は、このタボル山であったと言われています。しかし、聖書にはこの山の名前は出ていません。
この伝説に基づいて、4世紀にローマの皇帝、コンスタンティヌス帝の母ヘレナがこの山の頂上に教会を建てました。それ以来、教会や修道院が建てられ、モーセ、エリヤ、主イエスの名がついた教会が建てられた時代もありました。破壊され、建設され、時代の変遷を経て、現在は、この山の頂上の一番高い所に、カトリックのフランシスコ会によってバジリカ風の教会が建てられています。
祭壇の上が大きなドームになっていて、主イエスを真ん中に、モーセとエリヤが立って、両側から話をして風景が、きれいなモザイク画で描かれています。その礼拝堂にひざまずいてこのモザイク画を仰いでいますと、ペテロやヤコブやヨハネの気持ちになったような神秘的な雰囲気に包まれます。
日頃、神は、ご自身を隠しておられます。しかし、ご自分の方からチラッ、チラッと、ご自身を現されます。
神は、その独り子を、この世にお遣わしになりました。愛するひとり子、愛おしい、愛おしいひとり子を、その命を与えるために、人間の姿を取らせ、お遣わしになりました。神は、そのひとり子イエスと、最もだいじな時に交信しておられます。
今の時代で言えば、小さな子どもに一人旅をさせるのに、その時に、親は心配なので、子どもに携帯電話を持たせて、時々無事を確かめるようなものでしょうか。親の気配り、目配せを思い起こし感じさせます。
神と主イエスのこのときの関係は、単に無事を確かめるというような、生やさしいものではありません。我が子が、自分の死と復活の予告をした直後という切迫した、心も身もかきむしられるような思いや関係の中での、目配せです。『これはわたしの子、これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえました。
しかし、このイエスの死と復活によって、私たちは神の愛を知り、主イエスのまなざしを感じ、神のみ心を知る者となったのです。
主が私たちにご自身を現してくださる、神の方からご自身を現してくださる方であることをもう一度深く心に刻みたいと思います。
今週の水曜日、1日から、私たちは「大斎節」を迎えます。この日から、4月16日の復活日、イースターの前日まで、日曜日をのぞく40日間、大斎節を過ごします。教会の習慣では、古くからこの期間を祈りと克己と断食のときとして、これが守られてきました。ともするとマンネリ化、惰性化、形式化する、私たちの信仰生活や教会生活に、アクセントをつける、心も体も主イエスの死と復活に集中させる大事な時であり、自分の信仰を謙虚にふり返り、吟味する時であります。
第1に、主イエスは、公生涯に入られる宣教活動の第1歩を踏み出される時、荒れ野において、40日間断食し、そして悪魔の誘惑に会い、これにうち勝たれた。
第2に、この40日間の大斎節の最後の週には、弟子たちと別れの食事をし、裏切られ、捕らえられ、裁判に引き回され、むち打たれ、侮辱を受け、十字架に釘付けにされ、十字架上の苦しみののち死を迎えられました。このことを記念する「聖週」を迎えます。
第3に、初代教会では、復活日の前夕には洗礼を行う習慣があり、洗礼を受ける者は、その直前の40日間を、祈りと断食の中で最後の準備をし、また、この人たちを受け入れる教会のメンバーも、同じようにして、慎みの時を持ちました。
私たちも、この40日間をどのように過ごすか、自分で具体的なプログラムを立て、この大斎節を過ごしたいと思います。祈りの時間、聖書を読む時間、何か奉仕をする時間、礼拝に出席する時間、飲酒を慎む40日等、自分で決めて、何かやってみましょう。誘惑に打ち克ち、キリストへの思いを少しでも強く感じる時としたいと思います。
「大斎節を失う者は、イースターを失う。」と言われます。イースターのほんとうの喜びを得るために、この大斎節を有意義に過ごしましょう。
〔2006年2月26日 大斎節前主日 於・金沢聖ヨハネ教会〕