苦難が来る。
2015年11月14日
マルコ福音書13:14〜23
マルコによる福音書の13章は、イエスさまが弟子たちになさった最後の教えが記されています。14章からは、いよいよ十字架への苦難の道に入って行かれます。
13章では、エルサレムの神殿が破壊されるであろうということを予告し、世の終わり、終末のしるしについて語り、大きな苦難の時がくることを予告し、最後に、ほんとうの終末の時には、人の子、すなわち再臨のキリストが来られることを告げておられます。
聖書が書かれた時代、いわゆる初代教会では、当時のクリスチャンの信仰とは、どういうものだったのでしょうか。
それは、旧約聖書の時代、とくに後期のユダヤ教の思想が、強く影響していました。先ほど読んでいただいたダニエル書12章1〜4節にもそのことが示されています。
「その時まで、苦難が続く。国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が」(12:19)と、苦難の時がくることが預言されています。
ダニエル書だけではなく、イザヤ書、アモス書、エゼキエル書、オバデヤ書も、後期の預言者は、「主の日」が来るということを預言しました。
今から2千年以上も昔の時代の人たちが持っていた宇宙観や世界観は、現在、私たちが持っている宇宙観、世界観とはずいぶん違います。
創世記には、真っ暗闇の混沌とした何もない所に、神が「光あれ」と言われて、宇宙万物が創造されたと記されています。 この世が神さまによって始まったのですから、この世の終わりというものが、かならずあると考えられていました。
そして、「その終わりの時」は近いと預言されていたのです。
マルコが福音書が執筆された西暦60年代、ユダヤ教の後期には、とくにこのような終末思想が強く、当時の政治の乱れや、ユダヤ人がローマ軍に反逆して起こしたユダヤ戦争の勃発などによって、生活が苦しく、人々は、その時は、いつ来るのか、どのようにしてくるのか、その時にはどうすればよいのかということが絶えず議論されていました。ユダヤ人は、不安と恐れの中に、非常に差し迫った「時」が想定され、緊張が続いていました。
このような状況の中で、イエスさまは、弟子たちに、エルサレムの街と神殿が崩壊されだろうと予告し、終末のしるしが表れる、その時には、大きな苦難が来ると予告されました。
「主の日」が来たるということは、救い主が現れることであり、神が裁きをもたらす「時」でもありました。
宗教的民族、信仰共同体であるユダヤ人にとって、異教徒である他国の支配者の言いなりになり、異教の神々をまつる習慣を押しつけられたり、経済的な圧迫を受けるということは絶えられないことでした。
一方、主の日、裁きの日、救い主が来るということは、それが世の終わりの出来事と共にやってくるのであれば、当時のユダヤ人にとっては、それは希望の日であり、救いがもたらされる日であり、喜びの日でもあり、その日を待望していました。「苦難の時」、それは、政治的に、宗教的に、経済的に、圧迫や困窮や、屈辱に苦しむ時であり、その苦しみが大きいほど、この日が来るのを強く待つという気持ちが高まっていました。
そして、その日は近いと預言され、緊張が続いていながら、なかなかその日が来ないので、終末到来が遅れているという思いが、人々の心を混乱させ、良い指導者が現れると押しかけたり、偽キリストが横行したりする出来事が絶えません。
イエスさまは、このような背景の中で、弟子たちに忠告されたのが、今日の福音書です。
ユダヤ人を滅ぼそうとする者たちが雪崩れ込んで来て、エルサレムの神殿にある祭壇の前に立ったら、
「そのときには、山に逃げなさい。安全な場所に逃げなさい。」
「今、屋上にいる者は下に降りてはならない。」
「家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。」
「外にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。」
「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女はとくに大変だ。」
「このことが冬に起こらないように、祈りなさい。」
「デマや間違った情報にまどわされるな。」と語られたのです。
マルコによる福音書13章3節以下に、このように記されています。(3節〜4節)
このように、危機感を持っている人たちのことを、現在の私たちの問題に置き換えて考えてみましょう。
4年前、2011年3月11日に起こった「東北地方太平洋沖地震」については、私たちの記憶にまだ新しい地震です。
マグニチュード9・0、最大震度7、9・3メートル以上の津波、死者(原発事故による死者は含まないで)15,892人。行方不明者2,574人、負傷者 6,152人の大地震でした。津波が押し寄せる状景をビデオで見ますと、「そのときには、山に逃げなさい。安全な場所に逃げなさい。」「今、屋上にいる者は下に降りてはならない。」「家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。」「外にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。」「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女はとくに大変だ。」「このことが冬に起こらないように、祈りなさい。」「デマや間違った情報にまどわされるな。」と言われた警告がそのまま通用する光景でした。
