ほんとうの出会い

2010年02月07日
ルカ福音書5:1〜11 1 おびただしい数の魚が捕れた奇跡物語  人は、一生の内に多くの人々と出会います。そして、その出会いによって多くの影響を受け、ある時には、人生を変えるような出会いがあります。  本日の福音書は、シモン・ペトロ、ヤコブ、ヨハネが、イエスさまと最初に出会った「出会い」の物語です。  イエスさまが宣教活動を始められたガリラヤ地方にガリラヤ湖という湖があります。この湖は、キンネレテ湖、ティベリアス湖、ゲネサレト湖とも呼ばれます。日本でいちばん大きな湖、琵琶湖と比べますと、面積が4分の1ほどの大きさの湖です。  イエスさまがこの湖の湖畔に立っておられますと、神さまの言葉を聞こうとして、また、病人を癒し、悪霊を追い出しておられるという噂を聞いて、あちらの村もこちらの町からも大勢の人々が、イエスさまの所に押し寄せてきました。  イエスさまは、この湖の岸辺に、2艘の舟がつながれているのをご覧になりました。漁師たちは、ちょうど漁が終わって、舟から上がって網を洗っているところでした。イエスさまは、その一艘の近づき、その舟の持ち主シモンの舟に乗り込み、シモンに、岸から少し漕ぎ出してもらいたいとお頼みになりました。押しかけてきた群衆は岸辺にいます。その人たちに向かって、イエスさまは、舟の中で腰をおろし、そこから岸に向かって教えはじめられました。神さまについて、神の言葉を語られました。  話し終わった時、イエスさまは、シモンに、もっと沖の方に舟を漕ぎ出すようにと言われました。シモンは、言われた通りに、舟を漕ぎ、沖に出ました。すると、イエスさまは、「ここに網を入れて漁をしなさい」と言われました。  その時のシモンの心の中を推測してみますと、シモンは先ほどから、不思議な気持ちでいました。イエスというこの男は、突然、舟に乗り込んできて、岸から人々に教え始められました。舟の中の、イエスさまにいちばん近い所で、話を聞き、感銘を受けていたところ、話し終わると、もっと沖に漕ぎ出せと言われます。そして、それだけはでなく、ここに網を入れて漁をしろと言われます。  シモンは、それまでは、何でも「はい、はい」ということを聞いてきました。しかし、そのことだけはいくら言われても聞けません。シモンは、魚をとる漁師です。小さい時からこの湖の近くに住み、漁師を職業としている魚を取るプロです。そのプロの漁師が、昨夜から一晩中網を入れても、魚は一匹も捕れなかったのです。そんな時は、どんなに焦っても、努力しても魚が取れないということをよく知っています。ですから、そのことについては、すぐには言うことを聞くわけにはいきません。  シモンは、イエスさまに言いました。  「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、一匹も魚はとれませんでした。」 心の内を言いますと、  「不漁の時はこんなものなんです。素人のあなたに何がわかるのですか」 という気持ちです。  この言葉は、長年の経験に裏打ちされて自信に満ちています。  「しかし、あなたのお言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」論より証拠、やってみればわかりますよと言わんばかりに、言われたように仲間の漁師と一緒に網を降ろしました。  すると、おびただしい数の魚が網にかかり、網がいっぱいになりました。網が破れそうになりました。そこで、もう一艘の舟に合図して、手を貸してもらい、やっと網いっぱいの魚を引き上げました。二艘の舟は魚で一杯になり、舟は沈みそうになりました。  シモンと、その仲間たち、そこにいたゼベダイの子ヤコブもヨハネも、びっくりしました。あり得ないこと、信じられないことが起こったのです。そこに奇跡が起こったのです。彼らは奇跡を自分の目ではっきり見たのです。  シモンは、思わず「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言って、イエスの足もとにひれ伏しました。  イエスさまは、シモンに言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」  そこで、彼らは、すなわちシモン、そしてゼベダイのヤコブとヨハネは、舟を陸に引き上げ、すべてを捨てて、イエスさまに従いました。このシモンというのは、後に12人の弟子たちの兄貴分ともいうべき人になったペトロのことでした。 2 ペトロとイエスの出会い  この出来事は、ルカ福音書が伝える奇跡物語です。そして、ペトロとイエスさまの最初の出会いの物語であり、イエスさまの招きの物語でもあります。  マルコの福音書にも、イエスさまが、ペトロたちに出会い、彼らを招き、シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが、親も舟もその場に置いて、イエスさまに従ったという話(1:16-20)がありますが、そこには、おびただしい魚が捕れたというような奇跡物語はありません。たぶん、二通りの伝わりかたをするペトロとイエスさまの出会いの物語があったのだろうと考えられています。  ルカ福音書が伝えるイエスさまは、魚を取る漁師として、専門的な知識や経験を持っていて、自信満々のペトロの鼻をへし折ってしまったこの奇跡物語を伝えています。ペトロが専門とする世界で、捕れるはずのない所で魚が、それもおびただしい数の魚が捕れたという奇跡をもって、彼の知識や経験が取るに足りないものであることが示されました。ペトロや、その仲間ヤコブやヨハネの驚き、恐れが伝わってきます。 