信じない者ではなく、信じる者になりなさい.
2015年04月13日
ヨハネ20:19〜31
「トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20:27)
先主日は、私たちはイエスさまの復活を祝い、感謝の礼拝をささげました。教会の暦では、聖霊降臨日(ペンテコステ)まで、復活節というシーズンを過ごします。
イエスさまについて歩いていた婦人たちや弟子たちは、イエスさまを葬ったお墓が空っぽになっている事実を見ました。
それだけではなく、福音書によりますと、その弟子たちのところに、復活したイエスさまがたびたび現れたという証言が記されています。
今日の福音書(ヨハネによる福音書20章19節〜29節)は、ヨハネが伝える独自の記事で、現代人にもありそうなことだという意味で、わかりやすい物語です。
復活したイエスさまが、弟子たちのところに最初に現れたときには、トマスは、そこに居ませんでした。
外から帰って来て、他の弟子たちがイエスを見たという話をしているのを聞いて、「そんなことは信じられない」と言いました。
トマスは、「あの方の手に、釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。
このことから、トマスは、懐疑主義者トマス、実証主義者トマス、唯物論者トマスと言われています。
自分の目で見て、手で触って、自分の耳で聞いて、確かめなければ納得できない、信じられないというのです。
その時代から2千年以上が時が経ち、私たちは、もっと科学的な知識を持ち、いろいろと確かめる方法を知っています。実証されなければ、証拠をちゃんと見せてくれなければ信じられないという、それが当たり前の時代に、私たちは、生きています。従ってこのトマスの考え方には、共感するところがありますし、よく分かるような気がします。
しかし、私たちが、見る、聞く、触る、味わう、嗅ぐといった五感は、ほんとうに確かなものなのでしょうか。
感覚に訴え、自分で見たもの、触ったものは、聞いたものは、ほんとうに信用できるのでしょうか。
それほど、私たちの五感や感覚というものが確かなものなのでしょうか。
まず自分自身の感覚や体験というものに、疑問を持つべきではないでしょうか。
私たちの五感や感覚、そして意識というものは、絶対に変わることがない、不変のものだと思い込んでいることに、疑問を持つべきではないでしょうか。
反対にこれほど不確かなものはないということに気づくべきではないかと思うのです。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という文は、有名な平家物語の冒頭の言葉です。
これは、鐘の音は、科学的、物理的に言えば、いつも同じように響くものです。朝に夕に、鐘は同じ周波数で鳴り、聞こえてきます。鐘の音は変わりません。
しかし、聞く方の気分が違えば、鐘の音も違って聞こえるというのです。
嬉しく聞こえたり、懐かしく聞こえたり、淋しく聞こえたりします。
鐘の音は変わっていないのに、これを聞く人間の気分、気持ちが変われば、その音色が違っているように聞こえてきます。
私たち人間というものは、朝と夕方では、気分も考えも、意識の在り方も違います。時々刻々、変わって生きています。
そして、私たちには、見ていても見えない、聞こえていても聞こえない、というようなことがよくあります。人間の五感は、感覚というものも、それほど確かかなものではないということがわかります。
最初、弟子たちが集まっているところに現れた復活のイエスさまは、一週間後、再び弟子たちの所に現れました。その時には、トマスも同じ部屋の中にいました。
このトマスに向かって、復活のイエスさまは言われました。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に 入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と。
あなたの感覚はそれほど確かなものなのですか、それほど信じられるものなのですかと、問うておられます。それならば、わたしの手を見なさい、わたしの脇腹に指をつっこんで見なさい。そうすれば、あなたは満足するのならやってごらんなさいと言われます。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
「なんのためにそうするのか。信じたいからか、信じたくないからか」そして、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と勧めます。
トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と言って、信仰の告白をしました。
このように、弟子たちは、最初は、イエスさまが復活したということが、すぐには信じられませんでした。
しかし、時間が経つにつれて、信じる者となっていったのです。
イエスさまが、生前、「わたしはよみがえるであろう」と言われたことを思い出したこともあります。
当時のユダヤ人の多くは、死者のよみがえりについて、論争していたということもありますから、その下地もあったのかもしれません。そして、彼らに聖霊が与えられ、聖霊の力が彼らを前に突きだしたのです。
このようにして、弟子たちは、「復活されたイエス」さまに出会ったということによって、大きな転換点を迎えることになりました。
ところが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネのどの福音書でも共通していることなのですが、不思議なことに、よみがえったイエスさまが、たびたび弟子たちに現れても、弟子たちには、それが誰だかわからなかったということです。
そのために、イエスさまは、「わたしだ、わたしだ」と、何回もご自分を指さして、ご自分のことを証明しようとしておられたということです。
弟子たちは、生前のイエスさまと3年間も寝食をともにし、親しく教えられたり、癒しの業に触れたりしていました。それだのに、復活したイエスさまの顔が、よくわからないのです。そして、あとになって、よみがえったイエスさまだったのだと気がつくのです。
私は、20歳の時に洗礼を受けてクリスチャンになりました。理屈っぽい青年だったと思います。
