湖の上を歩く
2008年08月10日
マタイ14:22−33
1 イエスは湖の上を歩かれた―奇跡物語
イエスさまが、5千人の人々にパンお与えになった奇跡を行われたのは、もう夕暮れ時でした。イエスさまは弟子たちに、「さあ、この舟に乗って、先に向こう岸へ行きなさい」とお命じになりました。
そして、ご自分はそこに残っていた群衆を解散させ、誰もいなくなった湖のほとりから一人で近くの山にお登り、そこで静かに祈っておられました。
一方、弟子たちが乗った舟は、岸から漕ぎ出して、もう何百メートル(1スタディオン=185メートル)も離れたところに来ています。ところが、その頃から逆風が吹きはじめ、なかなか前に進むことができません。彼らは風と波に悩まされていました。
思い出して頂きたいのですが、イエスさまの12人の弟子たちの中には、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネという人たちがいます。彼らはイエスさまに従うまでは、このガリラヤ湖で魚を捕っている漁師で、舟を操り、魚を獲るプロでした。ですからこの湖のことは長年の経験で、誰よりもよく知っています。その漁師であった弟子たちが、一生懸命舟を漕いで、なかなか前に進まないのですから、ずいぶん苦労していたことが伺えます。
ひと晩中、舟を漕いで、夜が明けるころ、弟子たちは、焦りと疲れでへとへとになっている頃でした。薄暗い水面を透かして見ますとイエスさまが、湖の上を歩いて弟子たちのところに近づいて来られました。
弟子たちはびっくりしました。明け方の薄暗い、湖の水の上に、イエスさまが立っておられたました。さらにこちらに向かって歩いて来られたのですから、弟子たちが、まず恐れ、おびえ、「幽霊だ」と叫び出すのも無理はありません。
イエスさまは、彼らのすぐ近くまで来て、弟子たちに話しかけられました。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
たしかにイエスさまに間違いないと知って、ペトロが言いました。
「主よ、ほんとうにあなたでしたら、わたしに命令して、わたしにも水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
すると、イエスさまが、手招きして、
「来なさい」と言われました。
ペトロは、おそるおそる舟から降りて、水の上を歩き、イエスさまの方へ進んで行きました。
しかし、ちらっと辺りを見渡すと、強い風が吹いています。大きな波がうねっているのに気がつきました。
すると、急に不安になり、怖くなりました。
と、同時に、ずぶずぶっと、水に沈みかけました。ペトロは、思わず、「主よ、助けてください」と叫びました。
イエスさまは、すぐに手を伸ばして、ペトロを捕まえ、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、イエスさまとペトロが、舟に乗り込みますと、風は静まり、波も静かになりました。
舟の中にいて、その様子を見ていた弟子たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言って、イエスさまを拝みました。感謝と賛美の声をあげました。
今日の福音書は、「イエスさまが、湖の上を歩かれた」という奇蹟物語です。
しかし、この奇跡物語には、イエスさまが水の上を歩かれたという不思議な出来事が起こったのだというだけではなく、同時にこれを見た人、また、その話を伝え聞いた人たちには、いろいろなことを考えさせる「教え」が、そこに含まれていたことがわかります。
2 奇跡に対する弟子たちの反応
まず、第一に、弟子たちの反応です。弟子たちが、まず恐れ、おびえ、「幽霊だ」と叫び出す者いました。も無理はありません。
これに、対して、イエスさまは、「わたしだ、わたしだ」と言い、「安心しなさい。恐れることはない」と言われました。
第二に、ペトロが、自分のほうから申し出たという反応です。
ペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」とお願いしました。
イエスさまは、このペテロの申し出を受け入れ、「来なさい」と言われました。ペトロは舟から降りて水の上を歩きはじめ、イエスさまの方へ進んで行きました。
たぶん、ペトロは、はじめは夢中になって、イエスさまだけを見つめ、イエスさまに方に手を差し出しながら、イエスさまに向かって歩き出したのでしょうが、ふと、周りに目をやり、真っ黒な水面、大きくうねっている波を見、水飛沫を見た時、強い風に気がついた時、怖くなりました。大丈夫だろうか、沈むのではないか、溺れてしまうのではないかという思いが、頭をよぎりました。恐れと不安、そして大丈夫だろうかという一抹の疑いを持った時、ずぶずぶと水の中に沈みかけました。
ペトロは、「主よ、助けてください」と叫びました。
イエスさまは、すぐに手を伸ばしてペトロを捕まえ、助け上げて言われました。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静かになりました。
弟子たちの第三の反応は、舟の中にいた弟子たちも、ペトロも、イエスさまに対して、「本当に、あなたは神の子です」と言って、信仰の告白をし、イエスさまを礼拝しました。
3 この奇蹟物語からのメッセージ
