サクラメントの恵み
2009年08月16日
ヨハネ6:53〜59
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」(ヨハネ6:56)
ヨハネの福音書が書かれたのは西暦100年頃と言われます。イエスさまが十字架に懸けられ亡くなって、約70年が過ぎていました。当時の福音伝道の広がりは、弟子たちを中心としたエルサレム教会から出発し、パウロによって地中海沿岸の町に伝えらられ、ギリシャ、ローマの広い範囲に至りました。
最初に殉教の死をとげたのはステパノだったと言われます。それは、ユダヤ人によるものでした。当時のキリスト教は、ユダヤ教から出た新興宗教だったわけですが、その迫害の背景にはキリスト教に対するさまざまな噂がありました。
その一つは、あの主イエスがよみがえられた日の朝、婦人たちが弟子たちの所に走って行った後、イエスのお墓の番をしていた番兵たちがエルサレムの城内に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告しました。そこで、祭司長たちと長老たちが集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言え。もしこのことがローマの総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、お前たちには心配をかけないようにするから」と言いました。兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。それでこの噂は、ユダヤ人の間に広まりました。(マタイ28:11-15)
さらに、第二の噂は、これは聖書には出ていませんが、この弟子たちは、夜中に集まって、ひそかにこの盗み出したイエスの死体を食べているというのです。肉を食べ、血を飲んでいるという噂が広がったというのです。人肉を食べる、人の血を飲むというようなことは、律法で禁じられていますし、もちろん人間として許されるものではありません。だから、クリスチャンというのは、人の道を離れた危険な人たちの集団、秘密結社であると見なされのでした。
これらの噂は、ユダヤ人の間で、ギリシャやローマにも広まり、初代教会への大迫害の原因となりました。
しかし、この噂には、そのように誤解されても仕方がないような背景がありました。
主イエスは、十字架につけられる前夜、弟子たちと共に過越の祭りの食事をしました。いわゆる最後の晩餐といわれる食事です。
一同が食事をしているとき、イエスさまは、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われました。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。(マタイ26:26-29)
パウロが伝える言葉によりますと、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われ、また、食事の後で、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われたと伝えています。(第1コリント11:23-26) パウロが、コリントの教会に手紙を書いている頃には、すでにこの言葉が「パンを裂く式」聖餐式で用いられていたことがわかります。
それから約2千年、教会は、この言葉を守って、キリストの十字架の犠牲と苦難を記念し、神の恵みへの感謝と賛美の祭りとして聖餐式(ミサ)を守り、今日に至っています。
ヨハネの福音書6章では、パンに関する出来事や問答が続いています。今日の福音書の直前(6:48-52)には、イエスさまが「わたしは命のパンである。わたしは、天から降(くだ)って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」と言われますと、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた」とあります。
これに対するイエスさまの答えが、本日の福音書です。
「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」と。
わたしたちが使っている祈祷書の聖餐式の式文の中に、「聖奠」という言葉が出てきます。170頁(懺悔「主が定められた聖奠を行うために罪を懺悔しましょう」)、174頁(「わたしたちはみ子の模範にならい、そのみ定めに従ってこの聖奠を行います」聖別祷の直前)、182頁(陪餐後の祈り「この聖奠にあずかった者を、み子イエス・キリストの尊い体と血をもって、養ってくださることを感謝します」)と唱えます。
この「聖奠」とは、どのような意味でしょうか。わたしたちはこの言葉の説明をできるでしょうか。
洗礼の準備または堅信式を受ける前のときに学ぶ「公会問答」にはこのように記されています。(祈祷書262頁、問14)
「救いに必要な聖奠とは何ですか」と問われていて、その答えに次のようなことが述べられています。
「目に見えない霊の恵みの、目に見えるしるしまた保証でであり、その恵みを受ける方法として定められています。」
これを一度や二度読んでも、または聞かされても、その意味がわからないのです。
聖奠とは、英語では「サクラメント(Sacrament)」と言います。そのもとの意味は兵士が国王に対して誠実さや忠実さを言い表すための「聖なる誓い」、また保証金を積むことや忠誠を示す宣誓をすることなどを意味したそうです。日本語では、聖公会では「聖奠」といい、カトリック教会では「秘跡」、プロテスタントの教会では「聖礼典」、ハリストス正教会では「機密」とそれぞれ違った言葉で訳されています。聖書には出てこない言葉ですが、初代教会の早い時期から用いられているキリスト教のだいじな奥義を表す言葉となっています。
私たちは、神さまから与えられる絶大な賜物を受けています。
「恵み」や「愛」や「聖霊の働き」などは、言葉として口にしますが、当然、目に見えないものものです。わたしたちは、その存在や、力を信じていますが、目に見えないものであり、手でしっかり掴むことがはなかなかできません。それをもっと強く確信し、確かなものとするために、目に見える物を使って、これを通して、またはそのものに触れて、目に見えない神の恵みや愛や聖霊をしっかり受け取るということです。その方法であり、保証となるもの、さらに、主キリストご自身が「このように行いなさい」とお定めになったものを、サクラメント、聖奠と言います。もっと具体的にいいますと、教会が行う「洗礼」と「聖餐」をサクラメントと言います。
私たち人間関係の中でもこのようなことがよく行われます。
たとえば、恋人同士の間で、「わたしはあなたを愛しています」ということを表すためにプレゼントをします。誕生日やクリスマスに特別の意味を込めて贈り物をします。どれほど愛していても「愛」というものを胸の中から取りだして、これを直接見せることはできません。そこで、言葉と共に、指輪やネックレスや花束など、いちばん喜んでもらえるような物を選んで、贈ります。これを受けた人は、喜び、感動します。それは、その品物の価格や価値だけではなく、その物を通して、これを頂いた人の心、愛を、愛されている喜びを受け取るから、感動し、心から喜ぶのです。
目に見えない愛や想いを、プレゼントという目に見えるものを通して、愛の「しるし」、愛の「保証」として、その愛の大きさ、深さに満たされるのです。
これは別に恋人同士だけではなく、夫婦、親子、兄弟姉妹、友人関係、職場で、ご近所のおつきあいの中で、あらゆる人間関係の中で行われ、それによって、愛、友情、思いやり、感謝というような目に見えない心や想いを確認しあっている、サクラメント的な行為を行っています。
神さまの恵み、その最も大きな恵み、どんな時にも忘れてはならない大きな大きな恵み、それは、私たちのために、神のひとり子、神が愛する神の御子をこの世に遣わし、その命を十字架にかけることによって、私たちを贖ってくださったことにあります。
イエス・キリストは、目に見えない神の愛を、私たちの目に見えるかたちで示してくださいました。イエス・キリストは、私たちに、わたしに、下さった神の愛そのものです。
そして、そのイエス・キリストが、私たちが、神の愛を確信し、もっと、もっと確かなものとするために、「このように行え」と言って、聖奠、サクラメントとして聖餐を定めてくださいました。
パンとぶどう酒は、目に見える「物」です。しかし、このパンを食べ、このぶどう酒を飲むことは、キリストの肉を食べ、キリストの血を飲むことなのだと、キリストが教えられました。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」(ヨハネ6:56)
この言葉を頭に深く刻みながら、聖餐の与りましょう。目に見えない神の恵み、キリストの愛をしっかりと受け取りましょう。感謝と賛美の祭りをささげましょう。
〔2009年8月16日 聖霊降臨後第11主日(B-15) 奈良基督教会〕