メリー・クリスマス

2007年12月22日
皆さん、今日は。  今日は、キリスト教の宗教教誨「クリスマスの礼拝」をするために集まっていただきました。  クリスマスというのは、12月25日なのですが、ちょっと早いクリスマスです。  今日は、このクリスマスの由来について、お話したいと思います。  アメリカやヨーロッパでは、クリスマスの前には、「メリー・クリスマス!」と言って、挨拶を交わします。「メリー」というのは「陽気な」「愉快な」という意味なのですが、「メリー・クリスマス」というと「クリスマスおめでとう」という意味になります。  また、帰る時とか、別れる時に時にも「グッドバイ」のかわりに「メリー・クリスマス」と言います。それは「良いクリスマスをお迎え下さい」という意味になります。  では、なぜ、クリスマスというのは「おめでとう!」なのでしょうか。  12月25日は、イエス・キリストという方の誕生日を祝っているのです。今年は、西暦2007年ですが、この西暦は、キリストが生まれた年から数えて2007年目ということになっています。 しかし、このような暦が制定されたのは531年で、当時の神学者が逆算して計算し、ローマの皇帝が定めたというのですが、実際には、キリストが生まれたのは、それよりも4年から8年前だったと言われています。正確なことはわからないのですが、今年ぐらいがちょうど2000年になるのではないかと思います。  12月25日というのも、その当時は、戸籍簿があったわけでもありませんので、正確な日にちはわかりません。これも、4世紀頃に、この日を、「キリストの誕生日」とすると、あとになって決めました。ロシアやギリシャにある正教会では、1月6日を、キリストの誕生日として祝っています。  しかし、それほど確かでない誕生日なのですが、このイエス・キリストという方ほど、誕生日を祝われている人はありません。  この時期になりますと、世界中で、寒い国でも、暑い国でも、「メリー・クリスマス」と言って、誕生日を祝われています。お祭りとして、祝日として記念されています。  イエス・キリストは、今から約2000年昔、ユダヤの国、今のイスラエルのベツレヘムという所で生まれました。マリアとその許嫁ヨセフは旅行中でしたが、ベツレヘムの宿屋は、どこも満員で泊まる所がなく、ある一軒の宿屋の馬小屋に泊めてもらい、そこで、マリアは男の子を生みました。この男の子はイエスと名づけられました。  イエスは、幼年時代、少年時代、青年時代と、ガリラヤ地方のナザレという村で過ごし、30歳になった頃、人びとの前に姿を現し、ユダヤの各地、村や町をめぐって、悔い改めよ、神の国が近づいたと宣べ、神について語りました。その間に、大勢の弟子たちができ、病気の人をいやし、目が見えない人が見えるようになり、耳が聞こえない人が聞こえるようになり、手足の動かない人が歩けるようになり、たびたび奇蹟が起こりました。  このイエスのもとに、大勢の群衆が集まってきました。当時の宗教的指導者たちは、このイエスの活動を放置できなくなり、これを捕らえ、裁判にかけ、そして、十字架に磔にして殺してしまいました。33歳の時でした。ところが、処刑されてから3日が経ち、弟子たちが葬ったお墓に行ってみると、お墓が空っぽになり、イエスは「死んでよみがえったのだ」と告げられました。  イエスがよみがえったという噂とともに、あの方は、神が遣わした「神の子」だったのだ、「救い主」、「キリスト」だと信じられるようになりました。  イエスは、神について、また神を信じて生きるということについて、人びとに教えました。聖書という書物にそのことが記されています。とくに、人びとに、「最も大切な戒めは、あなたの神を愛しなさい。そして同じように隣人を自分のように愛しなさい」と教えました。また、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われました。  イエスの教えのに中心は、「人を愛しなさい」ということでした。   ヨハネ福音書8:2〜11  朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。  そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。  「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」  イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。  「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」  そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。  イエスは、身を起こして言われた。  「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」  女が、「主よ、だれも」と言うと、  イエスは言われた。  「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」  このように、人を裁くだけではなく、「愛」は人を立ち上がらせ、愛は人を励まし、生きる力を与えます。  クリスマスは、このように人の罪を受け入れ、自分自身は人のために罪を背負って十字架に架けられた死んだ、命を賭けて、身をもって「愛する」ことの大切さを示された方、イエス・キリストの誕生を記念する日です。  クリスマスには、人の愛を知って感謝し、また、人を愛して生きることの大切さを思う時です。クリスマスおめでとう! メリー・クリスマス!という言葉の後ろにはこのような意味があります。 〔2007年12月22日 京都刑務所クリスマス礼拝〕