共にいてくださる主

2008年04月06日
ルカによる福音書20:13〜35  一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(20:30-32)  私の長男が中学生ぐらいになった時、それまで、日曜日の礼拝には出席していた、その長男が礼拝に出て来なくなりました。そのことが気になっていたある主日の礼拝が始まる5分ほど前、式服をつけたまま牧師館に行き、部屋の中で寝そべっている息子に怒鳴りました。  「なぜ、礼拝に出席しないのだ?!」と。  すると息子は、反抗的な眼をして見上げながら、  「なぜ、礼拝に出席しないといけないのか?」と言い返しました。  私は、「そんなことがわからんのか」と言いますと、  「そんなこと教えてもらっていない」と言いました。  こちらは礼拝が始まる時間が気になるので、ゆっくり説明する気もありません。  「文句言わずに出てきなさい」と、頭ごなしに怒鳴りますと、また、  「なぜ、出んならん?」と口答えします。そこで、私は  「文句言うな!日曜日に礼拝に出席するのは、我が家の家風だ! 家で食べさせてもらっている限り、文句言わずに出て来い!」と言い捨てて、ベストリーに戻りました。  その時の悔しそうな顔をして父親を睨み付けている子どもの顔が忘れられません。 礼拝が始まると、息子は礼拝堂の後ろに座っていましたが、大きくなって家を出ると、まったく教会の礼拝に出席しなくなってしまいました。  信徒の方にはそんな言い方はしないでしょうし、子どもの教育という点からは最低の父親だったと思います。生まれた時から、牧師館に住んでいて、赤ん坊の時から礼拝に出席していて、牧師の子どもとして、それぐらいのことが分からないのかという気持ちだったのだと思います。  しかし、よく考えてみますと、誰に対してよりも、家族に対して、一番、そのような話をしたことがないのも事実です。  また、ある時、ある人から、「教会ってうまいこと考えてますなあ。毎日曜日、世の中の人が、会社も学校も、一番休みの日に、毎週礼拝することにしているんですなあ」と言われました。キリスト教の教会が毎週、日曜日毎に礼拝をしているのは、その日に休みの人が多くて、みんな休みだから、このように集まっているのだと考えている人がいます。  旧約聖書の創世記に、天地創造の物語が記されています。神は、この世のすべてのものを6日でお造りになり第7の日に、神は御自分の仕事を完成され、第7の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第7の日を神は祝福し、聖別された。  十戒の第4戒に「7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。主は安息日を祝福して聖別されたのである」と定められているから、安息日を守らなければならない。だから、キリスト教の教会はこの日に礼拝を守っているのだと思っている人もいます。  実は,キリスト教の教会が日曜日に礼拝を守っている理由は、日曜日がお休みで集まりやすからではなく、安息日を守らなければならないという理由からでもでもをありません。  教会が日曜日の礼拝を思っている理由は、「イエス・キリストのよみがえりの記念の日」だからです。イエス・キリストは、過越の祭りの直前に十字架にかけられて殺され、一週の始めの日の朝、朝早く弟子たちがお墓に行ってみると、イエスはよみがえったと知らされ、お墓が空っぽになっていました。そのことから「一週の初めの日」というのは「主のよみがえりを記念する日」となったのです。私たちは日曜日の礼拝のことを「主日礼拝」といいます。これは主のよみがえりを記念する礼拝という意味です。  私たちは、一年に一度、「イースター」を迎え、キリストの復活を記念する日として守っていますが、初代教会においては、「週の初めの日」が毎週「イースター」であり、イエス・キリストの復活を祝う日であったのです。それほどイエス・キリストの復活というものが信仰の中心であり、教会にとって忘れてはならない日であったということがわかります。  聖書によりますと、イエス・キリストの十字架から後、3日目によみがえり、復活された主イエスが弟子たちの所にたびたび現れたことが記されています。そして、主イエスの昇天、五旬節の日、弟子たちに聖霊が降った聖霊降臨の出来事が記されたいます。  しかし、実際にはこのような時間の経過ではなく、ある意味では、このようなことが同時に起こったのではないかと言われています。  今日の福音書ですが、ルカ福音書20:13〜35ですが、2人の弟子が、エルサレムからエマオに向かって旅をしていました。その道中、途中から、よみがえったイエスさまが現れ、彼らと共に歩かれたという出来事が記されています。  長い時間一緒に居ながら、2人にはその方がイエスさまだとは気がつきませんでした。  しかし、最後の一瞬、食事の席で、その方が、賛美の祈りを唱え、パンを裂かれた時、2人の目が、心の目が開かれて、その方が、イエスさまであることがわかりました。  「2人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」とあります。  ただお会いしただけでは、その時には、イエスさまだとはわからなかったのです。  神の子イエス・キリストの復活とは、神が私たち人間と同じ肉体を取ってこの世に来られ、死んでよみがえられた、そして、そのことによって、「時間」と「空間」を超越する方になられたということです。  私たち人間は、時間と空間の制限の中に生きています。ここにいるということは、あそこにいない。家にはいないですし、東京にもいません、アメリカにいません。ここのこの場所に、一定の空間を占めて居るということです。  