バラバは救われたか?

2008年03月16日
マルコ福音書15:6〜15  今日は、「復活前主日」です。次の日曜日には復活日(イースター)を迎えます。この1週間は、主イエスがユダヤ教の本山ともいうべき神殿のあるエルサレムに入り、ファリサイ派や律法学者たちと論争を重ね、弟子たちと最後の晩餐をし、ゲッセマネの園で捕らえられ、裁判にかけられ、鞭打たれ、侮辱を受け、十字架を担いでゴルゴタの丘に連れて行かれ、十字架につけられ、苦しみの中に息を引き取られた、主イエスの最後を記念する時です。  今日の福音書は、長い聖書の個所が読まれましたが、この主イエスの御受難の物語は、何回読んでも、心が引き締まる思いがしますし、心も肉体も引き裂かれるような苦痛、苦悩にもだえる主イエスを思うとき涙が出そうになります。  この受難物語には、主イエスを囲んで、大勢の人々が登場します。主イエスを訴えるユダヤの指導者たち、ファリサイ派、律法学者、大祭司、祭司長、祭司たち、サドカイ派、長老たちや議員たち、祭りのためにやってきた群衆や商人たち。ローマの総督ポンテオ・ピラト、その妻もいます。ローマの兵隊の隊長や兵士たち、そして、遠巻きにして、主イエスの母マリア、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、その他の女の人たち、そして、恐る恐る遠巻きにして、主イエスの弟子たちがいます。野次馬のような人たちもいたでしょうし、悲しみと恐怖に打ちひしがれ、身もだえしながら見つめていた人たちもいました。  さて、この主イエスが、ローマの総督やユダヤの王の所へ引いていかれ、夜通し引き回され、ゴルゴタの丘にいたるまで、大勢の人々がぞろぞろとついて歩いていました。この人の群れの中に、もし私たちがいたとすれば何処にいるでしょうか。どのような立場で、主イエスを見守っているでしょうか。  よく質問を受けるのですが、今から約2千年昔、あのエルサレムの城壁の外、ゴルゴタの丘で、イエスという人が、十字架に架けられた、そして死んだということが、なぜ、2千年後今の時代に生きる私たちの「救い」になるのですかと。一人の人の死が、なぜすべての時代、人類の救いになるのですかと。主イエスの死が、あの十字架が、いったい私と何のかかわりがあるのですかと、尋ねられます。  主イエスの受難物語に登場する一人の人物がいます。それはバラバという人です。この人を通して、このような疑問について考えてみたいと思います。  バラバとはどんな人だったのでしょうか。マルコ福音書には、「暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた」とあります(15:7)。マタイ福音書には「バラバ・イエスという評判の囚人がいた」とあります(27:16)。ルカ福音書には「このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどでで投獄されていた」とあります(23:19)。そしてヨハネ福音書には「バラバは強盗であった」とあります(18:40)。  バラバは、暴動、殺人、強盗を働いた評判の囚人で、牢獄に長くつながれていた男でした。いわば、いつ死刑にされても不思議ではない悪の限りをつくした極悪非道の、自他共に認める罪人でありました。  ユダヤの習慣で、過越の祭りには、囚人の一人を釈放する「大赦」の習慣がありました。ローマの総督モンテオ・ピラトの所に、イエスが引っぱってこられ、ピラトは、主イエスを尋問しました。しかし、どんな罪も認めることができませんでした。    ピラトは、祭司長や祭司、長老や律法学者たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていましから、人々が集まって来たときに言いました。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」と尋ねました。ところが祭司長たちや長老たちは、バラバの方を釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得し扇動しました。  総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と叫びました。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、群衆は、「十字架につけろ」と叫び続けました。  ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」 ローマの総督ピラトは、正しい判断をしなければならない責任を放棄し、群衆が暴動でも起こされたら自分の汚点になるので、自分の地位を守るために、自分の良心に従った正しい判決を下すことを放棄したのです。民はこぞって答えました。「その血の責任は、我々と子孫にある。」と言いましたので、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。  突然、釈放されたバラバは、その後、どうなったのでしょうか。  主イエスが十字架に磔にされることによって、身代わりになって確実に救われた人がいるとしたら、それはこのバラバだということができます。誰が見ても極悪非道な生き方をして、殺人や強盗を繰り替えし、死刑にされても当然という罪人、ラザロは救われたのです。  ラザロは、人を殺す残虐さの反面、自分の死を恐れながら、手枷足枷をつけられ、暗い地下の牢獄で、処刑される日はいつかと、その日を待っていたに違いありません。  ところが、突然、牢番や役人がやってきて、「お前は釈放だ。すぐに出て行け」と言って、真っ暗な牢獄から、明るい日の光まぶしい屋外に放り出されました。自分の人生にあきらめていたバラバは驚きました。びっくりしました。何が何だかわかりません。半信半疑で街に出たに違いありません。彼は、自由の身になりました。解放されたのです。なぜそうなったのかわからないままに、まさに死んでいた者が生き返った「救われた」と思った瞬間であったに違いありません。  ここに一冊の文庫本があります。スエーデンの文学の巨匠ペール・ラーゲルクヴィストが1950年に書いた「バラバ」という小説です。