殉教者おとめアグネスの日に学ぶ

2007年01月21日
今日の主日は、「顕現後第3主日」と定められた日です。  私たちの教会では、定められた教会の暦にしたがって、礼拝をし、信仰生活を守っています。  この暦には、降誕日(クリスマス)、復活日(イースター)、聖霊降臨日(ペンテコステ)などの大祝日または主要祝日と言われる日があり、その他の祝日、そして、小祝日と呼ばれる日があります。その他の祝日は、使徒聖アンデレ日、使徒聖トマス日、福音記者聖マルコ日など、聖書に出てくる主イエスの弟子たちや使徒、福音書の記者などを記念して祝われます。  さらに、「小祝日」というのは、聖書に出てくる人たち以後の、教会の歴史の中で、人々の模範となるような信仰に生きまたは殉教した人々を記念する日が定められています。  さて、今日は、1月21日、この日は、「殉教者おとめアグネス」を記念する日と定められています。私たちの教会は、「聖アグネス教会」という名がつけられていますが、この聖アグネス、殉教者おとめアグネスとはどのような人だったのか、学んでみたいと思います。  アグネスとは、ラテン語で「小羊」を意味します。ギリシャ語では、hagnos 清い、純潔な、純真な、という意味です。  アンブロシウスが、聖アグネスの伝記を書いています。  アグネスは、3世紀の終わりごろ、ローマの名門、クラジオ家に生まれ、両親は、ローマ城外に豪邸を構える貴族、名門、財産家でありました。まだ、ローマ帝国ではキリスト教が認められていない時代です。キリスト教徒には、厳しい迫害が続く中、地下に潜ってひそかに信じられ、広がっていました。  アグネスの両親は、両親は、ひそかにキリスト教の洗礼を受け、クリスチャンになっていました。その影響を受け、アグネスは小さい時からクリスチャンとして育てられました。  その伝記には「彼女は13歳の時に死を失い、永遠の生を見いだした。彼女は年齢より若く見られたが、その考えは成熟していた。体は子どもであったが、心は大人であった。顔も美しかったが、その信仰は、顔よりもはるかに美しかった」とあり、まことに思慮深い、聡明な少女でありました。  ある時、ローマの都の執政官(市長)の息子が、アグネスを見そめて、その美しさと家柄に心をひかれて、結婚を申込みました。彼は熱心に彼女をくどきました。しかし、アグネスは、すでに心も体も神に献げようと決心し、キリストの花嫁になることを誓っていました。  そこで、アグネスは、「あなたのご親切には言葉もございませんが、私にはもう夫とすべき方が決まっておりますから」ときっぱりと断りました。執政官である父親は、息子が日に日にやつれていくのを見てしのびず、アグネスの両親に再三縁談を持ちかけましたが、アグネスの答えはいつも同じものでした。  アグネスの言葉に疑問を持っていたその時、たまたま彼女がキリスト教徒であることを知り、アグネスに牢に入れるぞ、信仰を捨てて、息子の嫁になるか、それとも拷問のすえに火あぶりにされたいかと、これを種にして脅しました。年端もいかない小娘のこと、拷問や火あぶりなどというとびっくりして信仰を捨てるだろうと思っていましたが、それでもアグネスは信仰を捨てようとしません。  まったくあてがはずれて怒り狂った執政官は、家来に命じて彼女を捕らえさせ、ローマのヴェスタ女神の神殿の前に連れて行かせ、キリスト教を捨てるしるしに偶像に焼香させよと命じました。  アグネスは、「私は全能の神を信じます。その方だけを信じます。この方は全世界を造り、私たちの愛するローマ帝国を守り、繁栄させてくださいます」と言って、偶像を拝むことを拒絶しました。 さらに、その祭壇の前で十字を切ると、不思議なことに異教の神を祀るその祭壇の火が消えたといいます。まわりの人々は、この女は、火を汚した、女神のたたりがあると言って騒ぎだしました。  ローマの執政官は、アグネスを死刑執行人の隊長に引き渡しました。死刑執行人はの隊長は、アグネスをしばらく牢獄につなぎ、そして、城壁の中庭で鞭打ちの拷問の後、処刑しようとしました。  中庭の真ん中に立てられた杭に縛りつけられ、鞭で打たれようとする時、アグネスは言いました。  「隊長さん、あなたは、なんとかして私にキリスト教を捨てさせ、私を助けようとしてくださいました。でも、あなたよりずっと力の強い神さまが私を助けてくださいます。」  死刑執行人の隊長が、今、まさに鞭を打ち下ろそうとする時、取り囲んでいたローマの兵士たちの中から声がしました。  「待ってください」  大柄の屈強な兵士が一人、輪の前に進み出てきました。  「その娘を、わたしの妻にします」  当時の風習で、キリスト教徒で捕らわれている女の囚人は、兵士の一人がこの女の囚人を妻に望むなら、この女が、キリスト教を捨てさえすれば、直ちに処刑をとりやめ、この兵士に与えられることになっていました。  隊長は、アグネスに言いました。「お前が、キリスト教を捨てさえすれば、お前の命は助けてやる。」  アグネスは言いました。「あの方は親切な方です。信者であればいいのに」  「そんなことはどうでもいい。キリスト教の信仰を捨てるのかどうか、わしは聞いておるのだ」  すると、兵隊たちの中から、「あいつが気にいらないというのなら、わたしに下さい。