キリストと共によみがえる

2015年04月06日
コロサイの信徒への手紙3:1-4  「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」  イースター、おめでとうございます。主の御復活を祝い、主の復活によって与えられた恵みに心から感謝いたします。  毎年、巡ってくるイースターですが、新たな気持ちでキリストの御復活について、学びたいと思います。  イエスさまが十字架に懸けられて、息を引き取られたのは安息日の直前でした。 安息日が明けて、日曜日の朝になりました。  朝早く、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人の女性は、イエスさまの遺体に油を塗りに行くために香油を買い、遺体の手入れをするためにお墓に急ぎました。  そのお墓は、岩を掘って作られた横穴式のお墓でした。その墓の入口には、石臼を縦に置いたような大きな石でふさがれていました。  女の人たちは、「お墓へ行っても、あの大きな石は、わたしたちでは動かせませんね。だれかあの石を動かしてくれる人がいるでしょうか」と言いながら、お墓に向かって足を早めました。  ところが、お墓に着いてみると、その入口の石はすでに脇に転がしてありました。  誰か、先に来ている人がいるのだろうかと、おそるおそるお墓の中に入って見ますと、岩の壁をくり抜いた棚のようになった所、確かにイエスさまの遺体を安置したはずのその所は、空っぽになっていました。  イエスさまのご遺体がないのです。この婦人たちはびっくりしました。  ヨハネ福音書によると、イエスさまを包んだ亜麻布だけが残されていて、イエスさまの頭を包んだいた覆いは離れた所に丸めてあったと記されています。  婦人たちは声も出ないで驚いて立ちすくんでいました。その右手に白い長い衣を着た若者が座っているのが見えました。そして、その若者は言いました。  「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。ここがあの方をお納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」  婦人たちは、無我夢中で墓を出て、逃げ出しました。震え上がり、正気を失っていました。そして、しばらくの間は、だれにも何も言わなかった、恐ろしかったからであるとあります。  これは、今日の福音書、マルコによる福音書が伝えるイエスさまのご復活の出来事です。  その後、「空っぽになった」お墓の第一発見者である女性たちから報せを聞いて、ペテロやその他の弟子たちも駆けつけました。しかし、彼らが見たものは、やはり、「空っぽのお墓」でした。  白い衣を着た人から「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と言われましたが、イエスさまが復活される、その瞬間を、その出来事を、実際に見た人は誰もいません。具体的に、目に見える形で、どのようにしてよみがえられたのか、説明できる人は誰もいません。  マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人の婦人たち、そして駆けつけた弟子たちも、復活の証人となったのですが、実際に見たものと言えば、空っぽになったお墓だけでした。  ヨハネによる福音書によりますと、「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も(墓に)入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、2人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った」(20:8〜10) とありますから、弟子たちも、初めからすぐには信じて理解するということはできなかったことがわかります。  時間が経つにしたがって、イエスさまが生前語っておられたことを思い出し、さらに、復活したイエスさまがたびたび弟子たちのところに現れたという出来事があって後、徐々に信じるようになり、さらに主の復活の証人として、力強く証しするようになっていきました。    このような、イエスさまのご復活の出来事を知り、イエスさまのご復活の出来事について話を聞き、これをを信じて、私たちはお祝いしています。  しかし、さらに、もう一歩進めて、「わたしたちのよみがえり」、「私たちも復活するのだ」という信仰について考えてみたいと思います。  今日の使徒書、パウロがコロサイの信徒に書いた手紙のことばを、もう一度見て下さい。  「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」(コロサイ3ノ1,2)  ここで、パウロは、「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」と言います。キリストが死んで、復活したことは、その他の死者も死んで復活することがあり得るということです。  私たちは、キリストによって、キリストと共に復活させられる者になったということです。  さらに、パウロは、コリントの信徒への手紙第一 15章12節以下に、次のように述べています。  「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。  