(岩波文庫赤757-1、1974年) ラーゲルクヴィストは、この作品によって1951年にノーベル文学賞を受けました。  この作品で、この著者は、バラバのその後の生涯を描くことによって、現代の私たちの姿を、そして、ほんとうの救いとは何かを示そうとしています。  少しだけその「あらすじ」を紹介したいと思います。  バラバは、何にも意味がわからないままに町に出ると、人々が一つの方向に向かって走っていくのに出会います。その人だかりの中に、一人の男が十字架を担いで倒れながら歩かされているのを見ます。他の群衆と一緒についていくと、ゴルゴタの丘という死刑場につき、そこで、3本の十字架が立てられ、3人の男がはりつけになり、ぶらさがっていました。毒づいている両側の男たちには見覚えがあります。  しかし、バラバは、真ん中にぶら下がっている一番弱々しくぶざまな姿の男のことが気になってしかたがありません。隠れるようにして遠くから眺めていました。そして、ついに息絶え、お墓に運ばれていきました。バラバは、みんなが立ち去ったあと、エルサレムの街に帰りました。  自由の身になって初めて酒場に入り、隅の方に座っていると、昨日から今日にかけて起こった出来事を、酒場の連中がわいわいと話し合っています。そこで、あの十字架につけられていた一番ぶざまな男について噂を聞きました。「バラバか、ナザレのイエスか」と言われて、群衆が「イエスを十字架につけよ」と叫び、自分の身代わりになってあの男が十字架につけられたのだということも知りました。その後も、イエスというあの男のことが気になって仕方がありません。何も手につかない。昔の仲間とも一緒になれない。そんな毎日を過ごしていました。  その後、昔の仲間のところに戻るのですが、事件に巻き込まれ、さらに、鉱山で働く奴隷にされてしまいます。地下の暗いところで、2人ずつ鎖でつながれて、朝から晩までむち打たれ、働かされます。生きながら地獄を見るような生き方をさせられました。その時に鎖でつながれ相棒にされたのは、アルメニア人の奴隷サハクという男でした。 否応なく24時間一緒にいなければなりません。働かされている時も、寝ている時も、いつも一緒のこの男から、あのゴルゴタの丘で十字架につけられていた男のことを聞きました。  サハクは、その男のことをイエスだと言い、キリストと言い、神の子だと言いました。サハクはキリスト信者だと言いました。バラバも十字架につけられたその男を見たと話しました。そしてサハクの首にかかっていた奴隷鑑札に彫りつけてあった、同じ記号を自分の鑑札にも彫ってもらいました。それは、「神の奴隷」という意味でした。バラバはサハクから、さまざまな不思議なことが起こったことを教えてもらい、さらに共に祈ることも教えてもらいました。  バラバとサハクは、さらに農耕奴隷として売られ、さらに製粉小屋で働かされ、ローマ人の総督の家に買い取られていきました。そこでサハクは、キリスト信者であることが知れてしまい、問いつめらます。サハクは、自分は神の奴隷だといい、神を棄てることはできないと言い張り、拷問にかけられた上、十字架に磔にされて処刑されてしまいました。  バラバは、そんな神など信じないと言い逃れて難をさけ、助かりましたが、さらにローマに送られました。  ローマで奴隷として生活している時、ある日のこと、夜中に、人が走る物音を聞き、「クリスチャンが、ローマの街に火をつけた」「クリスチャンが暴動を起こした」と叫ぶ声が聞こえました。ローマの街のあちこちから火の手が上がるのを見ました。  バラバは、かつてサハクから、キリストは再び来られる。この世の裁きのために来られると教えられたことを思い出し、あのゴルゴタの男が戻って来たのだ、約束通り人を救うためにもどって来たのだ、世界を滅ぼすために、今こそ力を示すために来たのだと思いこみ、何とかして、あの人の手助けをしなければとばかりに駆け出しました。  もう年老いた奴隷バラバでしたが、若い頃、盗賊、暴徒の頭だったバラバは敏捷でした。一番近い火事場に飛び込み燃え木を取り、まだ燃えていない家に火をつけてまわりました。  あの無様な格好で十字架にぶら下がっていたあの方のために、何とか役に立ちたいと思い走り回りました。  そのために、火付けの現行犯として捕らえられ、他に捕らえられたクリスチャンと一緒に再び牢に入れられます。クリスチャンたちは、誰一人火をつけていないと言い張りました。しかし、バラバは油倉に火をつけているところを見つけられて捕らえられ、そして、バラバ自身は、自分はクリスチャンだと言い張ってききませんでした。  クリスチャンたちは次々と磔にされて殺されていきました。そして、バラバもいちばん最後に引き出され、十字架の列のいちばん端に、一人、磔にされました。  夕方になり、暗くなって見物人も立ち去ってしまった後、バラバだけが一人生きてぶら下がっていました。死というものをあれほど怖れていたのに、死が近いと感じた今、「自分に代わって死んだあの男のために働いたと思う何ともいえない満足感につつまれていました。」  静に彼は暗闇の中へ話しかけるように言いました。  「おまえさんに委せるよ、おれの魂を。」 そして、彼は息を引き取りました。  これは、ラーゲルクヴィストという作家の創作です。  バラバは、主イエスが身代わりになって、死刑を免れ、解放された時、命は長らえましたが、それは、ほんとうの「救い」だったのでしょうか。しかし、彼を待っていたのは、もっともっと大きな苦難でした。  キリストのことを教えられても、これを否定し、反抗し、悶々として過ごし、最後には鎖でサハクにつながれました。このサハクこそ、キリストご自身ではなかったかと思います。  そして、最後に、怖れていた死を、目の前にしながら、すべてを、魂を、あの十字架の上にぶざまにぶら下がったあの方に委ねたのでした。  ほんとうの救いとは何か、この作品は多くのことを考えさせてくれます。ゴルゴタの丘に、十字架を取り巻く多くの人々、十字架を見つめている人、それぞれに生き方があり、人生があり、命があり、恐れがあり、不安があり、喜びがあり、悲しみがあり、すべての人は救われたいと願っています。  そして、私たちも、今、十字架を仰いでいます。 〔2008年3月16日 復活前主日(A年)説教 京都聖ヨハネ教会〕