忠実な良い僕よ、よくやった。

2008年11月16日
マタイ25:14〜15、19-29 1 終末と再臨は近い  さて、今日の福音書ですが、マタイの福音書は、24章から25章にかけて、世の終わり、終末の時がある、その時には再びキリストが現れるということを説いています。聖書が書かれた時代、初代教会では、その当時のキリスト教は、終末思想が非常に強く、世の終わりは近いという緊張感の中で信仰を守っていました。神さまは天地をお造りになった。初めがあるのだから、かならず終わりがある。その終わりの時は近いと教えられ、伝えられていました。だから、今、どのような生き方をしなければならないのか、その時にはどうしたらいいのかと、真剣に考えていました。  しかし、それが、いつ、どのようにして来るのかわかりません。今か今かと待っています。ところが、その終末の時がなかなかやってこない。その当時から、約2千年が経っているのですが、そのうちにだんだんと終末やキリストの再臨を待望する緊張感が薄れてしまったように思われます。  世の終わりの時というのは、いつ、どのようにしてくるのか、私たちにはわかりません。しかし、もう一つ、私たちに確かな「終わり」というものがあります。それは、私たち、一人一人にこの世における生が終わるということです。どんな人にも、これだけは例外はなく、すべての人間に「死」というものがあるということです。私たちの思いとは関係なく、神さまは、私たちに命を与え、そして、ある時突然、その命を奪い去ります、命を取り去ります。私が死んでしまうと、地球が在る、宇宙がある、ここにこうして存在しているということを認識しなくなりますから、私にとっては、世の終わりと同じだということです。そういう意味では、私たちに「終末」はかならずあるということです。 2 タラントンのたとえ  そのことを考えながら、今日の福音書の「タラントンのたとえ」について学びたいと思います。  ある人が、遠い旅行に出かけました。その時に、僕たちを呼んで、自分の財産を預けました。それぞれの力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけました。1タラントンとはギリシャのお金で、ローマの貨幣で6000デナリオンとなります。1デナリオンは一日の労働者の賃金と言われます。)早速、5ラントン預かった者は出て行って、それで商売をして、ほかに5タラントンをもうけた。同じように、2タラントン預かった者も、これを元手にして2タラントンをもうけました。しかし、1タラントン預かった僕は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておきました。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来ました。そして、彼らと清算を始めました。  まず、5タラントン預かった僕が進み出て、ほかの5タラントンを差し出して言いました。『御主人様、あなたは、わたしに5タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに5タラントンもうけました。』すると主人は言いました。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』  次に、2タラントン預かった者も進み出て言いました。『御主人様、2タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに2タラントンもうけました。』主人は言いました。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』  5タラントン増やした人にも、2タラントン増やした人にも、まったく同じ誉め言葉が返ってきました。  ところで、1タラントン預かった僕ですが、同じように進み出て言いました。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』  すると、主人は答えて言いました。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」 3 わたしたちの終わりの日  私たちのよく知っている「タラントンのたとえ」です。タラントンは、お金の単位ですが、英語の聖書には「talant」となっています。これを辞書で引きますと、「天賦の才能」「才能」「技量」と書かれています。神さまから与えられた生まれつきの能力、才能。また、自分で身につけた才能や能力もその中に入るのではないかと思います。今、テレビに出ているタレントというのは、このタラントから来た言葉です。  神さまは、人それぞれに、ある人には、5タラントン、ある人には2タラントン、そして、ある人には1タラントンの財産、才能、能力を預けました。みんな、同じではありません。神さまから、それぞれに、違った才能、能力を与えているのです。