死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。」(12-16)  パウロは、「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」と、何度も繰り返しています。キリストが復活したのだから、死者も復活すると言うのではないのです。まず、すべての死者が復活する可能性がある。だからキリストも、当然、復活したのだと言います。  さらに、15章19節〜23節には、 「この世の生活で、キリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。(19-21) ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。(23)」と記しています。  私たちは、自分が、イエスさまに導かれて、よみがえるということを、本当に信じているでしょうか。  パウロが言うように、キリストが死んでよみがえったということは、福音の中心です。  ただ、キリストの死を、描いた餅のように、絵に描いて飾っておくだけでは、ほんとうの復活信仰とは言えません。  私たちも、キリストと共によみがえり、キリストと共に居ることができる、私たちの自身のよみがえりを信じることがなければ、キリスト教の信仰にはなりませんし、私たちの救いはないのです。  どれほど大きな声で、宣教や伝道だと言って叫んでみても、キリストの復活と、自分自身の復活が信じられなければ、絵空事にすぎない空しいことを言っていることになるのです。  よく質問されます。「人は、死んだらどうなるのですか?」、「私たちクリスチャンは、死後や死者をどう捉えるのですか?」、「生きるとは何ですか?」、「死ぬこととは何ですか?」と。  一口に答えることは、難しいことですが、しかし、それは、キリスト教の最も大切な、救いに関わる問題です。  私たちは、聖餐式の中で、毎回、ニケヤ信経を唱えます。  その最後の所で、「罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます アーメン」と、唱えます。洗礼を受け、「主に属する者」となった私たちは、イエス・キリストを信じ、イエスさまを受け入れ、イエスさまに従い、その生涯をまっとうしたとき、その終わりの日に、よみがえって、神の国に向かえ入れられることを約束して下さっています。その望みを持ち続けて生きているのです。  先日、4月2日(木)の夜、テレビで、NHKの「クローズアップ現代」という番組を見ていました。その日のテーマは「最後の同期会 沖縄戦『ひめゆり』たちの70年」というものでした。  1945年4月1日。それは、米軍が沖縄に上陸した日です。  日本人およそ18万人、うち12万人の沖縄県民が犠牲になったとされる沖縄戦から、ちょうど、70年になります。  沖縄戦の象徴とも言われてきた「ひめゆり学徒隊」に動員された沖縄県立第一高等女学校の“最後の同期会”が、先月開かれました。  そこに集まったのは、当時女学校の4年生だった38人。16歳だった少女たちは、いま86歳になっています。  戦場で助けを求めてきた親子を置きざりにした体験、傷ついた兵士、動けなくなった級友を、置き去りにして、待避せずにはいられなかった女子学生。  戦後、教師として子どもたちに伝えてきた女性、疎開して学徒隊に同行せず、自分だけが生き残ったことに思い悩んできた女性、生きていく術として米軍基地関連の商売を続けてきた女性等々、彼女たちは、同級生たちの遺影が並ぶ資料館や、自決があった海岸で、じっとたたずむ86歳の女性たちの姿がありました。  その番組では「ひめゆり学徒隊」の“最後の同期会”に密着して、“沖縄の痛み”を抱えながら戦後を生きてきた同期生たちの70年を見つめるというものでした。  その番組の中で、一人のおばあさんが、足もとも危なっかしく、山道を登り、その激戦の中で、傷ついた兵士を収容した所、同級生が動けなくなってそこで命を絶った岩山、その洞窟(ガマ)の入口に、花束を置いて、涙を流しながら、ここで亡くなった親友に、何回も語りかけていました。  「あなたを置き去りにして、待避してしまってごめんね。恐かっただろうね、寂しかったろうね、つらかったろうね。ごめんね。わたしも、こんなに年を取ってしまって、もう、ここへ来るのは、今日が最後になると思う。足がこんなになってしまって、もう歩けなくなってしまったからね。  だけど、わたしも、間もなくそっちへ行くからね。そのときには、また会えるからね、もうすぐ、そっちへ行くからね。また、昔のように話し合おうね。待っててね。」と、何回も繰り返している光景が、強く印象に残りました。  その方は、70年間、死んで行った、友を思い、家族を思い、死ぬよりもつらい思いを引きずりながら生きて来られたのだと思います。その方に、何か宗教的な背景があるのかどうかわかりませんが、「あの世」で、「天国」で、再開することを、願いながら、そのことを固く信じて、この70年間を生きて来られたのではないかと思いました。  私は、この方のように、生きていくことに、ほんとうの苦しみ、つらい体験の向こうに、死んであの世で会えることに望みを持つように、死者がよみがえって、イエスさまに出会えることに、確信と希望を持ちたいと思います。  キリストは、復活により、死を滅ぼし、人々をすべての苦しみと罪から解放してくださいました。 〔2015年4月5日 復活日(B) 東舞鶴聖パウロ教会〕