3 ペトロの信仰告白  ペトロは、「イエスさまの足元にひれ伏して」「主よ、わたしから離れてください」と言いました。「ひれ伏す」という動作は、礼拝する者の姿を表わします。  それまでは、イエスさまに対して、「先生」と呼んでいました(5節)。会堂から会堂へと巡回して歩く律法学者やユダヤ教のラビ、「先生」の一人ぐらいだろうに思っていました。しかし、今、目の前に起こった奇跡を見たとき、呼び名が変わりました。「先生」から「主よ」という言葉に変わりました。「主よ」という呼びかけは、信仰告白の言葉です。「あなたこそ主です」それは、神よりの使者、神の聖なる方、神そのものである呼び名です。  そして、「わたしから離れてください」と叫びました。驚きを通り越して恐れ、恐怖の念を抱きました。神なるものへの畏怖、神聖な者と同じ所に居ることへの恐れを感じました。  旧約聖書のある場面を思いおこします。モーセがシナイ山に登り神から十戒を授かって、山から降りてきたとき、 「民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。(イスラエルの)民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。  『あなたが、わたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちに(直接)お語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。』  モーセは民に答えた。  『恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。』  民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。」                           (出エジプト記20:18〜21)  神に近づくのを恐れたイスラエルの民のように、シモンは、イエスさまに対して、この方は、神に近い方であると気づき、神に近づくことの恐れを感じたのでしょう。「わたしから離れてください」と叫びました。    さらに、「わたしは罪深い者なのです」と自分の罪の告白をしました。シモンがいう「罪」とは、どのような罪を言っているのでしょうか。その場で、とっさに自分の生活をふり返って、あんな悪いことをした、こんなひどいことをしたと思い返し、そのことを思い返して罪の告白をしたのでしょうか。そうではなく、イエスさまを「主」としなかったこと、神を神としなかったことに思い至り、自らの悔い改めをし、思わず罪を告白する言葉が口から出たのでありした。 4 イエスの招き  この同じルカによる福音書の少し後のほう、5章31節に、イエスは言われました。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と。  イエスさまは、罪人を招いておられます。自分自身が罪人であることを認めている人を招いておられます。言いかえれば、「わたしは罪深い者なのです」と告白するシモンこそ、イエスさまに招かれている人、招かれる資格を備えた人になったということになります。  イエスさまは、シモンに言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と。  旧約聖書に、かつて神は預言者エレミヤを通して語られた言葉があります。  「見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。」(エレミヤ16:16)  イエスさまは、シモンに、「あなたは、今までは魚をとる漁師だった。しかし、これからは、神のために人間を、人を釣り上げさせる漁師となる。人間を取る漁師としてあなたを遣わす」と言って、シモンを招き、さらに、宣教者、伝道者として派遣することを暗にお示しになりました。  これは、ルカ福音書が伝える、シモン・ペトロとイエスさまの出会いの物語です。シモン・ペトロは、イエスさまに出会い、み言葉に触れ、今までの経験や知識や常識を越えるようなびっくり仰天するような出来事を目の当たりにし、罪を告白し、イエスさまの招きを受け、そして、舟も網もすべてを捨てて、イエスさまに従いました。  それ以後、ペトロは、つねにイエスさまの12人の弟子たちの一人として、イエスさまに従い、イエスさまの十字架と復活を体験し、聖霊の強い後押しを受けて、人々にイエス・キリストを宣教する者となっていきました。  私たちは、今日、シモン・ペトロというイエスさまの弟子の一人のイエスさまとの出会いについて学びました。  私たち一人一人にも、イエスさまとの出会いがあります。 その出会い方は、それぞれ、みな違っており、さまざまな出会い方をします。  しかし、ほんとうの出会いというのは、出会って、ただ知っているというだけでは、ほんとうの「出会い」とは言えません。  先輩、先生、友人、私たちには多くの出会いがありますが、私たちが求めなければならない、ほんとうの「出会い」とは、イエスさまに出会って、心揺さぶられ、心の底から罪を告白し、さらにイエスさまに招かれ、クリスチャンとしてこの世に遣わされていく、生涯、イエスさまに従っていく出会いではないでしょうか。  ペトロやその他の弟子たちのように、イエスさまとの「出会い」によって、価値観が変わってしまう、生き方ががらっと変わってしまうような、出会いを求めたいと思います。  イエスさまとのほんとうの「出会い」をもつことができますよう心から願い求めたいと思います。    〔2010年2月7日 顕現後第5主日(C) 桑名エピファニー教会〕