イエスの顔の様子が変わられた。
2006年08月08日
ルカ福音書9:28〜36
今日、8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。61年前、広島ではその年の末までに14万人の人たちが原爆の熱と炎と放射線と爆風によって死にました。
今日、私たちは、改めて心から平和のために祈り、このことを確認したいと思います。
そして、今日は、教会の暦では、「主イエス変容の日」という特別の日です。この日は、御子をお遣わしになった神が、御子イエスの公生涯の半ばで、父と子の関係を確認し、これからなさろうとする出来事を確認しておられることを知る日です。
主イエスが育ったナザレから約10キロメートル東南にタボル山という山があります。エズレル平原の北西にあり、まわりには山がない見渡す限りの平原に、ほんとうにお椀を伏せたような形の山で、高さは588メートルで、それほど高い山ではありませんが、平原の真ん中にぽつんと立つ山ですからどこからでもよく見える山です。その山頂に立ちますと、四方に広がるエズレル平原を見渡すことができ、さらにそこからは西にカルメル山、北に遠くヘルモン山をも望むことができます。
このタボル山は、伝説的に、主イエスが山の上で顔が変わり、衣服が真っ白に輝いたという「主イエス変容貌」の出来事が起こった山であると言われます。ローマ帝国にキリスト教を受け入れた皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが、西暦326年、この山の山頂に教会を建てました。さらに7世紀には、イエスとモーセとエリヤのために3つの教会が建てられていたと言われます。しかし、12世紀には、十字軍がイスラム教徒と争った時、エジプトの王サラディンによってことごとく破壊され、その後600年間にわたって荒れたまま放置されていました。19世紀の終わりごろ、ギリシャ正教によって教会と修道院が建てられ、さらにローマ・カトリックのフランシスコ会によって、立派なラテン風(バジリカ風)の教会が建てられています。
このカトリック教会の礼拝堂に入りますと、祭壇の上の天井が大きなドームになっていて、そこに、3人の人物が描かれています。真ん中にイエス・キリスト、そしてその左右にモーセとエリヤが、白い雲に取り囲まれて話しているような姿で立っています。美しく彩色されたモザイク画でした。 祭壇に近い会衆席の中央に座って、この天井画を見上げると、山の上でペトロ、ヨハネ、ヤコブが見た光景はこのようなものであっただろうと思うような雰囲気のなかに囲まれます。
主イエスは、ナザレの村から、突然、人々の前に姿を現して、福音宣教の活動を始め、そして、捕らえられ、十字架につけられ、亡くなるまで、その期間は、3年間でした。その3年間の半ば、弟子たちに「自分はまもなく長老、祭司長、律法学者から排斥されて殺され、3日目に復活することになっている」とご自分の死と復活を予告されてから、そのすぐ後で、ルカによりますと8日後とありますが、この出来事が起こりました。
主イエスは、弟子たちの中からペトロ、ヨハネ、そしてヤコブの3人を連れて、祈るために山に登られました。
山の頂上で祈っておられる間に、「主イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝き」ました。
かつて、モーセが、シナイ山において十戒を授かり、掟が刻まれた2枚の石の板をかかえて山から下りて来たとき、その時のことが出エジプト記34:29〜30に、このように記されています。
「モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。アロンとイスラエルの人々がすべてモーセを見ると、なんと、彼の顔の肌は光を放っていた。彼らは恐れて近づけなかった。」
神と顔を合わせ、神と語った者は神の栄光、神の光を受けて、顔の肌が光を放っていたと記されています。
主イエスが山の上で、祈っておられる姿は、父である神にまっすぐに向き合っている時であり、顔と顔を合わせておられる時です。
「イスラエルの人々がモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は光を放っていた」(35節)と伝えているのと同じように、3人の弟子たちは「主イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いて」いるのを見ました。
さらに不思議な出来事が起こりました。見ると、2人の人が現れて、イエスと語り合っているのです。その2人とは、モーセとエリヤでした。
2人とも旧約聖書に登場する人で、その当時の人たちなら誰でも知っている有名な預言者でした。
モーセは、神に命じられてエジプトの地で苦しんでいたイスラエルの民をエジプトから脱出させ、神は、モーセを通して十戒をはじめ多くの掟を授け、民族の繁栄と救済の約束をされました。モーセは、律法を代表する人として知られていました。
また、エリヤは、紀元前9世紀に北のイスラエル王国において活躍した預言者でした。北イスラエルの王アハブは、ツロの王エテバアルの娘イゼベルと結婚したため、バアル神を信仰していたイゼベルはイスラエルの神への信仰を否定し、これを根絶やしにしようとしました。そこの現れたのが預言者エリヤで、「ヤーウエの神か、バアルの神か」と、イスラエルの人々に迫りました。エリヤの使命は、イスラエルの民をモーセが説いた信仰に立ち帰らせることにありました。エリヤの生涯の最後はつむじ風によって天に上げられたと伝えられ、主イエスの時代には、旧約聖書の最後の書、マラキ書3:23に「見よ、わたしは、大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす」とあることから、最後の審判の前には人々の悔い改めと立ち帰りのために、エリヤが現れると考えられていました。
