ペトロ、コルネリウスの家で福音を告げる。

2009年01月11日
使徒言行録10:34-38  教会の暦では、1月6日、顕現日を迎え、今日の主日から2月末まで、「顕現節」というシーズンを迎えます。顕現節というのは、神様がご自身を現されるという意味で、神さまの方から送られるさまざまな出来事や人、神さまが発する信号を、私たちがしっかりと受け取るということについて学びます。  本日の使徒書、使徒言行録10章から、ご一緒に学びたいと思います。ここに、「コルネリウス物語」と言われる長い物語が記されています。  イエスさまが、十字架に懸けられ、復活されたという出来事から、しばらく経った頃の出来事です。地中海に面したカイザリアという街にコルネリウスという人がいました。この人は、ローマの兵隊の中でも「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、とっても信仰心あつく、一家そろって神さまを畏れ、貧しい人々への施しをし、絶えず神さまに祈っている人でした。  ある日の午後3時ごろ、コルネリウスが一人で部屋に居る時、幻を見ました。神さまから遣わされた天使が入って来て語りかけました。  天使は、「コルネリウス」と呼びかけました。  コルネリウスは天使を見つめていたのですが、怖くなって、  「主よ、何でしょうか」と答えました。すると、天使は言いました。  「あなたの祈りと貧しい人々への施しは、神の前に届き、神さまに覚えられています。お前はこれから、ヤッファへ使いの者をやって、ペトロと呼ばれているシモンという人をお前の家に招きなさい。その人は、革なめし職人(もう一人の)シモンという人の家に客となって滞在している。このシモンの家は海岸にある。」 天使がこう話して立ち去ると、幻は消えました。  そこで、コルネリウスは2人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び出し、今見た幻のすべてのことをすべて話して、彼らをヤッファに送りました。  翌日、コルネリウスの3人の使いは旅をしてヤッファの町にやってきました。  ちょうどその頃、ペトロは、昼の12時頃でしたが、お祈りをするために、泊めてもらっている家の屋上に上がりました。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思い、人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたような状態になりました。恍惚状態の中で、ペトロは、幻を見ました。  それは、突然、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅をつるされて、地上に下りて来るのが見えました。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。そして、  「ペトロよ、身を起こして、そこに入っているものを屠って食べなさい」と言う声が聞こえました。しかし、ペトロは言いました。  「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」  旧約聖書のレビ記の11章に、「食物規定」があります。食べてもよい動物と食べてはならない動物が、細かく定められています。例えば、動物の中で、蹄が分かれていて反芻する動物は食べてもよいが、そうでない動物は食べてはならない。らくだ、岩狸、野兎、猪の肉は食べてはならない。汚れた動物であるから触ってはならない。魚では、ひれ、うろこのあるものは食べてもよいが、そうでないものは汚れているから食べてはならない。鳥類では、鷲、鳶、鷹、ミミズク、ふくろう、コウノトリ、コウモリなどは食べてはならない。いなごは食べてもよいが、その他の4本の足で動き群れをなす昆虫は食べてはならない、など、事細かく規定されています。  当時のユダヤ人は、これを、神がモーセを通して命じられた掟として、厳しく守り、これを破って食べた者は汚れた者、罪を犯した者とされました。ペトロは、ユダヤ人としてこの掟を守っていたのです。  そこで、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」と言いました。  すると、また声が聞こえてきました。  「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」  こういうことが3度もあり、その後、その入れ物は急に天に引き上げられました。  ペトロはそこで正気に戻り、今見た幻はいったい何だったのだろうかと、ひとりで思案に暮れていますと、あのローマの百人隊の隊長コルネリウスから差し向けられた使いの人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけました。  「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられるでしょうか」と尋ねる声が聞こえました。  ペトロがなおも幻について考え込んでいると、霊がこう言いました。 「3人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわずに一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」  ペトロは、その人々のところへ降りて行って、  「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」と尋ねました。  すると、彼らは言いました。  「私たちの主人、百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」  それを聞いて、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせたうえ、翌日、ペトロはそこを発ち、彼らと共に出かけました。これにヤッファにいた親しくしていた人たちも何人か一緒について行きました。  次の日、一行は、カイサリアに到着しました。