「退け、サタン。」
2008年02月10日
マタイによる福音書4章1節〜11節
先週の水曜日、2月6日から「大斎節」に入りました。今年の復活日は早く、3月23日になります。主イエスの御受難を覚え、主の復活の喜びを共にするために、この大斎節を有意義に過ごしたいと思います。
昔のことですが、ある主教さんと話をしています時、このように言われたのを覚えています。「若い司祭と話していて、悪魔についてどう思うかと聞くと、フフンと鼻で笑った。」「悪魔のことがわからん奴には、神のことも、本当の信仰もわからん。」そう言って真剣な顔をして怒っておられました。
悪魔とかサタンという言葉について知ってはいますが、あまり真剣に話したことも考えたこともありません。それよりもあまり考えたくないと思っているようなところはないでしょうか。
悪魔とかサタンと言っても、漫画や絵本に出てくるような、全身真っ黒で、目が鋭く、口が耳まで裂けていて、耳が尖っていて、尻尾がはえていて、手に槍を持っているというような生き物を思い浮かべたとしますと、そんなものはいないということになります。
聖書の中には、悪魔やサタンがたびたび登場します。
創世記の最初、アダムとエバの物語の中に、ヘビが出てきます。そこに出てくるヘビは、「神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いもの」と紹介されていて、「誘う者、誘惑する者、そそのかす者、騙す者」の役割を果たしています。また、ヨブ記では、サタンは「試す者」であり、神とヨブについて取り引きをします。
悪魔は、神に敵対する力、それを具体的な姿や形で現したものということができます。新約聖書では、悪魔は悪霊を手下に持つ首領(マタイ12:24)であり、病気や不幸の原因はすべて悪魔や悪霊の仕業とされていました。
さて、大斎節の初めには毎年読まれる聖書の個所ですが、今日の福音書について学びたいと思います。
主イエスは、ヨルダン川で、洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになり、いよいよ宣教活動を始めようとされる時、荒れ野に入って祈りの時を持たれました。この地方の荒れ野というのは、木が一本も生えていない砂漠のような所、見渡すかぎり茶色い岩と石、そして砂だけの、まさに荒れ地です。昼間は日が射して暑く、そして夜は極端に寒くなる地域です。
主イエスは、その荒れ野で、40日40夜、断食して祈っておられました。「空腹を覚えられた」とたった一言で簡単に言っていますが、それは、生身の人間としての限界に達しておられる姿だと思います。食欲という欲望を超えて生命を維持するために体が訴えています。
そこに、「誘惑する者」すなわち悪魔がささやきかけてきました。
「あなたがほんとうに神の子であれば(わざわざ「神の子」という言葉を使って試そうとします)、この石に向かってパンになれと命じてごらんなさい。あなたはそのような力を持っているはずです。すぐにパンに変えることができますよ」と。あなたがほんとうに神の子なら、この石をパンに変える奇跡を起こすことができるはずでしょう。自分のために奇跡を起こしてごらんなさいよと、そそのかしました。それは同時に、神の力を試させようとする誘惑でもありました。
しかし、主イエスはお答えになりました。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
これは、申命記8章3節の言葉です。聖書の言葉をもって答えられました。
「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」
かつてモーセに率いられたイスラエルの民が、40年間、シナイの荒れ野で試練を受けた時、彼らは食べるものがなく空腹を訴え、不平不満をもらし出しました。神が、自分たちを導き守ってくださることを疑い、神への信頼を疑うような訴えをし始めました。そのような時に、神は人々にマナを降らせ、これを食べさせました。パンさえあれば、肉体の欲望さえ満たされれば幸いであると考える民に、神への信頼、どんなことがあっても最後まで神の意志、神のみ心に従うことの大切さを教えるための試練であったと説明されました。
同じように試練を受けておられる主イエスは、イスラエルの民が受けて失敗した試みを繰り返すことはありませんでした。
今度は、誘惑する者、悪魔は、主イエスを聖なる都の連れて行き神殿の屋根の端に立たせて言いました。
「ほんとうにあなたが神の子なら、ここから飛び降りてみろ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
先の誘惑に対しては聖書の言葉で退けられた悪魔は、今度は聖書の言葉で、主イエスを試みようとします。
詩編91編9節以下に、
「あなたは主を避けどころとし、いと高き神を宿るところとした。あなたには災難もふりかかることがなく、天幕には疫病も触れることがない。主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。」