わたしがかならずキリスト教を捨てさせて、妻にしてみせます」  「いや、わたしが」「わたしが」と、次々と兵士たちが名乗り出て、隊長の回りに、人垣ができました。  隊長は、目を光らせ、アグネスをにらみつけて言いました。 「お前が、この男たちの中から、夫を選ぶがいい。幸せなこった。」 すると、アグネスは言いました。  「わたしは、わたしを初めて選んでくださった方のものになります。」  「じゃ、この男か」  「いいえ!」  「じゃ、いったい誰だ?」 隊長は、怪訝な顔をしました。  「イエスさまです! イエス・キリストです!」  死刑執行人の隊長は、「首を切れ」と命じて立ち去りました。  さらに、伝説として伝えられるところでは、アグネスは、罰として売春宿に売り飛ばされようとし、群衆の面前で一糸まとわぬ裸にされようとしたとき、アグネスの髪の毛がふさふさと瞬時に伸び、彼女の体は、人目にさらされようとする前に、全身髪の毛で覆われたと言われます。  また、執政官の息子が、彼女の体に触れようとした時、悪魔に首を絞められて殺されてしまい、父親の執政官が、涙を流してアグネスにお願いし、アグネスが一心に祈ると、その息子が生き返ったという話もあります。  そのような奇跡が起こったと伝えられる伝説とともに、聖アグネスの名は、長く教会の歴史の中に残りました。  アグネスは、304年ごろ殉教したとされていますが、313年に、ローマ帝国では、キリスト教に対する寛容令が出され、公認されることになりましたから、アグネスの死は、その10年ほど前のことだったということになります。  アグネスの遺体は、両親の家、クラジオ家の地下墓地に葬られ、その後、その墓の上に、美しくて立派な聖アグネス聖堂が建てられ現在にいたっています。  さらに、聖アグネスは、殉教後しばらくして子羊を抱いて現れ、両親や友人を慰めたといいます。  このような、聖アグネスの伝記やこれにまつわる伝説から、たくさんの聖画が描かれています。長い髪の毛が背中から足元にまで伸び、左手の子羊を抱き、右手に棕櫚の枝を持ち、白百合に囲まれてたたずむ聖アグネスの姿が描かれています。  このようなところから、聖アグネスは、「純潔」をあらわす少女の守護聖人とされています。  1875年(明治8)年、大阪の川口において、米国聖公会の婦人宣教師エレン・G・エディによって、ミス・エディの学校が始まりました。1880年(明治13)年、「照暗女学校」と名づけられたのですが、その時に、この女学校の英語名を「セント・アグネス・スクール」とされました。  1894年(明治27年)、大阪の川口から京都のこの場所に、学校は移転し、その時に「平安女学院」と名称が改められましたが、「セント・アグネス・スクール」という英語名は、そのまま用いられています。1930年(昭和5年)、平安女学院では、「殉教者おとめ聖アグネスの日」1月21日を、学校の創立記念日と定め、その時代に、この教会の名称が「聖三一教会」から「聖アグネス教会」となりました。 ペテロの手紙��3:14〜18、22  14:しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。15:心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。16:それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。17:神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。18:キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。22:キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。  アグネスは、この聖書の言葉をそのまま生きた女性であったということができます。  私たちが、今、持っている信仰は、二千年もの長い間、守り続け、語り継がれて、私たちのところに伝えられたものです。  神を、主イエスを信じて、命がけで信じて、証しし、私たちは多くの証人が証しした信仰を、これを聞いて、これを心に受けて、信じているのです。  世界中に広がる、その時代、それぞれの時代の人々の中に、一人ずつ、ドラマがあり、苦しみや喜びを伴って、私たちのところに伝えられているのです。その中には、有名な、歴史に名が残る人もいれば、無名で、誰にも知られず、主を信じ、主を証しして死んで行った人たちも無数にいます。  私たちを取り巻く無数の信仰の先輩に思いを馳せ、一貫してその中に流れ続ける神のみ力と、恵みの大きさに感謝しなければなりません。そして、私たち自身が、信仰を証しする人になりたいと思います。今の、この社会にあって、証しする信仰を持ちたいと思います。 <殉教者おとめアグネス日特祷>  全能の神よ、あなたはみ力と恵みによって、聖なる殉教者おとめアグネスに、苦難に勝ち死に至るまで忠実である生涯を与えられました。どうか恵みをもってわたしたちを強め、どのような迫害にも耐え、主イエス・キリストのみ名を忠実に証しすることができますよに、主は父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられます。アーメン 〔2007年1月21日 顕現後第3主日(C年) 説教〕