私は、現代人として、まあまあ普通の科学的な知識を持っている方だと思いますし、ある程度の理性も持ち合わせていると思っているのですが、最近、不思議なことを思い出してしようがないのです。
60年近く、忘れていたことが、頭から離れないのです。
私は、ある不思議な縁で、中学生の頃から教会へ通うことになりました。大阪聖ヨハネ教会という教会で、大阪府庁の近くにあって、牧師は、有近康男司祭でした。
当時、私は、神さまを信じられないまま、教会へ通っていました。高校を出てから印刷業の小さな会社に就職し、働いていたのですが、そこも辞め、ぶらぶらしていたことがあります。
その頃、フランスの文学者のアルベール・カミュという人の本にかぶれ、「異邦人」、「ペスト」、「転落」、「シーシュフォスの神話」などという本を読み、不条理、実存主義とかいう言葉を振り回して暗くなっていました。
毎日、底のない大きな穴の中に吸い込まれるような感覚にとらわれ、一方では反抗しながら、苦しくなると有近先生の所へ行って話を聞いてもらっていました。
先生は、いつでも何時間でも話を聞いてくれました。
ある日の夕方、しんどくなって、教会へ行ったのですが、牧師は留守でした。牧師館には誰もいないで、がっかりして、死にたいような気持ちになり、ふらふらと「大手前」まで歩き、大阪城公園のベンチに、一人座ってぼんやりしていました。
薄暗くなった頃、隣りのベンチにいた男の人が、たぶん30歳ぐらいの人でした。浮浪者のような感じの人だったと思います。
「兄ちゃん、今、何時や?」と、時間を聞かれ、こちらのベンチに来て、話しかけてきました。
話をしている間に、私は、自分の身の上話をしはじめたのだと思います。誰でもいい、話を聞いてもらいたかったのだと思います。
もやもやした心の内を話していました。その人は、黙って聴いてくれたのだと思います。話した内容は全然覚えていません。日がとっぷり暮れて、真っ暗になり、8時頃になっていました。
その人は、岡山の方から歩いてきて、3日間、何も食べていないと言いました。お金は一銭もないと言いました。
私のポケットには、40円と帰りの市電の切符が1枚だけありました。
そこで、天満まで歩いて、戸を閉めかけていたパン屋を見つけ、パンを買いました。1個10円のコッペパンを4つ買いました。大阪城公園に戻ると、真っ暗な中で、そのベンチにその人は座っていました。
パンを差し出すと、見ている間に3つ食べた。お茶も水もなしで、がつがつと食べました。残ったパン一つは貰ってもいいかと言って袋に入れて立ち上がり、暗闇に消えていきました。
私は、市電に乗って家に帰ったのですが、ふっと気が付くと、暗くて、重い、気持ち、死にたいいう思いは消えていました。
話の内容は覚えてません。しかし、ふらふらっと、どこかに飛び込んで、死なないですんだのです。
次の日に、あらためて有近先生の所へ行き、洗礼を受けたいと、自分から申し出ました。
次の日曜日に、すぐに洗礼志願式を受け、クリスマスに洗礼を受けました。
それだけの話なのですが、後で考えますと、私は、腕時計を持っていましたから、その人は、腕時計でもたかろうとして、近づいて来たのかもしれません。
神さまを信じることに抵抗して、信じるものかと突っ張っていた私が、しんどくなって、信じたいと思い、溺れる者が藁をもつかむ思いで、教会にあらためて飛び込んだ、そのきっかけとなった出来事でした。
それから、大学に入り、卒業と共に神学校へ行き、牧師になって、定年を迎えたのですが、この出来事については、長く忘れていました。
それから約50年以上が経って、今、そのことが思い出されてならな いのです。
私の小さな体験をここで語ることは、聖書を冒涜することになるかも知れませんが、あの時のあの男の人は、イエスさまだったのではないかと、ふっと思うようになったのです。
少なくとも、死にたいと思っていた私が、死なないですんだのです。信じるものか、信じられないと思っていた私が、信じる者になったのです。
誰にでも、そのような経験があるのではないでしょうか。イエスさまが誰かの姿をとって、現れてくださる。
しかし、その顔がわからないので、イエスさまだとは気がつかないのです。3歳の子どもの口を通してでも神の声を聴くことが出来ると言われたことがあります。よみがえったイエスさまは、いろいろな人の姿をとって、
今も、私たちに現れて下さっているのではないかと思います。
私たちには、それが誰だかわからないでいるのです。
ルカ福音書に、2人の弟子が、エルサレムからエマオへ行く途中で、よみがえったイエスさまと出会ったという出来事が記されています。そのイエスさまは、この二人と一緒に歩かれました。夕方になって、宿屋に泊まって食事をしている時、
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、2人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。2人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、11人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。2人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」(ルカ24章30節〜35節)と記されています。
私たちは、聖餐に与ります。聖餐式とは、復活したイエスさまに出会う瞬間です。イエスさまと出会う出来事です。イエスさまは、パンを裂き、弟子たちに与えて言われました。「このパンを取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしの体です。わたしを記念するため、このように行いなさい。また食事の後、杯を取り、感謝して彼らに与えて言われました。「皆この杯から飲みなさい。これは罪の赦しを得させるようにと、あなたがたおよび多くの人のために流すわたし新しい契約の血です。飲むたびにわたしの記念としてこのように行いなさい」と。
キリストの肉と血にあずかる時、私たちは、復活のイエスさまに出会っているのです。私たちは、この恵みに感謝し、賛美の声を上げるのです。ともに、よみがえって今ここにいてくださるイエスさまを体で感じ、その恵みに感謝と賛美の声を上げましょう。
〔2015年4月12日 復活節第2主日(B) 東舞鶴聖パウロ教会〕