<b>説 教 ザアカイの決心</b>
2007年11月04日
ルカ19:1〜10
今日の福音書は、「徴税人ザアカイ」の話です。昔、日曜学校で子どもたちに紙芝居やお話で、このザアカイ物語をよく語りました。久しぶりに、子ども向けにザアカイさんのお話をしたいと思いますので、子どものような気持ちになって聞いてください。
エリコという街に、ザアカイさんという人が住んでいました。ザアカイさんは、徴税人のかしらでした。徴税人というのは、王様から税金を取り立てる仕事を与えられていて、ユダヤ人から税金を取立て、道路を通る人からは通行税を取り立てていました。徴税人はきびしく税金を取り立て、必要以上に高い税金を取り立てて自分の儲けにしている人もいましたから、当時のユダヤ人からは、徴税人というと、人を苦しめている人たち、罪人だといわれて嫌がられていました。
ザアカイさんは、親の代から徴税人で、大勢の徴税人を抱えている徴税人のかしらでした。ザアカイさんはお金持ちでしたが、お友だちがいません。近所の人びとはみな、ザアカイさんが来ると避けて行ってしまいます。
ある日、ザアカイさんが、エリコの街を歩いていますと、大勢の人が口々に何か叫びながら走って行くのが見えました。
「イエスさまだ。ナザレのイエスさまが通られるぞ。」
「イエスさまがお弟子さんたちと来られるぞ。」
みんな叫びながら大通りの方へバタバタっと駆けていきます。
ザアカイさんも、イエスという人の噂を聞いたことがあります。なんでもガリラヤのナザレの人で、大勢の人の病気を治したり、悪霊を追い出したり、歩けない人を歩けるようにしてあげたり、目が見えない人の目を見えるようにした不思議な力を持っている人だと聞きました。またある人は、あのナザレのイエスという人は神の子だとも言っている人もいました。
ザアカイさんは、イエスさまが来られるぞという声を聞いて、自分も、一度、ぜひ、イエスさまにお目にかかりたいと思いました。
ひと目でいいからどんな方か見てみたいと思いました。そこで、ザアカイさんも、みんなが走っていく方向に向かって一緒に走って行きました。
ところが、道の両側はもう人でいっぱいです。
あいにくザアカイさんは背が低かったのです。人の背中やお尻しか見えません。その上、土地の人たちは、ザアカイさんを見ると、「おい、ザアカイがいるぞ、後ろから前へ行きたがっているぞ。あいつは徴税人の親玉だ、みんなで意地悪してやれ」とわざと邪魔をして、人垣の前に行かせてくれません。
ザアカイさんは、「ああ、イエスさまにお会いしたいなあ。ひと目でいいからどんな方か見たいなあ」と焦りました。
だんだんとイエスさまの一行が近づいてきます。ふと見ると先の方に大きな桑の木がありました。いい具合に枝が道の方に張りだしています。
ザアカイさんは先回りして、その桑の木に登りました。ザアカイさんは、お金持ちでしたから、きれいな立派な服を着ています。おとなで背が低くふとっちょのザアカイさんは、なりふりかまわず木に登り、張り出した枝にしがみついていました。
まもなく、イエスさまがお弟子さんたちを従えて、近づいてきました。「イエスさま、イエスさま」人びとは歓声をあげ、手を振ってイエスさまを迎えました。イエスさまはニコニコしながらゆっくりと歩いて来られます。
イエスさまが、ちょうど、ザアカイさんがしがみついている桑の木の枝の下に来られたとき、ふと立ち止まって、上を見上げて言われました。
「ザアカイ、ザアカイ。急いで降りて来なさい。」
ザアカイさんは、突然自分の名前を呼ばれたので、びっくりして思わず落ちそうになりました。あわてて木から降りると、人をかき分けて、イエスさまに近づきました。
「ザアカイ、今日は、ぜひあなたの家に泊めてもらいたい。よろしいですか。」
「はい、イエスさま。喜んでお迎えいたします。どうぞ、どうぞ、おいで下さい。お待ちいたしております。」
ザアカイさんは、急いで家に帰って、家族や召使いたちに言いました。
「さあ、えらいことだ。イエスさまがうちに来てくださるぞ。掃除しろ。食事の準備だ。とびきり上等の食事だ。お泊まりになるぞ、ベッドルームもきれいにしろ。」
家中が大忙しで準備をして、待ちました。
夕方になると、イエスさまは、弟子たちを連れて、ザアカイさんの家に来られました。ザアカイさんとお家の人たちは、喜んでイエスさまを迎えました。
大勢のユダヤ人たちは、ぞろぞろとイエスさまと弟子たちのあとについて来ましたが、イエスさまと弟子たちが、ザアカイさんの家に入り、食卓についておられる様子を門の外から見て、みな口々につぶやきました。
「あのナザレのイエスという人は何だ。ザアカイは徴税人ではないか。罪人ではないか。だのに、あんな奴の家に入って食事までいっしょにしているではないか。」
「あのザアカイの家に泊まるらしい。とんでも無いことだ。」
ザアカイさんと家族は、一生懸命おもてなしをして、夕食を賑やかにしました。
食事も終わろうとするとき、ザアカイさんは、突然、立ち上がって、イエスさまに言いました。
「主よ、わたしは、これから私が持っている財産の半分を貧しい人々に施します。それから、よく調べて、わたしやわたしの部下のだれかが、人びとから税金を必要以上にだまし取っていたことがわかれば、そのお金を4倍にして返します。」
それを聞いて、イエスさまは言われました。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。わたしがこの世に来たのは、失われたものを捜して救うために来たのだ。」
これが「イエスさまとザアカイさんのお話」です。
子どもに話してもすぐに解るお話なのですが、この中にわたしたちに対しても大切なことを教えています。
ザアカイさんは、なぜ、突然立ち上がって、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」というようなことを言い出したのでしょうか。