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて、ペトロたちの到着を待っていました。  ペトロが到着すると、コルネリウスは迎えに出て、ペトロの足もとにひれ伏して拝みました。ペトロは彼を起こして言いました。  「お立ちください。わたしもただの人間です。」  そして、話しながら家に入ってみますと、大勢の人が集まっていたので、ペトロは、彼らに言いました。  「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ、わたしを招いてくださったのですか。」 すると、コルネリウスが言いました。  「4日前の今ごろのことでした。わたしが家で午後3時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言ったのです。 『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられました。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンをあなたの家に招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている』と。それで、私はすぐにあなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今、わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」  そこで、ペトロは、口を開き、コルネリウスとその家の人々、親類や友人たち、そこに集まった人々に、神の福音を語り始めました。  「神さまは、人を分け隔てなさらない方であることが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神さまが、「イエス・キリスト」、この方こそ、すべての人の主なのです、この方によって、平和を告げ知らせてくださったのです。そのために、イスラエルの人々の所に送ってくださった御言葉をあなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者(メシヤ、救い主)となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです」と言って、イエスさまの生涯について、教えについて、行われた奇跡について、そして、十字架と復活について、自分たちが見聞きしたことを宣べ、証ししました。そして、最後は、  「イエスさまは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、人々に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスさまについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」と言って、話を終わりました。  ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いていた人たち、すなわちコルネリアを始め、そこにいる異邦人たちの上に聖霊が降りました。ユダヤ教の割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人たちは皆、「聖霊の賜物」が異邦人の上にも注がれるのを見て、驚きました。異邦人が異言を語り、また神を賛美しているのを、聞いたからでした。そこでペトロは、  「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができるだろうか」と言いました。  そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさいと、その人たちに命じました。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日自分たちの所に滞在してくださいと願いました。  これは、使徒言行録に記された「コルネリウス物語」と言われる福音宣教の物語です。  イエスさまが十字架に懸かり、復活された後も、弟子たちの集団でさえ、すぐにはユダヤ教から離れて、言いかえれば、律法の枠から離れて生きることはなかなかできませんでした。ユダヤ人は、義しい、神に選ばれ、神の救いが約束されている、救われて当然だと信じていました。 これに対して、異邦人は、律法の中にない、彼らは汚れている、異邦人は滅びて当然だと決めつけていました。  いろいろな動物、鳥、魚でも、形や種類で差別し、これは汚れたもの、これは汚れていないものと決めつけて、食べてよいのか食べて悪いのかを判断し、それを食べた者を汚れているとしてきました。ペトロさえもその掟の中に閉じ込められていました。当然、人を差別するという壁の中にいたのです。そこに、幻を見、神の声を聞いたのです。 「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」  神が造り、神がすべて善しとされ、祝福されたものを、清くない、汚れているなどと言ってはならないと、ペトロを教え、彼の目を覚まさせました。コルネリウスに天使が現れ、ペトロに聖霊が働き、それぞれに幻を通して、神さまとの出会い、福音は民族の壁を越え、世界に向かって宣べられねばならないと、証しする力をお与えになりました。  この「コルネリア物語」を境にして、ユダヤ民族という一民族の中にだけ向けられていた神の救いの希望が、世界に向かって解放され、人類すべての救いの希望へと転換していきました。いわゆる、ユダヤ民族という、一民族の宗教から普遍的な世界の宗教、キリスト教に生まれかわったということができます。  教会の暦で顕現節に入りましたが、神さまは、自ら、ご自身を現して下さいます。 「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。」(10:44-46) 〔2009年1月11日 顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(B)下鴨基督教会〕