第一に、教会に対するメッセージがあります。
とくに、この奇跡物語が語り伝えられた初代教会の状況を見てみたいと思います。この物語は「たとえ話」ではありませんが、当時の教会の姿を当てはめてみることができます。
ガリラヤ湖に漕ぎ出した舟は、教会を表しています。そこにはイエスさまは乗っていません。イエスさまは、「強いて」弟子たちを舟に乗せ、彼らを先に行かせました。
弟子たちは、それまでイエスさまと一緒にいました。旅を続けていました。寝食を共にしていました。ところが、ある時、イエスさまは、あれよあれよという間に、ユダヤの役人やローマの兵士に捕らえられ、裁判に引き回され、鞭打たれ、苦しめられた後、ゴルゴタの丘で十字架につけられて死んでしまいました。
残された弟子たち、すなわち初代教会は、大きな恐れと不安と焦りを抱えて舟を漕ぎ出したことになります。一生懸命漕いでもなかなか前へ進むこともできません。出発点に戻ることもできません。今までの経験も知識も全く役に立たない事態に陥りました。
逆風が吹き、大きな波が行く手をさえぎります。この姿は、初代教会が、当時、直面していた社会情勢をあらわしています。迫害がきびしくなり、クリスチャンであるというだけで捕らえられ、次々と殺されていきます。教会の内部にも問題をいっぱい抱えている状態がありました。ペトロは、周りの状況に心が奪われ、瞬間的にイエスさまから目を逸らした時、疑いを抱いた時、それは、イエスが見えなくなった教会の姿であり、イエスさまを見失った教会を表しています。
彼らに対するイエスさまの言葉は、
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」わたしはあなたと共にいると言われます。そして、「来なさい」と言って招かれます。
そして、ペトロが「主よ、助けてください」と叫んだとき、イエスさまは、彼を捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。「なぜ、わたしから目を逸らしたのか。わたしが一緒にいるのになぜ、疑ったのか。なぜ、わたしを信頼しきれなかったのか」と言われました。そして、イエスさまが一緒に舟に乗り込むと、風は止み波は静まりました。
この奇跡物語は、イエスさまに対する教会の信頼、信仰を求めるメッセージがあります。
それは、初代教会にだけ発せられているものではありません。実は、現在の、私たちの教会の問題に対するメッセージでもあるのです。
舟は、教会です。そこに乗って一生懸命漕いでいるのは、教会の信徒であり教役者です。現在の時代にあって、教会の使命を果たすために、向こう岸に向かって舟を漕いでいます。この舟には目に見える姿のイエスさまはおられません。この世の逆風、荒波は、もろに教会に吹き付けます。逆らって立ちふさがります。科学万能、物質文明、経済優先の世の中、快楽主義、便宜主義が、大人にも子どもにもはびこっています。その中で、舟の前に立っておられるイエスさまから目が逸れてしまいます。この世に迎合し、妥協するような考えが頭をよぎり、周りに目がいってしまいます。イエスさまを見失った時、ペトロのように沈みそうになってしまいます。
イエスさまが手をさしのべて捕まえてくださいます。イエスさまを見失った教会は沈んでしまいます。「信仰の薄い者たちよ」「信仰の薄い者たちの集団よ」と言われます。
さらに、この奇跡物語が発するメッセージは、私たち一人一人に向かって発せられています。わたしたち自身のイエスさまとの関係を映しています。そこには、わたし自身の姿があります。
舟にいる弟子たちは、わたしです。ペトロの姿も、そこにわたしがあります。わたしの中にイエスさまがいない。毎日の生活の中に、イエスが見えない。イエスさまを見失っている姿が、そこにあります。 逆風や波は、日常の生活の中で直面するさまざまな問題です。家庭や学校や、勤務先での問題、人間関係、健康上の不安、お金の問題、社会全体、世界中を取り巻く問題です。その問題が押し寄せ、何とか乗り切ろうと一生懸命漕いでいるのですが、こぎ悩んでいます。
ともすると、私たちはイエスさまを見失い、どうしていいのかわからなくなります。しかし、イエスさまは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言って、共にいて下さり、沈みそうになる私たちを捕まえ、引き揚げてくださいます。
私たちは、自分自身ではどうしようもない弱さを持っています。そんなに強い信仰をつねに持ち続けていることはできません。
神さまを試みてしまう時があります。ふっと神さまを疑ってしまうことがあります。頭ではわかっていても、大きな問題にぶつかると神さまへの信頼を失ってしまうことがあります。
イエスさまは、そのような私たちに「信仰薄い者よ」と言って、溺れそうになる私たちを捕まえてくださいます。必ず、イエスは助けてくださいます。
それでは、弱い私たちが、イエスさまへの信頼を回復するためには何ができるでしょうか。それは、私たちにできることは、そして、どんなことがあっても忘れてはならないことは、「ほんとうに、あなたこそ神の子です」という信仰の告白です。さらに、心の底から神を賛美し、感謝をささげることです。そして、イエスさまを見つめなおし、イエスさまへの信頼を、信仰を確信して生きることができるのです。
〔2008年8月10日 聖霊降臨後第13主日(A-14) 下鴨基督教会〕