神殿から商人を追い出す

2015年03月07日
ヨハネ福音書2章13節〜22節 1.ほんとうの救い  宗教は何のためにあるのでしょうか。なぜ、神や佛を信じるのでしょうか。宗教の目的は何ですか。  このような問いについて考えてみたことはあるでしょうか。  キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、ユダヤ教でも、全ての宗教の目的は、人びとの「救い」ということにあると思います。私たち一人ひとり、人間の心が、魂が、救われる、救いを与えるということだと思います。  それでは、「救い」とは何でしょうか。その内容については、それぞれの宗教によって、説いているところに違いがあります。  人間の心の救いを中心に考える宗教もあれば、病気やケガが治るという御利益宗教もあり、お金が儲かるとか、肉体の安楽を説く宗教もあります。  また、自分の力で、精神修養とか、修業とか、自分の努力で、救われることを説く宗教もあれば、外からの大きな力を信じて、これに寄りすがる、神や佛に依存して救いを受けると説く宗教もあります。  その他にも、世界中には、いろいろな宗教があり、簡単に分類や、解説をすることが難しいるのですが、しかし、長い人類の歴史を振り返ると、宗教のない時代や民族はないと言われます。  言いかえれば、すべての人間が、いつでも、どこにいても、「救い」を求めている存在だということができます。  私には、救いというといつも思い出す小さい頃のある出来事があります。  私は、小学校の3年生の頃に終戦を向かえました。終戦後間もなく、和歌山県の新宮市というところへ家族で引っ越し、中学校の途中まで、そこで過ごしました。  新宮市には、熊野川という川があります。和歌山県と三重県の境を流れている一級河川で、新宮市はその河口にある街です。そこに大橋という橋が架かっていました。  学校や街の中に、プールもないし、プールの時間もない時代です。夏になると、友だちと誘い合って、この川へ泳ぎに行きました。親の目を盗んで、河原で服を脱ぎ、水遊びをしていました。今はたぶん遊泳禁止になっていると思います。  やっと、水に顔をつけられるようになり、水の中で目を開けられるようにもなって、手足をばちゃばちゃやっていた頃です。大橋の下で遊んでいました。背が届く水辺から、コンクリートの橋桁のふもとまで、友だちはみんな泳いでいって、橋脚の土台に上がって、「お前も、早く、泳いで来い」と手招きし、はやしています。ほんの7、8メートルですが、私は、そこまで行ったことがありません。はやし立てられて、自信がなかったのですが、顔を上げずに、ばちゃばちゃやったら、あそこまで行けるのではないかと思って、泳ぎ始めました。このような大きな橋の橋桁の下は、水流で、川底が掘れていて、とっても深くなっていることはわかっていたのです。  橋脚までたどりついて、やれやれと思って、橋脚の土台に足が届いたのですが、つかまる所がありません。反対に土台を足で蹴ったので、深みにもどってしまい、呼吸ができなくなくなってしまいました。水を吸い込み、溺れてしまいました。水の中で、手足をバチャバチャしながら、上がったり沈んだりしている間の苦しかったこと、今でも忘れられません。子ども心に、死ぬんだと思いました。そして、その間の時間の長かったことも覚えています。  その時に、知らないおじさんが、ちゃぶちゃぶと川の中に入ってきて、もがいている私を、水の中で差し上げ、私を抱いて、河原まで運んでくれました。苦しくて、水を吐いている私を見て、そのおじさんは、何も言わずに、歩いて行きました。その人の後姿だけ見えていました。  友だちは、どうしていたのか、その後、どうなったのか、覚えていないのですが、服を着て、夕方になって家に帰ったのですが、川で溺れたことは、両親に話さなかったことも覚えています。  へんな体験談をしましたが、私にとって、救いとか、救われるという言葉を聞くと、この幼少の頃の溺れていて、どこかのおじさんが水の中に入ってきて、助けてもらった、救ってもらったという、少年時代の出来事を思い出します。  川や海で溺れなくても、誰にでも、長い人生の内には、「助けてくれ」「救ってください」と叫びたくなるようなことがあるのではないでしょうか。  特別の事件や出来事がなくても、毎日の生活の中で、空虚さを感じたり、生きがいを失ったり、病気で苦しんだり、人間関係がうまくいかない、お金に困ったり、生きていくこと自体に嫌になったり、不満を感じたり、罪の意識から逃れられなかったり、などなど、そのような状態から抜け出したいと思うことはないでしょうか。  そのすべての状態を含めて、心の、魂の「救い」を求めている自分があります。  何千年も昔の人びとは、自然の厳しい現象、民族と民族の戦い、戦争、貧困、支配者による抑圧、など、その時代によって、さまざまな苦難を乗り越えてきました。  そのために、人間の力ではどうしようも無いとき、神に救いを求めてきました。