ほんとうの平和

2007年08月19日
ルカ福音書12:49〜53  旧約聖書のミカ書7章4節〜7節に、このような個所があります。 「4:彼らの中の最善の者も茨のようであり  正しい者も茨の垣に劣る。  お前の見張りの者が告げる日  お前の刑罰の日が来た。  今や、彼らに大混乱が起こる。 5:隣人を信じてはならない。親しい者にも信頼するな。  お前のふところに安らう女にも  お前の口の扉を守れ。 6:息子は父を侮り  娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。  人の敵はその家の者だ。 7:しかし、わたしは主を仰ぎ  わが救いの神を待つ。  わが神は、わたしの願いを聞かれる。」  預言者ミカは、紀元前8世紀後半、南ユダで活躍しました。紀元前725年ごろから701年ごろまで、その時期にはサマリヤがアッシリアによって滅ぼされ、預言者ミカは、サマリヤが偶像崇拝の罪のために神のさばきによって滅ぼされ、エルサレムもそこに住む人々の不正義によって神の審判を避けることができないことを語りました。預言者ミカの預言は、神の審判、神の審きを述べ伝えることにありました。  神の意志に背き、不正を行い、神に対する不信仰を表し続ける者は、神の刑罰を受けます。その神の審判が始まった時には、隣人を信じられないようになり、親しい人を信じられなくなり、ふところに安らう女でさえもしんじられなくなる。そして最後には、家族の関係は損なわれ、敵対するものとなる。  社会の中心にある神のへの不信仰は、神によって審かれ、それはこのような形で現れると預言しました。  さて、今日の福音書では、主イエスは、700年前に語られた預言者ミカの預言を受け、「わたしがこの世に来たのは、あなたがたに審判もたらすために来たのであり、そして、あなたがたに救いを与えるために来たのだ」ということを述べます。  ルカ福音書12章49節から 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。  その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。  しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。  それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。  あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思う のか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。  今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三 人と対立して分かれるからである。   父は子と、子は父と、   母は娘と、娘は母と、   しゅうとめは嫁と、 嫁はしゅうとめと、   対立して分かれる。」  「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」  私たちは、みんな平和を求めています。世界中の人たちが平和に過ごせますようにと願い、みんな仲良く生きましょうと、そのように思っています。しかし、一方で、ほんとうの平和とは何ですか、表面的な見せかけではない仲良しとはどういうことですかと、問い直されますと困ってしまいます。  「主にある平和。」 ほんとうの平和は、主イエスのみ心が行われるところにのみあります。主のみ心が、この世において完全に行われるところにほんとうの平和があります。私たちはそのように信じています。  ところが、私たちが神を信じて生きようとすると、真剣に、神のみ心に従おうとすればするほど、主イエスがここで語っておられる「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」という言葉にぶつかります。  マタイによる福音書は、このように伝えています。(10:34〜39)  「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。   人をその父に、   娘を母に、   嫁をしゅうとめに。  こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。  自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」  もっとはっきりと「平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」と宣言されます。  主イエスがこの世に来られ、私たちが主イエスに出会うということは、私たちの信仰をあいまいなままでいいよと言われるのではなく、わたしに従うのか、従わないのか、信じて生きようとするのかそうでないのか、はっきりさせなさいと迫られます。  私たちが真剣に、主イエスと向かい合うとき、一対一で向かい合うとき、決断を迫られ、信仰に生きようとすると、人間関係や家族関係に敵対する問題も起こって来ます。  今日は少しだけ私の体験談をさせていただきたいと思います。  