そして、私たちは、与えられている、限られた時間の間に、命がある間に、それを元手にして、神さまのためにこれを増やして、神さまを喜ばせなけれなりません。 そして、突然、私たちは神さまの前に出て精算しなければならない時が来ます。 5タラントンの人は、5タラントン儲けて10タラントンにして、2タラントンの人は、これを元手に2タラントン儲けて、4タラントンにして、神さまの前に差し出しました。これに対する神さまの答えは、「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」と言って、5タラントンの人にも、2タラントンの人にも、同じ誉め言葉で喜ばれました。  ところが、1タラントンの人は、これを元手にして、これを増やそうとしませんでした。これに対しては、神さまは、怒って、外に放り出してしまうというのです。それは、神さまから預かった才能、能力を、地面に隠して、これを用いなかった人。どうせ、私はほかの人に比べたら、1タラントンだ、才能や能力にも恵まれていないのだと、ふてくされて何にもしない人のことでしょうか。または、ご主人様は、蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方で、恐ろしい方だということを知っていたのでと、それを、ご主人様すなわち、神さまのせいにして、何もしなかった人のことでしょうか。  これに対する答えは、「怠け者の悪い僕だ。わたしがきびしく、恐いことを知っていながら、何もしないで、預けたものを地面の中に隠しておいた。そんなことなら、わたしの金を銀行に入れておいた方がよかった」と言って、そのタラントンを取り上げ、外に放り出します。  現在の経済状態から言いますと、5タラントンまたは2タラントンを元手に商売しても、失敗することがありますし、そのために損をしてゼロになってしまう危険があります。このたとえでは、そんなことは何も触れていません。また、銀行に預けても、利息がつくかどうか、銀行が倒産することをあります。そんな危険についても考えられていません。 4 忠実な良い僕と怠け者の悪い僕  このたとえが言いたいことは、私たちが生きているということは、神さまから、目に見えるもの、見えないもの、数え切れないほどの莫大な財産をお預かりしているということです。いろいろな才能、能力、性質、性格、肉体、命にいたるまで、すべて神さまからの預かりものだということです。若いころには、若さ、美しさ、運動能力、力も強かった、徹夜でも何でもできた、しかし、年を取ると、もう、半分以上、神さまにお返ししてしまったという方もおられるかも知れません。しかし、まだまだ、神さまから預かったものはいっぱいあります。私たちが、一人一人、神さまの前で、「さあ、預けてあった財産を精算しなさい」と言われた時、どのように答えることができるでしょうか。  神さまが 「忠実な良い僕だ。わたしを喜ばせてくれた」と言われるのは、私たちが、事業に成功して大金持ちになりました。政治家になって、大きな権力を手に入れ、ほしいままにふるまいました。学者になって尊敬を集めました。そのように申し上げれば、「よくやった」と神さまは誉めてくださるのでしょうか。  このたとえに出てくるご主人は、「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」と言いました。「少しのこと、小さいことに忠実であったから」と言います。  小さいことに忠実であること、小さいことに誠実であることが求められています。この世において、華やかなこと、派手なこと、賞賛をあびるようなこと、神さまが私たちに求められるのは、そういうものではありません。5タラントンの財産を預かっている人は、それを誠実に、忠実に使って、5タラントン儲けなさい。2タラントンの人は2タラントンを誠実に、忠実に使いなさいと言われるのです。  これに対して、1タラントンを、地面を掘って、そこに隠しておいた人、その人は、神さまから預けられた財産を、何もしないで、神さまから預かった財産を、何にも使わないで、隠しておきました。そのために、「怠け者の悪い僕だ」と言われました。そのためにタラントンを取り上げられ、外に放り出されてしまいました。  私たちが、自分自身の終わりを迎える時、神さまに何と言われるか。「忠実な良い僕だ、よくやった」「少しのものに忠実だった」と言われるか、「怠け者の悪い僕」だと言って、外の放り出されるか、どちらでしょうか。そこからふり返って、自分自身の今の生き方を考えることが大切です。神さまからお預かりしているタラントン、大事な神さまの財産、能力、才能、体力、知識、経験、あらゆる賜物を、神さまに喜んで頂けるように、「忠実な良い僕よ、よくやった、わたしと一緒に喜んでくれ」と言われるように、誠実に、忠実に、使っているでしょうか。 〔2008年11月16日 聖霊降臨後第27主日(A-28) 上野聖ヨハネ教会〕