主イエスが復活されたと言うことは、いいかれば、肉体の制限から解放された、時間と空間の制限を越える方になられたということです。  その結果、復活したイエスさまは、時間と空間を越えて、私たちと共に居てくださるということです。アメリカにも、ロシアにも、インドにも、キリストを信じる者と共に居てくださいます。復活されたキリストが、いつも共にいてくださるということを確信することができるのです。  私は、少年の頃、川に泳ぎに行って溺れ、死にそうになったことがあります。私は、和歌山県の新宮市という所で育ちました。熊野川という川があって、両親からは禁じられていたのですが、友達に誘われて、こっそりと泳ぎに行きました。川岸から、鉄橋の橋杭まで、ばちゃばちゃとやって、遊んでいたのですが、そのうちに足の届かないところへ出て、溺れてしまいました。もがけばもがくほど深いところへ行ってしまう。何かが足に触っても反対に蹴ってしまう。空気と水が一緒に口の中に入ってくる。手足をばたつかせながら、沈んだり浮かんだりしていました。必死になって叫んでいるのに誰も助けに来てくれない。瞬間、死ぬのではないかと思いました。ほんとうに怖かったことを覚えています。  その時に、一人の男の人が、どこかから来て、じゃぶじゃぶっと水の中に入ってきて、頭まで水の中に入ってきて、わたしを差し上げ、川原まで抱いて連れて行ってくれました。横に寝かして、げろげろ水を吐いているのを見届けて、何も言わずに、その人はどこかへ立ち去って行きました。子供でしたから、お礼も言わず、その人はどこの誰かもわかりません。ただ、今でも溺れている時の恐怖が忘れられませんし、助けてくれたその男の人のことが忘れられません。  川で遊んでいたことを言うと叱られますので、家に帰って両親には何も言いませんでした。しかし、その出来事は、今もはっきり覚えています。  私にとって、「助けてもらった」「救われた」ということが、文字通りに、はっきりと体験的に理解できる忘れられない出来事です。  誰にも、一つや二つ、このような経験をお持ちではないかと思います。万死の中に一生を得るというような体験があれば、ふり返ってみていただきたいと思います。  「偶々」、「偶然」、「よくあること」と言ってしまえば、それで終わりですが、しかし、神との関係、信仰をもって、その体験をふりかえってみると、意味が全然違ってきます。  ひょっとすると、あの時、あの場所で、私を救ってくれたのは、私を助けてくれたあの男の人は、実はイエスさまだったのではないかと、あとで考えることができたとすると、その出来事の意味が全然違ってきます。  神との関係、イエスさまとの関係で、その出来事をふり返ってみると、ぜんぜん意味が違ってくるのです。  その時は、わかりませんでしたが、後になって考えてみると、イエスさまが、あの男の人の姿をとって、私に現れてくださった、私を救ってくださった、私と共に居てくださった、と、その出来事を解釈することができます。  ひょっとすると、反対に、イエスさまに出会いながら、心が鈍いために、私たちの心が鈍感なために、他のことに気を取られてしまって、イエスさまが共に居て下さっていることも、一緒に歩いていて下さっていることも、見過ごしてしまっているのではないかと思うこともあり得ます。  復活のイエスさまについて、特徴があります。  第1に、弟子たちには、その方が、よみがえったイエスさまであるということが、すぐにはわからなかったということです。  「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」(ルカ24:16)  第2に、ご自分について教えられる。  「そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」(ルカ24:25〜27)  第3に、その方は、イエスさまを指し示します。「私だ、わたしだ」とご自分を指さして、ご自分のことを知らせようとされる。  「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(24:30〜31)  第4に、弟子たちに変化が現れる。弟子たちが変わっていきます。 「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、11人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」(ルカ24:32〜35)  復活のイエスに出会った人たちは、心が燃え、信仰の告白をする者となり、証しする者とされていきました。  私たちが手にしている祈祷書には、  「主が皆さんと共に」  「また、あなたと共に」 という言葉がよく出てきます。  これは、初代教会のクリスチャン同志の挨拶の言葉でした。  出会った時にも、別れる時にも、この言葉を交わします。  この言葉は、二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った、この言葉が背景にあります。  あの方を思い続け、「心が燃え続けている」その姿こそ、信仰に生きるということだと思います。  主の日には、私たちは、聖餐式をささげます。主イエスさまは、最後の晩餐において、弟子達に、これを食べるたびに、これを飲むごとに、「わたしを記念しなさい」と言って、パンとぶどう酒をお与えになりました。「主の肉を食べる」「主の血を飲む」これほどはっきりとした体感できる「復活した主が、今、共にいて下さる」ことを記念する方法はほかにありません。  私たちはこれから聖餐式を続けます。  「主があなたがたと共にいてくださいますように」  「また、あなたと共にいてくださいますように」  この言葉を交わしながら、主の聖餐にあずかりましょう。   〔2008年4月6日 復活節第3主日(A) 桑名エピファニー教会〕