聖書の内容からは、イエスさまがザアカイにこんこんと説教をして、このように言うように勧めたのでもありません。ザアカイは、自分の方から突然言い出したのです。
先日、10月29日でしたか、今、話題になっています防衛省の守谷武昌という前事務次官が軍需専門業者から接待づけになっていたという事件で、国会で証人喚問が行われていました。テレビでその実況中継を見ました。
その中で、自民党の議員が、この守谷氏に、「あなたは、防衛省職員のトップにいながら、自ら自衛隊員倫理規定を破り、業者から長年にわたり接待を受けていた。現職なら懲戒免職が当然だ。ほんとうに反省し、悪かったと思うなら、あなたが退職時に受け取った6千万円とも7千万円とも言われる退職金を、自分から国に返却してはどうか」と迫っていました。守谷前事務次官は、自分の罪を認め、反省していると言いながら、「自分でよく熟慮してから、対処したい」と返答していました。
なぜか、わたしは、このテレビでこのやりとりを見ながら、今日の聖書に出てくるイエスさまとザアカイのことを思い出していました。
国民が見守っている中で、国会において、「あなたに良心があるなら、自分でもらった退職金を返納せよ」と迫られているかつての高級官僚、そのトップにいた人と、誰からも、何も言われていないのに、自分の方から「わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します。」と申し出た人と、時代は違いますが、対比してみるとどこがどのように違ってこうなるのだろうと、考えさせられました。
ザアカイは、「徴税人」でした。かつての徴税人というのは、税金取立て請負人というような職業で、ローマの皇帝やユダヤの王から、税金を取り立てる利権を買って、その地域の人びとから税金を取り立てる権利を得ていたと言われます。請け負った一定の金額を王に納め、その利ざやをかせぐ、ときにはあくどい取り立てをし、住民を苦しめては私腹を肥やす者もいました。とくにエリコはエルサレムに上る人びとの交通の要所にありましたから、そこを通る人びとや荷物から税金を取り立てる関所がありました。
そのようなことから、当時のユダヤ人は、同じユダヤ人でありながら王の手先になって同胞を苦しめるというので、徴税人を嫌い、、「徴税人や罪人」と言って、遊女や異邦人と同じように扱われいました。(ルカ5:30、7:34、15:1)
徴税人は当時のユダヤ人社会では差別されている人たちで、収入はあり、お金持ちだったかも知れませんが、人びとから疎外され、近所つきあいもない、友人も持てない人たちだったということです。
しかし、主イエスは、たびたび徴税人たちと席を共にし、一緒に食事もしておられました。ルカ5:27〜32に、次のような場面があります。
「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。』イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」
ここでもファリサイ派の人びとや律法学者たちは、「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と弟子たちに言ったとあります。
イエスさまは、たびたび徴税人たちと親しくし、食事も一緒にされていたことがわかります。いや、それだけではなく、徴税人だったレビ(マタイ)を弟子にしておられます。
第1に、まず、ザアカイは、突然、自分の名前を呼ばれてびっくりしました。自分の名前を知っていて下さる。それだけで感激しました。
第2に、自分の家に来て下さる。食事を一緒にして下さる。泊まって下さる。差別され、話す人もなく、友だちのいない淋しい思いをしているザアカイにとって、この言葉は、天にも昇るような一大事であり感激であったに違いありません。
第3に、ザアカイは、弟子たちや家族と共に、親しくイエスさまから、教えを受け、胸を突かれました。じっとしてはいられませんでした。そして、思わず立ち上がり、叫びました。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します。」
と。
これを聞いて、主イエスは言われました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
お金、財産を持っている人は、お金にこだわります。お金の力を知っています。お金の魔力に取り憑かれ、もっともっとお金を増やそうとします。いつもお金のことばかり考えていて、お金さえあれば何でもできると考えます。
ザアカイもお金持ちでしたから、お金の力を信じていたに違いありません。しかし、イエスさまに出会い、イエスさまに触れて、イエスさまが友となってくれました。大きな感激、感動に心が揺すぶられたとき、お金の魔力に取り憑かれている自分に気づいたのです。お金や今までこだわっていたものから解放されたのです。もっともっと大切なものがあると気がついたのです。
そこで、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します。」と言いました。それは、ザアカイの信仰の告白でした。
主イエスは、「今日、救いがこの家を訪れた。」と言われました。
ザアカイもユダヤ人です。アブラハムの子孫です。救いが約束されている人たちの一人です。職業のゆえに差別され、追い出されてしまっていたザアカイ、失われていた羊が今、帰ってきたのだと言われました。
これは、ザアカイとイエスさまの出会いの出来事です。
さて、私たちは、イエスさまと出会ってるでしょうか。
私たちが、今、こだわっているものは何でしょうか。
イエスさまによって、解放される「救い」を求めたいと思います。
〔2007年11月4日 聖霊降臨後第23主日(C-26)説教〕