<随想> 満70歳、古稀を迎える。
2006年06月29日
満70歳の誕生日を迎えた。30歳、40歳、50歳、60歳、それぞれの節目に、自分は何をしていたかよく覚えている。ということは、「オレは大台に乗った」と言っては、その度に大騒ぎしていたからである。そして、満70歳の大台に乗った時には、特別に感慨に耽るであろうと、前々から自分自身で予測し、この日が来るのを待っていたような気がすので、だから、人にはみっともないと言われようとも、誰はばかることなく感慨に耽ることにする。
まず、70歳を迎える予兆はあった。2ヶ月ほど前に区役所から、「敬老乗車券」を受け取る手続きをせよと言って来た。送られてきた書類に、氏名、住所と生年月日を書いて送ると、振込用紙が送られてきて、郵便局へ行って、5千円払うと、その日から使える「敬老乗車券」がもらえた。
昨年までは無料であったのに、今年からは70歳以上でも収入に応じて3千円から1万5千円を支払って、これがもらえるということになったのだという。どちらにせよ、京都市内の地下鉄とバスが全部これ一枚で乗れるのだから、文句いうことはない。早速いただいて来た。便利だし、楽である。今のところ1年で5千円の元は十分に取れる。
しかし、問題は、便利で、楽で、得だというだけでなく、これを貰うことによって、京都市が認める公認の「70歳以上の老人」になったということである。別の言い方をすれば、本人がどのように思おうと思うまいと、そのことを受け入れるか受け入れないかに関係なく、京都市の市長が「あんたは老人になったのですよ」と宣言したことになる。私にとっては、宣言されたことになる。まあ、しかし、その日から「敬老乗車券」を使わせていただいているのだから、自分でも受け入れたのだから、仕様がないか。
ただ一つ気になるのは、地下鉄の自動改札機を通る時、機械の30センチほど上にあるバーの一部が緑色に光って、「敬老」というランプがつくのである。地下鉄に乗るたびに「わたしは70歳以上の老人です」と周りの人々に言い回っているようで、いささか恥ずかしい。
今までは、地下鉄やバスに乗るとシルバーシートには、空いていてもその前に立っていた。どこに座っていても老人が乗って来ると反射的に席を立ち上がっていた、しかしもうあれは止めよう。京都市長から、「あんたは老人ですよ」と宣言されたのだから。
「 楢山祭りが三度来りゃよ
栗の種から花が咲く
もう誰か唄い出さないものかと思っていた村の盆踊り歌である。今年はなかなか唄い出さなかったのでおりんは気にしていたのである。この歌は三年たてば三つ年をとるという意味で、村では七十になれば楢山まいりに行くので年寄りにはその年の近づくのを知らせる歌でもあった。」
これは、深沢七郎著「楢山節考」の冒頭の一節である。
「塩屋のおとりさん運がよい
山に行く日にゃ雪が降る」
村では「山へ行く」という言葉には二通りの意味があり、一つは、山へ薪をとりに行く、炭を焼きにいくという意味で、もう一つは、年寄りが七十歳になると深い深い楢山へ捨てられに行くという習わしのことをいう。神が住んでいるという楢山は、七つの谷と三つの池を越えていく遠い所にある山で、雪が降り積もると行けない山で、これは雪の降る前に行けという教訓を含んだ歌である。
主人公のおりんは、ずっと前から「楢山まいり」に行く気構えをしていた。行くときの振舞酒を準備し、山へ行って座るむしろなどは三年も前から作っておいた。息子の後妻も決まり、その後妻に教えるべきことはすべて教えた。心静かにお山の神さんの所へ連れていってもらえるのを待っている。
そうかあ。70歳になったら姨捨山かあ。心静に心構えをし、その時の来るのを待っているおりんばあさんの気持ちと重なり、70歳の感慨にふけっている。
この世に生まれて来たのは1936年、昭和11年。あの「二・二六事件」の4ヶ月後。その時から数えて、25,550日。3、650週。
定年退職の日まで、あと9ヶ月。39主日。
身体的・精神的状況は、目はかすみ、耳は遠くなり、手足が震え、動きが鈍くなり、食欲、性欲とも減退し、味覚がわからなくなり、高い声は出なくなり、音程は狂い、全身の皮膚はたるみ、筋肉は衰え、体全体の皮膚がかゆくなり、高い所には登れなくなり、何事にも集中力がなくなり、怒りっぽくなり、人のいうことを聞かず、独善的になり、テレビを見ながらブツブツ文句を言い、昔の思い出話を誰彼かまわず長々と聞かせ、ヒマさえあれば居眠りをし、夜寝るのが早く、朝起きるのも早い。その他数々の症状が現れ、にも関わらずそれを認めようともしない。これらの老人共通共有の症状のいくつかが現れつつある。
とくに、人間の基本的欲望として、「個」の保存もあまり必要でなくなり、「種」の保存のための責任ももう果たしたので必要がなくなった。あとは、サッカーでいうロス・タイムをいかに有効に使うかが問われる。
70歳の誕生日の今日、写真屋さんにお願いして、葬送式用の写真を撮ってもらった。
〔2006年6月29日〕