神に寄り頼み、神を慕う者には、神はどんな災難からも病気からも守ってくださる。あなたがどこにいても天使に命じて守ってくださる。天使たちはあなたを手に乗せて運び、足を石に当たらないようにしてくださる、と神は詩編の中でそう言っているではないか。さあ、だからあなたがほんとうに神の子ならここから飛び降りてごらんなさいよと言いました。
これに対して、主イエスは、
「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」
と言われました。
これは、申命記6章16節の「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」という聖書の言葉を指しておられます。
これも、出エジプトの時、荒れ野で、イスラエルの民に飲む水がなく、人々がモーセと争い「われわれに飲み水を与えよ」と言って迫りました。モーセは「なぜ、わたしと争うのか、なぜ主を試すのか」と言いました。モーセが「どうすればいいのですか」と神に祈った時、神はモーセに、杖で岩を打てと教えます。モーセが言われたように杖で岩を打つと、そこから水が湧き出て人々は水を飲むもとができたという事件がありました。
モーセは、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けました。それは人々が「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言ってモーセと争い、神を試みたからであると記されています。(出エジプト17:1-7)
主イエスは、イスラエルの民には忘れられないこの事件を思い起こさせながら「お前の言っていることは神を試させようとすることだ」と言って悪魔を退けました。
さらに、悪魔と主イエスの対決は第3の試みに進みます。
悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて言いました。
「もし、わたしにひれ伏して、わたしを拝むなら、これをみんなあなたに与えよう」と言いました。
悪魔は、もし、今ここでこの私に屈服して、ひざまずいて、わたしを礼拝するなら、この世界のすべてを支配する権力を与えようと言いました。すべての栄誉、栄華、名誉、誰もが服従する権力、富、世界中のものをみんなあなたにあげようと提案しました。これほど大きな誘惑はありません。それは、神になるということです。
アダムとエバに、ヘビが誘惑した言葉は、「これを食べると目が開け、賢くなり、神のようになるでしょう」でした。完全な人間となられた主イエスは、私たちと同じ、欲望、野心をも引き受けておられます。さあどうだ、しかしそれには条件がある。それは、神にではなく、悪魔であるわたしの前にひざまずき、わたしを礼拝することだと言います。
すると、主イエスは言われました。
「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
申命記6章13節「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。」これは十戒の第1戒の命令です。わたしのほかに何ものも神としてはならない。偶像を拝んではならない。主である神のみを礼拝しなさい。
誘惑する者、悪魔、サタンは、主イエスに向かって、
第1に、お前がほんとうに神の子ならば、自分のために奇跡を起こしてみよと迫り、ほんとうに神の子かどうか自分の力を試させようとしました。
第2に、神がほんとうにお前を助けてくれるかどうか、神がお前を救ってくれるのか、父である神がお前を愛しているのか、神を試してみよと迫り、神を試させようとしました。
第3に、神以外のものの前にひざまずき、神以外のものを礼拝させようとしました。神への信頼を打ち破り、神との関係を断絶させようとしました。
主イエスは、「サタン、退け」と言って、すべてを退けました。
悪魔は、これによって荒れ野での悪魔は退散しましたが、しかし、それ以後、サタンは二度と現れなかったのでしょうか。そうではなかったと思います。主イエスが、父である神のみ心に従おうとすると必ず悪魔が現れて、これを引き戻そうとします。
マタイ16章21節〜23節
「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
主イエスは、ペトロに向かって「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者」と言われました。
マタイ27章38節〜44節
主イエスが、ゴルゴタの丘で十字架につけられておられる時の場面を思い出してください。 「イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、3日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののし
った。」
しかし、そこでも奇跡は起こりませんでした。主イエスは、彼らには、何もいわず、静かに息を引き取られました。
人となられた神の子イエスが、十字架に懸けられる時、そこにこそ、その十字架こそ「サタンよ、退け」と、悪魔を完全に撃退する瞬間でありました。
〔2008年2月10日 大斎節第1主日(A) 高田キリスト教会〕