教会のクリスマス

2009年12月20日
ルカ1:39〜55  今日は、「教会のクリスマス」というテーマで、ご一緒に考えたいと思います。  いつも言われることですが、クリスマスのシーズンになりますと、街や商店街にはクリスマスのムードがあふれます。クリスマス・ツリーや、クリスマス・ケーキどころか、いたる所にデコレーションがしてあって、この頃は、個々の住宅にも家中や庭を飾る電飾がしてあって、お祭りのムードが盛り上がっています。  この時期、デパートや、大きな書店には、「クリスマス・カード」を並べた特別のコーナーが設けられています。その売場を覗いてみますと、数え切れないほどのたくさんの種類のカードが並んでいて、どのカードにも、「メリー・クリスマス」と書かれていますが、そのカードに描かれていう絵には、イエスさまもマリアさんも、馬小屋も、聖書のクリスマス物語に出てくる場面や人物の絵がないのです。サンタクロースの絵や、雪景色の富士山の図柄はありますが、羊飼いや東方の博士たちの絵はありません。キリスト教書店へ行くと、そのようなカードを求めることは出来ますが、デパートのクリスマス・カード売り場には、キリストがありません。ラジオやテレビでクリスマスの音楽が流れ、話題になっていますが、当然のことかもわかりませんが、そこにはキリストはいません。  キリスト教のお祭りのムードを取り入れて、賑やかに楽しんでいますが、そのお祭りでほんとうに祝わねばならないこと、この時に、見つめなければならない大切なことには、まったく関心がないように思います。  さて、心配なことは、このような世間の流れ、世の中のクリスマス・ムードが、教会の中にも、浸透し、いつのまにか、その流れに巻き込まれてしまっているのではないかということです。キリストを信じる、イエスさまに従おうとする、私たちでさえ、なんとなく同じようなそのムードの中で、クリスマスを迎えようとしているのではないかということです。  そこで、ちょっと、白けたことを言いますが、クリスマスが祝われ始めた歴史をふり返ってみたいと思います。  実をいいますと、イエスさまがお生まれになったのは、12月25日ではないのです。というよりもイエスさまがお生まれになったほんとうの日はわかりません。イエスさまがお生まれになった年も、いろいろな説はありますが、いまだに特定することはできません。紀元前4年とも、6年とも言われますが、決定的なことはわかりません。  最も古い記録では、イエスさまが生まれて200年も後、3世紀の初め頃、アレキサンドリアのクレメンスが、キリストの降誕日を5月20日と推測し、4世紀の後半には、この日をクリスマスとして盛んに祝われていたと伝えています。  「12月25日」に、クリスマスを祝った最も古い記録は、「フィロカルスの暦」というローマの行事を記したものがあって、西暦336年の記録として、「12月25日に、キリストはユダヤのベツレヘムで生まれた」と書かれていました。この日が定められたのはその頃、ローマで盛んに行われていた太陽崇拝、「太陽神」信仰の中で祭られていた「太陽の祭り」に対抗して、キリストを「義の太陽」と呼び、その出現を祝うためだったと考えられ、ローマ帝国の発展と共に広がっていったと言われます。  激しい迫害の中にあったキリスト教は、西暦313年、ローマの皇帝コンスタンティヌスが出した「ミラノの寛容令」によって、公に受け入れられ、迫害が止み、保護されるようになりました。この皇帝によって、クリスマスを国家の祝祭日とすることが定められたと伝えられています。  東方教会(ギリシャ正教会、ロシア正教会、その他の正教会では、今でも1月6日(顕現日)を降誕日として祝わっています。  このようにして、キリスト教が世界各地に広がると共に、異教の宗教の祭りや習慣を取り入れながら定着ひていきました。  クリスマスという言葉は、「Christ-mass」、キリストのミサという意味で、mass とは「ミサ」「聖餐式」のことで、教会では、先ず「キリストのミサ」「キリストの聖餐式」が厳粛に行われました。  クリスマス物語について考えますと、聖書では4つの福音書の内、マタイとルカの福音書には、誕生の物語がありますが、マルコ福音書では全く触れられていません。  ヨハネの福音書では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。」という言葉で始まり、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」と、非常に抽象的な描写でキリストの出現を紹介しています。  マルコ福音書は、西暦55年から60年頃に書かれ、マタイとルカの福音書は、80年頃、ヨハネの福音書は100年頃に書かれたと言われます。イエスさまが十字架に懸けられて亡くなってから、2、30年が経った最も初期の教会では、イエスさまがどのようにして生まれたのかというようなことには、あまり関心がなかったのではないかと思われます。同じ時期にたくさんの手紙を書いたパウロも、イエスさまの誕生の物語や、生い立ちについては何も触れていません。それに比べて、マルコもパウロも、イエスさまの受難と十字架については、多くのページを使ってこれを知らせています。  マルコの時代から、さらに2、30年が経った頃には、初代教会では、あのイエスという方は何者だったのか、ナザレのイエスという人は、人だったのか、神だったのかということが論争になりました。それに応えるものとして、あの方は、この世に神さまが遣わされた神の子だったのだという信仰が、また、おとめマリアが聖霊によって身ごもったと言い伝えが大きな地位を占めるようになりました。  クリスマス物語が私たちに伝えようとすることは、最もだいじなこととして、「神のひとり子が、私たちと同じ肉体を取って人となり、私たちの内に宿られた」という信仰です。  「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」  これは、ヨハネの手紙一 4章9節〜11節の言葉です。  「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」  クリスマス物語は、神はその独り子を世にお遣わしになった瞬間を物語として描いたものです。クリスマス物語の主人公は、ベツレヘムの、一軒の宿屋の馬小屋で、飼い葉桶に寝かされた男の子、一人の赤ちゃんです。しかし、その赤ちゃんが、わたしたちの罪を償ういけにえ、犠牲として、遣わされた神の御子だったのです。その赤ちゃんが成長し、33歳ぐらいになった時、人々の前に姿を現し、神のみ心を伝え、ご自身、神のみ心に従って、筆舌に尽くしがたい苦しみを受け、十字架につけられて殺され、そして3日目によみがえられました。その出来事によって、わたしたちの罪を償ういけにえとなられたのです。そのことによって、神の愛が私たちに示されたのです。神は、それほど、私たちを愛して下さっているのです。ここに愛があります。  「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」  さて、最初に、今日のお話のテーマは、「教会のクリスマス」と言いました。  「クリスマス」には、教会は、馬小屋の飼い葉桶に寝かされた「みどり子」に心を向けます。しかし、そこに止まっていては、ほんとうのクリスマスを祝っていることにはなりません。  その赤ちゃんの向かうに、このみどり子が負われた苦難と十字架を見ていなければ、十字架に懸けられているイエス・キリストを見つめなければ、クリスマスのほんとうの意味を知ったことにはなりません。  「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。  わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。」(ヨハネ1:14〜17)  キリストの誕生を通して、十字架を仰ぐ、そして、神の愛を、神さまの恵みを、しっかりと受け取り、心から感謝し賛美することが、教会のクリスマスであり、ほんとうのクリスマスの喜びだと思います。  「神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合いましょう。」  クリスマスのほんとうの喜びが私たちの心を満たして下さいますように、心から祈りましょう。 〔2009年12月20日 降臨後第4主日(C年) 京都聖ステパノ教会〕