私は20歳の時に洗礼を受けました。その時には父も母も何も言いませんでした。  大学の4年生のとき、就職を前にして、もう少しキリスト教のことをよく勉強して、クリスチャンとしてどこかキリスト教の施設で働きたいと思いました。  ある日、自分が通っている教会の牧師のところへ行き、キリスト教のことをもっと勉強をしたい、神学校という所はアルバイトをしながら通うことはできますかと相談にいきました。  その牧師さんは、いろいろなことを教えてくれて、神学校の授業料や寮費のことは心配しなくてもいいと言い、突然、祈りましょうと言って、祈りはじめました。その祈りの中で、「この青年によき志しを与えて下さって感謝します」というようなことを祈り始めたので、ちょっと違うのだがなあと思いながら、最後に牧師さんが「アーメン」と言ったので、私も「アーメン」と言いました。  神学校で勉強したいということは牧師になりたいということなのだということも知らないで相談に言ったのでした。牧師さんは誤解してると思いましたが、深く考えもせず、帰りました。  その年の夏の初めに、父が、就職はどうするのかと聞いたので、神学校へ行きたいと思っていると答えました。父はすぐに反応して牧師になるなんて、絶対にゆるさんと怒り出しました。母も一緒になって反対しました。  私は、長男で、下に妹2人と弟がいます。家の状況は貧困で、細々となんとか生活しているという状態でした。父や母の願いとすれば、やっと長男が大学を出る、少しは生活も助けてもらえると思い、早く楽になりたかったのだと思います。クリスチャンでない父の方がいろいろなことを知っていて、牧師の生活というものは清貧に甘んじるものであること、なんでそんな生活を選ぶのかと言うのです。  父は、最後には、どうしても自分の意志を通すのならば、家から出て行け、勘当だ、親子の縁を切ると言いました。そして8月末までに自分で決めろと迫りました。  最初は、神学校へ行くこともあいまいな希望だった私ですが、父の反対を受け、勘当だと言われて、真剣に考えることになりました。父は牧師の所へ行って、息子は牧師になれるような男ではないと談じ込みました。牧師さんは、お父さんの気持ちもよく分かる。あとは気味の気持ちしだいだと言いました。  貧しいながらも家族6人、平和な団欒の食卓を囲む賑やかな家庭でした。ところが父も母もものを言わなくなり、妹や弟も雰囲気を察してしゃべらなくなり、私が自分の意志を通そうとしたために、なんともいえない暗い毎日が続きました。  ところが、父が反対すればするほど、私の内側で、神学校へ行きたい、牧師になりたいという気持ちが強くなっていったのです。  あの牧師さんがお祈りをしたとき「アーメン」と言ったのだ。あの時、神さまと約束してしまったのだという気持ちが強くなってきました。父の反対に遭って、かえって私の気持ちが固くなり、どうしても牧師になりたいと思うようになりました。親に反対されたぐらいで気持ちが変わるようでは何をしてもだめだと、決心が強くなりました。  父ががみがみ怒鳴っている時には、じっと我慢ができたのですが、夜中に眠れないでいると、開け放した襖の向こうで、父がやはり眠れないのか腕組みをして布団の上にいつまでも座っている姿を見た時には涙がとまりませんでした。暑い中を、8月の末までもんもんとして過ごしました。  8月もあと2日で終わりという頃でした。家を出る決心をして、大学だけは卒業したいので、身の回りのものを持って友だちの家にでも転がり込もうかなどと考えている時、ぼんやり考え込んでいる私のところに父がやってきて、  「こんなに親が反対しても、どうしても神学校へ行きたいのか」と言いました。  「行きたい。」  「いろいろな人に相談したが、みんないいじゃないかと言う。いろいろ考えたが、自分の好きなようにしろ。そのかわり、途中で後戻りしたり、挫折したりしたら、おれはほんとうにゆるさん。それから、今後、経済的な援助は一切しない。いいかっ。」 と言ってゆるしてくれました。  昭和35年、1960年の夏でした。47年前のことです。  その後、私が東京の神学校に在学している間に、父と母は、私が通っていた教会に通い始め、洗礼を受け、堅信式を受けました。  卒業して2年後に、私は司祭になり、初めての聖餐式に、誰かに勧められて、両親が一番先に陪餐に出てきました。両親がひざまづいて私の前に手をさし出した時には、目が曇って、言葉が出なくなってしまったことを思い出します。  主イエスがお出でになるということ、主イエスと出会うということ、主イエスに従おうとすることは、こういうことだったのだと思い知らされました。 「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」  この聖書の言葉に出会ったには、そのあとのことでした。  自分の体験を長々と話してすみません。私の小さな信仰の証しとして聞いていただきたいと思います。  8月は、6日広島、9日長崎、15日終戦記念日と、ほんとうの平和について考える時です。  私たちが「ほんとうの平和」を、そして「主にある平和」について、考える時。  いや、自分の信仰について、心に剣が、火が投げ込まれる時、私たちの信仰の在り方が問われる時であると思います。       〔2007年8月19日 聖霊降臨後第12主日(C-15)〕