「預言者、自分の故郷ではが敬われない」

2009年07月05日
マルコ6:1〜6  イエスさまがお生まれになったのは、エルサレムの近くのベツレヘムという所だったと伝えられています。 そして、実際に幼年期、少年期、青年期を過ごされたのは、このエルサレムから北の方へ約120キロほど離れた所にある、ガリラヤ地方のナザレという所でありました。  ナザレは小さな村で、旧約聖書にもその他の資料にもこの村の名前が出てきませんから、比較的新しくできた集落、あまり伝統や歴史を持たない村であったと思われます。  しかし、この村の周辺には、湧き出る泉があり、そのために緑の多い穏やかな平和な村だったようです。  イエスさまは、30歳までこの村で過ごされました。 大工であった父ヨセフは、イエスさまおとなになられる前、早い時期に亡くなっていたようです。  大工の仕事を嗣いで、その長男として、母マリアを助け、弟や妹たちのためにも家計を支えておられたのであろうと想像されています。  30歳になった時、突然、人々の前に姿を現し、ヨルダン川で、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、「神の国が近づいた」と言って福音を宣べ伝え始めました。  弟子たちを連れ、町や村で、多くの人々に説教をし、病気の人々を癒しました。  それは主にガリラヤ湖の周辺で活動しておられましたから、ナザレとはそれほど遠い所ではありません。  ある時、イエスさまは、弟子たちを連れて、故郷のナザレに立ち寄られました。  ちょうど安息日になったので、懐かしい村の会堂に入って、そこで教え始められました。  同じマルコの福音書1章21節以下には、カファルナウムでの出来事が記されています。  カファルナウムは、同じガリラヤ地方にあって、ナザレから北東の直線距離で20キロほどの所にあります。  「一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(1:21〜28)とあります。  このように、主イエスは行った先々の会堂で、いつも教えておられたことがわかります。  さらにこのカファルナウムの会堂では、汚れた霊に取り憑かれた人から悪霊を追い出し、この人を癒されたという出来事がありました。これを見た人々は「皆驚いて、口々に論じ合いました。  『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く』と。  イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった」とあります。  これがカファルナウムでの主イエスに対する人々の反応でした。  イエスさまの「権威ある教え」に驚き、「悪霊を追い出す力を持つ方である」ことに驚きました。 「この方はいったい何者なのだ」、「この力はどこから来るのか」と人々は目を見張りました。  しかし、イエスさまの故郷であるナザレの人たちはどのように反応したでしょうか。  ナザレの会堂で主イエスの教えを聞いた多くの人々も、驚きました。カファルナウムの人たちと同じように驚きました。しかし、驚きの内容が違ったのです。  「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」  あのマリアの息子のイエスじゃないか。大工をしていたイエスじゃないか。子供の頃からよく知っている。現に弟のヤコブもヨセもユダもシモンもそして妹たちも、まだここに住んでいるではないか。  そのイエスが立派な教えを説いている。奇跡を行っている。あいつにそんな知恵や力がほんとうにあるのか。あれはいったい何だ、と言いました。  イエスさまの後ろにある神の権威、神の力など感じようとも、知ろうともしません。イエスさまが指さす神、そして、神さまがイエスさまを遣わしておられることなど気づこうともしません。  「ナザレの人々は、イエスにつまづいた。」主イエスは、彼らの前に置かれたつまずきの石となってしわれました。  「預言者は自分の故郷では受け入れられず、医者は自分を知っている人々を癒さない」ということわざがありました。  イエスさまは、それを逆に用いて、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われました。  主イエスは、そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできになりませんでした。  そして、主イエスご自身、「人々の不信仰に驚かれた」とあります。  故郷ナザレの人々は、主イエスを理解することができませんでした。  主イエスを受け入れることができませんでした。  それは、なぜでしょうか。カファルナウムの人たちのイエスさまに示した反応となぜ違うのでしょうか。  それは、イエスさまを見る「目」が違ったのだと思います。  ナザレの人たちは、小さな村のことですから、イエスさまのことは昔からよく知っています。小さい時のこと、家族のこと、何を食べ、どのような姿で寝ているのかさえ知っています。ましてや、家族、親戚、近所の人たちは、ほんとうに生活の隅々まで知っています。  しかし、そのような知り方というのは、肉体の目、肉眼で見た姿であり、経験、体験を通して知っている知識ということです。たとえば、親子、兄弟、姉妹は血のつながり、血縁の関係にあります。だから最も近い関係にあります。  しかし、だからと言って、親は子をほんとうに知っていると言えるでしょうか、子は親のすべてを知っていると言えるでしょうか。  一緒に住んでいるから、同じ所に居るからといって、その関係は、ほんとうに理解しあっている関係とは言えません。ほんとうに受け入れられているとはいえません。 反対に、そこには「甘え」があり「思いこみ」があり、「馴れ」が邪魔をしてしまいます。  家族だから、親子だから、夫婦だから理解できている、よくわかっているはずだ、知っている「はずだ」と思っているところに、今、毎日、新聞やテレビのニュースで心痛めるような事件が起こっているような気がします。  ナザレの人々の身内意識が、イエスさまを見る目を曇らせてしまいました。「肉親の眼」「肉体の眼」だけではなく、「心の眼」で見るのでなければ、ほんとうにイエスさまを知ることはできません。  「心の目」とは、その人が何を感じ、何を考え、何を求めているかを一生懸命に知ろうとすることです。察知しようとすることです。 イエスさまをほんとうに知ろうとすれば、イエスさまを信頼すること、信じることです。それは、いわゆる「信仰」の目で見るということです。  さて、私たちのイエスさまとの関係は、どうでしょうか。  私たちのイエスさまへの思いや、イエスさまへの理解、受け入れ方は、ナザレの村の人々のようになっていないでしょうか。  洗礼を受けて、何年になります。堅信式を受けて何十年になります。ずーーっと教会生活を守っています。そう言っているその間に、イエスさまに馴れ親しみ過ぎてしまって、その関係は、何でも「知ってる、知ってる」、「わかった、わかった」というような心の姿勢になっていないでしょうか。十字架を仰ぎ見ても、聖書を読んでも、新しい感動に心ふるえることようなこともなくなり、真剣に求めるのでもなく、狭い門から入ろうともしない、そのような姿になっていないでしょうか。  故郷ナザレの人々、家族や親戚や近所の人たちが、主イエスを見ているような目で、いつのまにか、それで良しとしていないでしょうか。イエスさまが「人々の不信仰に驚かれる」状態になっていないでしょうか。  「イエスさまから目を離すな」。イエスさまのまなざしをつねに意識せよ。    〔2009年7月5日 聖霊降臨後第5主日(B-9) 桑名エピファニー教会〕