山の上で、主イエスは、神の栄光に包まれて現れた、律法を代表するモーセと、預言者を代表するエリヤと共に話しておられます。その姿を弟子たちは見ました。何を話しておられたのかというと、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」話しておられたと、ルカ福音書の記者は記しています。
主イエスが、弟子たちにご自分の身に間もなく起ころうとしていること、十字架に架けられて死ぬこと、そして3日目によみがえるであろうということを予告されました。
それは、第1に、神の御心によってそれが行われようとしていることです。すべての人々のために、神はその独り子である主イエスの命を与え、これによってなそうとしておられる神の計画が、今、まさに成し遂げられようとしています。
主イエスの死とよみがえりは、たまたま起こったことではありません。確かに、ユダヤの祭司長や、祭司たち、長老や律法学者たちの謀略、ねたみ、陰謀によって、そして、直接には、イスカリオテのユダが手引きをしました。神がなさろうとする人類救済のドラマ、舞台の幕は、彼らによって開かれました。しかし、彼らは単に「幕引き」の役割を果たしたにすぎません。脚本を書き、ドラマ全体の演出をされたのは神のほかありません。神の思い、強い意志によってすべてが勧められたのです。
この山の上で、主イエスの顔の様子が変わり、服が真っ白に輝きました。その瞬間は、父である神と、子である主イエスが、まっすぐに向き合い、これから起ころうとする十字架と復活の出来事を、神の御心を、御子の忠誠を確認しておられる、まさにその瞬間です。
第2に、主イエスが、モーセとエリヤとともに話し合っておられたということは、それは、律法と預言に照らし合わせて確認しておられる姿でありました。神は、決して思いつきで、気まぐれで、これから起こる出来事を遂行されるのではありません。過去において、イスラエルという民族の長い歴史の中で、約束し、命令し、呼びかけ続けてこられたことが、今、成就されようとしています。約束が果たされようとしているのです。そのことを確認するかのように、律法と預言を代表する人物と、これからエルサレムで起ころうとすること、成し遂げられようとする主イエスの最期について話し合っておられことを現しています。
ところが、ペトロたち3人の弟子たちは、これにどのように反応したでしょうか。モーセとエリヤの2人が主イエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言いました。
「先生、わたしたちがここにいるのは、なんてすばらしいのでしょう。ここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロたちは、この光景に舞い上がってしまって、どうしていいのかわからない。自分を失って、自分でも何を言っているのか、分からなかったと記されています。「仮庵の祭り」というユダヤの豊作を感謝する祭りの習慣を思い出して、仮庵、3つの仮小屋を建てましょうと、全くピントはずれの提案を口走ったのでした。
そのうちに、雲が現れて彼らを覆い、彼らが雲の中に包まれていきました。弟子たちはその光景に恐れました。
すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえました。その声がしたとき、そこには主イエスだけが祈っておられました。
弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話すことはありませんでした。
「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」
この言葉は、主イエスが初めて人々の前に姿を現し、洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった時、「洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」(ルカ3:21〜22)と記された聖書の言葉を思い出します。この時も、そして、この山の上でも、「わたしの愛する子」であることをやはり確認しておられます。
最期に、もう一個所聖書の個所を思い出していただきたいと思います。
主イエスは、弟子たちと最期の晩餐をして、その後、いつものようにオリーブ山に行かれました。弟子たちも従って行きました。いつもの場所に来ると、主イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われました。そしてご自分は、石を投げて届くほどの距離の所に行き、弟子たちと離れ、ひざまずいて祈られました。
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」と記されています。主イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻ってみると、彼らは眠り込んでいました。
あの山の上で確認された、父である神のご計画は、ほんとうにむごいものでした。捕らえられ、茨の冠を被せられ、こづかれ、唾を吐きかけられ、侮辱の言葉でののしられ、鞭で打たれ、一晩中裁判のために引き回され、そして、重い十字架を背負って、ゴルゴタの丘に連れていかれ、十字架に手と足を釘付けにされ、つるされ、息をひきとられたのでした。
それは、誰のためですか。何のためですか。
そして、同時に、神ご自身が、傷つき、苦しみ、もだえ、痛んでおられるのです。その出来事について話し合っておられたのです。あの山の上で栄光に輝く主イエスの姿のほんとうの姿は、その栄光は、この時に現されたのでした。
私たちは今日、このことを確認しておられる、父と子の姿を見るのです。
〔2006年8月6日 主イエス変容の日(B年) 説教〕