それぞれの宗教を通して、いかに生きるべきかということの答えを求めてきました。  今の時代にあって、私たちは、キリスト教の神を信じ、そこに救いを求めて、生きる意味を見いだし、生きがいを、生きることの喜びを得ようとしています。  前置きが長くなりましたが、「ほんとうの救い」を求めるということを、頭に置きながら、今、読みました聖書の言葉について考えてみたいと思います。 2.エルサレムの神殿  ヨハネによる福音書2章13節〜22節ですが、イエスさまが、神殿から商人たちを追い出されたという出来事が記されています。 先ず、その当時あったエルサレムの神殿について知って頂きたいと思います。  紀元前1000年頃、ダビデ王によって、高い山の上にあるエルサレムがイスラエルの首都とされ、エルサレムに聖所が設けられました。ダビデの子、ソロモンがここに大きな神殿を築きました。これを第一神殿と云います。贅を尽くした広大な建物でしたが、紀元前586年、バビロニアのネブカデネザル王によって完全に破壊され、約50年廃墟となっていました。  その後、紀元前520年に、ユダヤの指導者ゼルバベルによって、神殿が再建され、これは、第二神殿、ゼルバベル神殿と呼ばれます。この神殿の建設によって、神さまに犠牲を捧げるのは、この神殿でだけ行うということになり、エルサレム神殿は、イスラエル民族の礼拝、宗教的な中心地となりました。  さらにエルサレムの神殿が壮大な神殿に生まれかわったのは、ヘロデ王の時代でした。ヘロデ王が改築した神殿は、14ヘクタールある境内は高い石垣に囲まれ、中央の神殿はひときわ高く、白く輝く大理石と金銀で飾られ、ソロモンの神殿をしのぐものでした。ヘロデの神殿、第三神殿と云われます。紀元前20年頃に着工し、10年ぐらいでほぼ出来上がり、其の後も追加工事が続いていました。 3.イエスは暴力をふるった。  イエスさまが、目にしておられた神殿は、このヘロデの神殿でした。イエスさまの時代のユダヤ教の宗教行事というのは、各地にある会堂で、律法が読まれ、祈りをささげられていました。一方、エルサレムの神殿では、中央にある祭壇で、羊や山羊、牛などを殺し、これを焼いて犠牲をささげる儀式を行っていました。  旧約聖書のレビ記を見ますと、個人や家族、民族全体として、ささげるべきいけにえが決められていて、定期的に羊や山羊や牛を生贄としてささげていました。地中海沿岸の各都市に散らばっていたユダヤ人たちも、毎年、祭りのシーズンになると、エルサレムに帰ってきて生贄をささげなければなりません。多いときには、このエルサレムには20万以上人たちが集まったと言います。  門前市をなす。神殿の周りには、いろいろな店が並び、賑わいます。とくに、はるばる外国から帰ってきて、生贄や献金をささげようとする人たちのために捧げ物用の動物を売る人たちがいます。また、神殿への納入金、一人あたり半シュケルを納めなければならなかったため、ギリシャやローマのお金を両替料を払って、ユダヤのお金、シュケルに両替しなければなりませんでした。両替商人や動物を売る商人たちが、神殿の最も聖なる所の近くに屋台を構えて、商売をしていました。そのために、神殿の祭司たちとこの商売をする人たちの間に利権が生まれ、収益を得ている人たちもいました。  イエスさまは、神殿の前にたむろするこれらの商人たちを見て、怒りをあらわにされました。  マルコの福音書では、11章15節以下には、このように記されています。 「それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しになりませんでした。そして、人々に教えて言われた。   「こう書いてあるではないか。(イザヤ56:7の引用)   『わたしの家は、すべての国の人の      祈りの家と呼ばれるべきである。』    ところが、あなたたちは      それを強盗の巣にしてしまった。」  と叫び、屋台や椅子をひっくりかえし、神殿から追い出しはじめた」とあります。  ヨハネ福音書では、  「イエスは、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。  『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』  弟子たちは、  『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』   (詩編69:10) と書いてあるのを思い出した。 「このような物は、ここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」  と、イエスさまが言われると、ユダヤ人たちは、イエスさまに、  「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言いました。  