愛 の 実 践

2007年09月08日
フィレモンへの手紙1:1〜20  今日は、使徒書からご一緒に学びたいと思います。  先ほど読まれた使徒書は、フィレモンへの手紙1章1節から20節です。  使徒パウロのことは、「使徒言行録」に記されています。主イエスには12人の弟子がいましたが、パウロは、この12人の中には入っていません。主イエスが亡くなられた後になって、クリスチャンになった人です。パウロは、熱心なユダヤ教徒で、彼が若者であった頃には、十字架につけられて死んだ、ナザレのイエスという男を信じているクリスチャンと呼ばれている人たちを、とんでもない集団だとして、迫害する方の側にいた人でした。  そのパウロが、ダマスコへ行く途中で、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するにか」という主イエスの声が天から聞こえて、道端に倒れ、目が見えなくなりました。同行していた人たちに連れられてダマスコへ行き、アナニアという主イエスの弟子に会い、アナニアによって、主イエスのことを教えられ、聖霊に満たされて洗礼を受けました。  今までクリスチャンを迫害していた人が回心したのですから、なかなかエルサレムの弟子たちのはすぐには受け入れてもらえなかったのですが、バルナバの仲介で、だんだんと信用されるようになり、宣教活動をする人として認められていきました。  サウロは、パウロと名を改め、異邦人伝道に命をかけました。3回も、地中海沿岸の伝道旅行をし、たいへんな苦労をしながら、ギリシャやローマの町に、教会の基礎の基礎を築いていきました。  私たちの手にある聖書、この新約聖書は、目次を見ますと、27巻ありますが、その内、「ローマの信徒への手紙」から「フィレモンへの手紙」まで、13巻は、パウロが書いた手紙だと言われています。パウロが旅先から書き送った教会の信徒たちへの手紙、そして、個人宛の手紙からなっています。これらの手紙の中で、イエス・キリストの教えと十字架そして復活の出来事から、キリスト教の救いの教理を展開し、イエス・キリストとはどんな方か、この方を信じて生きるとはどういうことかということを順々と説き、展開しています。  今、読まれた「フィレモンへの手紙」はその13番目の手紙で、たった1章しかない一番短い手紙です。パウロがフィレモンという個人に宛てて書いた手紙です。  フィレモンという人は、ローマの属州アジア州のコロサイという町に住むお金持ちで、多分、エフェソにおいて、パウロによって信仰に導かれた人だろうと言われています。コロサイの教会に属し、また家族を中心に家の教会をつくり、さまざまなよき奉仕をしていた人でした(1、2、7節)。  この当時、お金持ちの家には、大勢の奴隷がいて、ご主人の仕事を助け、外の農作業の仕事から家事の細かいことまで行っていました。  ここで、少し、その当時の奴隷制度について知っていただきたいと思います。  もちろん私たちが住むこの時代には奴隷制度というものはありません。しかし、古代社会から中世、近代にいたるまで、この制度はありました。  奴隷というのは、人間が人間によって所有され、財産の一部とされるという制度です。人間が物として扱われて、社会全体がこれを当然のこととして、正当化していました。ギリシャでは、奴隷のことを「生きた道具」と言われ、ローマでは「話す道具」と言われました。ことの起こりは、部族と部族、国と国が戦争をしますと、負けた方の国や部族の指導者や兵隊、そして重だった住民は捕虜とされ、勝った方の国に連れて行かれて奴隷として働かされたことから始まります。厳しい労働が課せられ、食べるものは与えられますが、給料はもらえず、生かすも殺すも所有者であるご主人の意のままという身分でした。奴隷の子は、奴隷として扱われ、売買されていました。旧約聖書の時代のずっと古い時代から、男奴隷や女奴隷のことが描かれています(民数記31:32-47、ヨシュア9:22-27、エゼキエル44:7-9、エズラ8:20)。  主イエスの時代ももちろん奴隷制度がありました。私たちには、今、大変な人権問題だ、そんなことがあってはならないと思えるのですが、当時は、この奴隷制度によって、農作業やさまざまな産業が維持され、当然の社会制度として、受け入れられていました  このような、社会的な背景の中で、パウロはフィレモンに手紙を書いているのです。  パウロがフィレモンに宛てたこの手紙は、捕らえられて牢獄の中から書き送られた手紙です。パウロが、切々とある一つのことをお願いする手紙であり、個人的な手紙です。  まず、手紙の書き出しの挨拶があります。  「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」(1-3)  そして、その次に、フィレモンが持っている愛と信仰のについて、いろいろなことを聞いていて、感謝し、祈り、そして元気づけられていると述べます。  「わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。」(4-7)  そして、いよいよパウロがフィレモンにお願いしたいことの本題に入ります。  「 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが、監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。」  わたしは、あなたを信仰に導いた先生であり、恩人なのですから遠慮なく命令してもいいのですが、そうはしたくありません。むしろ、あなたの心の中にある、あなたの愛に訴えてお願いしたいと思います。もう年をとって老人となり、そしてキリスト・イエスのために捕らわれて、厳しくてつらい環境にあるこの牢獄から、お願いするのです。この監禁されている牢獄の中で、わたしが産んだ子ども(パウロは男ですし、パウロが子どもを産むはずはないのですが、愛しい子どもを産んだ母親のような気持ちで)オネシモのことについてお願いしています。  実は、このオネシモは、お金持ちでクリスチャンであるフィレモンが所有する奴隷だったのです。若い青年だったようです。このオネシモが、何かの事情で、ご主人のフィレモンの所から逃げてきたのです。逃亡奴隷に対しては、厳しい処罰が待っています。とことんまで探し出して連れ戻され、処罰を受け、もっと厳しい労働が与えられるような所へ売り飛ばされたりします。逃亡した奴隷オネシモは、パウロの所に頼って来て、パウロのもとで、何かとパウロの世話をし、パウロの導きによって、洗礼を受けクリスチャンになったのです。「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」というのは、このことを言っています。  パウロは、手紙を書き進めます。  「オネシモは、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにも、わたしにも役立つ者(オネシモとは「有益な者」という意味)となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。」(11-14)  オネシモは、以前は、あなたにとって、あまり役に立たない奴隷でした。あまり働かない奴隷なのか、素直にご主人の言うことを聞かない奴隷なのか、何も能力のない奴隷だったのか、くわしいことはわかりません。しかし、今は、あなたにとっても、わたしにとっても役立つ者になっています。わたしは、今、このオネシモをあなたのもとに送り返します。  ほんとうは、わたしはあなたを信仰に導いた者、あなたの指導者、あなたの先生なのですから、牢獄につながれているわたしのためにあなたに来て貰ってあなたの世話を受けたいところですが、それも出来ず、そのあなたに代わって、あなたの代わりに、オネシモにここにいて貰ってわたしの世話をしてもらってもいいのではないかと思ったのですが、しかし、あなたの承諾なしには何もしたくありません。わたしが強制したからとか、命令したから、あなたがそれに従ったというのではなく、あなたの方から自発的にそのようにしてほしいのですと、パウロは言います。  さらに続けます。  「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは、とくにわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。」  パウロは、このようにフィレモンに、愛によって逃亡奴隷オネシモを受け入れてくれるように、切々と訴えています。理屈で愛を説くだけでなく、実際に一人の人を前にしてキリスト教の愛の実践を迫っています。  パウロは、ローマの信徒への手紙12:9-10でこのように述べています。 「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」  また、コリントに信徒への手紙一、13章では、有名な愛の讃歌と言われるこのような教えを書いています。  「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。  それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」  パウロは、愛について教えたり話したりするだけでなく、実際に愛を実践して、このような切々とした手紙を書きました。  愛というのは、いろいろ説明されますが、しの一つに「寄り添う心」というものがあります。パウロは、逃亡奴隷オネシモに寄り添い、そして、フィレモンにも最大限の言葉を使って心遣いをし、配慮しながら、寄り添っています。  いろいろな愛の姿がありますが、真っ直ぐに向かい合う愛ばかりではなく、このように寄り添う愛し方について学びたいと思います。 〔2007年9月9日 聖霊降臨後第15主日(C-18)〕