マルコ福音書では、祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、「イエスをどのようにして殺そうかと謀った」と記しています。  このように、イエスさまが、怒り心頭に発し、暴力をふるわれたというのが今日の福音書です。  私たちは、何が起ころうと、イエスさまだけは、興奮したり、感情的になったりなさらない方、イエスさまは、いつも優しく、柔和で、愛の人であるというイメージを持っています。  しかし、ここでは、イエスさまは、怒り狂って暴れ廻っておられるのです。  イエスさまは、私たちと同じ肉体を取り、完全な人間となり、私たちと同じ感情を持ち、喜怒哀楽を露わにされたという一面を見せておられます。  父の家であり、神の家である神殿を、お前たちは、商売の種にしている。利権をむさぼり、神の家を欲望の餌食にしている。お前たちこそ、神を冒涜する者たちであると、叫んでおられます。  私は、このような人間イエスの姿に魅力を感じます。 4.ユダヤ人たち、イエスの権限を問う。しるしを求める。  これに対して、ユダヤ人たちはどのように反応したでしょうか。  「これは、長年、先祖代々やってきたことだ。この商人たちは、神に捧げ物をしたい人たちのために、便宜を計っているのだ。神殿の役人の許可もとってある。これを止めることができるのは、神だけだ。お前は神だとでもいうのか。それなら、そのことを示す「しるし」を見せてみよ」と云いました。  自分が神だとでもいうのなら、奇跡を行ってみよ」と云いました。  彼らには、イエスさまが怒っておられる意味がわかりません。イエスさまが怒っておられることに対して、「何の権限を持っているのか」「だれからそんな権限を与えられたのか」と、表面的な形式にこだわり、このように問うて、自分たちの「思い込み」を貫こうとしました。  すると、イエスさまは、「この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる」と言われました。  そこで、イエスさまを取り巻いているユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは3日で建て直すのか」と、最も常識的な問いを投げ返しました。  これに対して、ヨハネ福音書の記者は、このように解説しています。  「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」と。さらに、イエスさまが、死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスさまがこのように言われたことを思い出し、聖書と、イエスの語られた言葉とを信じた」と記しています。 5. 神殿の建設とイエスの復活  イエスさまは、何に怒り、何をぶち壊そうとされたのでしょうか。なぜ、暴力を振るってまで、何かを訴えようとされたのでしょうか。  先ほど、言いました「救い」ということを頭のおきながらもう一度考えて頂きたいと思います。  イエスさまの時代のユダヤ教も、「救い」をもたらすはずの宗教だったはずです。彼らは、会堂で律法を教え、祈りをささげ、そして神殿で、いけにえをささげて罪の贖いを求めています。しかし、神殿の建物は、壮大で大理石と金銀で飾られ、人の目を奪い、圧倒するような立派なものです。しかし、そこで行われていることは、ただ権威と習慣にこだわり、形だけを見世物にしている儀式だけです。そのしていることの実態は、神殿の門前で犠牲の動物を買い、献金の両替をして、ささげる。金儲けと利権だけが支配し、そのためにの賑わいがあるだけです。  本来、神殿は、神が住みたもう家であったはずです。神聖な所、聖霊が満ちている所です。  しかし、お前たちは、これを強盗の巣にしている。ただ、祭司や商売人の金儲けの場所にしてしまっていると、怒りを露わにしておられます。  これに対して、同時に、イエスさまは、「わたしこそ、神さまが住んでおられる、まことの神の住まい、まことの神殿である。しかし、わたしは、十字架に掛けられて殺されるであろう。しかし、そのわたしが、3日目によみがえり、真の神殿として姿を現すであろう」と預言しておられるのです。  イエスさまが、このように神殿の境内で行われた行為や言葉が、結果的には訴えられる原因になり、裁判で十字架につけられることになりました。エルサレムの神殿の祭司長や祭司たち、両替人や商人たちが扇動して、ユダヤ人たちに「十字架につけよ」と叫ばせました。その結果、神のみ子が十字架のつけられ、死んで、葬られ、3日目によみがえられるという、神さまが計画された人類救済の最大のドラマが繰り広げられることになりました。奇しくも、ユダヤ人たちは、このドラマの幕を開ける手伝いをしたことになりました。  イエスさまが、当時のこの出来事を見聞きした人に、ほんとうの「救い」とは何かを伝えようとしておられる意味を、今、あらためて受け取り、ほんとうの救いを求めたいと思います。 〔2015年3月8日 大斎節第3主日 東舞鶴聖パウロ教会〕