とくに日本は地震大国だと言われます。
2011年8月に政府の機関から出された警告によると、「南海トラフ(海溝)大地震が予報されています。30年以内にマグネチュード8〜9ぐらいの大地震発生の確率が、70パーセントと発表されています。
また、2013年12月の発表によると、相模湾トラフにおける首都直下地震が、2007年〜2036年の間に、マグネチュード6.7〜7.2程度の地震が起こる確率は70パーセントと言われています。もし、この地震が起これば23,000人の死者、61万棟の家屋が倒壊するだろうと予測されています。
これは、新聞やテレビで報道されていますので、よく知られていて、今さら脅かすわけではありませんが、日本中に地震帯や断層があって、いつどんな災害があるかわかりません。
昔の人たちは、地震も、津波も、台風も、竜巻も、大雨も、雷も、洪水も、干ばつも、これらの自然現象は、すべて神さまとの関係でとらえられていました。また、戦争、暴動、殺人、飢饉や病気、疫病も、これらの人間社会で起こる現象さえも、すべて神さまとの関係でとらえられていました。その一つ一つの出来事は、神の意志であり、神の怒りの現れであり、神の裁きとして受け取られていました。そのゆえに神を恐れ、神を敬い、なんとかして神のみ心のあるところを知ろうと努力しました。
その一方で、美しい自然、豊かな水、豊かな土地、豊作や地の産物、平和、安心、家族や友人とのよい関係も、すべて神さまとの関係でとらえ、これを神さまの恵みとして受け取り、神さまに感謝をささげ、神さまを賛美しました。そして、喜びに満たされ、生きる力が与えられ、生きる原動力となっていました。
私たちが生きている今の世界や、私たちの生き方を振り返ってみますと、大きな違いがあります。
とくに、近年、物質的な豊かさを誇っている国々では、科学の発達、物質文明と呼ばれる分野の発展はめざましく、昔の人たちから到底想像さえできなかったような世界に住んでいます。ほんとうに何もかも便利になり、たくさんの情報が瞬時に手に入り、もっと便利に、もっと豊にという欲望は止まるところを知りません。
古代の人々、すなわち、聖書の時代に人々が恐怖であり、不幸の源であった自然現象や病気にかかわる悩みの多くは、今、そのほとんどの原因が解明されつつあります。台風も雷も地震も大雨も、その原因や発生の理由もわかっています。その原因はすべて取り除くところまではいっていませんが、ある程度予防したり予知したりすることができます。またその情報は、その場ですぐに世界中に知らせることができますし、知ることもできます。
科学の発達は、多くの自然現象からくる恐怖を取り去りました。もはや、自然現象から、神の怒りや神の裁きや神の意志を知ろうとする人はいなくなりました。神を恐れなくなった、その結果、神はいないとか、神を必要としないとか、神さまを信じて生きることができにくくなりました。言いかえれば、人が、神のようになってしまいました。
イエスさまの時代から、約2千年が経ちましたが、私たちは、自然の現象や、さまざまな出来事の向こうに、目に見えない神さまの意志が働いていることを信じています。神さまが支配しておられる力を信じています。なお、聖書の約束に従って、「終わりの日」があることを信じます。「主の日」が近いことも信じます。主キリストが再び来られることを信じます。
この世の終わりがあるように、私たち一人ひとりにも、かならず初めがあり、終わりがあることを知っています。
マタイによる福音書25章14節以下に「タラントンのたとえ」という、イエスさまが語られたたとえ話があります。
あるご主人が、旅に出かけることになり、僕たちを呼んで、自分の財産を預けました。それぞれの能力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけました。そこで、早速、5タラントン預かった僕は、それで商売をして、ほかに5タラントンを儲けました。同じように、2タラントン預かった者も、ほかに2タラントンを元手にして仕事をして、2タラントンを儲けました。しかし、1タラントン預かった僕は、出て行って庭に穴を掘り、ご主人から与った金を隠しておきました。
さて、かなり日がたってから、僕たちのご主人が帰って来て、僕たちを呼んで、彼らと清算を始めました。
まず、5タラントン預かった僕がご主人の前に進み出て、ほかの5タラントンを差し出して言いました。『御主人様、私に5タラントンお預けになりましたが、これを元手にして、御覧ください。ほかに5タラントン儲けました。』すると、ご主人は言いました。『お前は、忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、もっと多くのものを管理させよう。わたしと一緒に喜んでくれ。』と言いました。
次に、2タラントン預かった者も、ご主人の前に進み出て言いました。『御主人様、わたしに2タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに2タラントン儲けました。』
ご主人は言いました。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。わたしと一緒に喜んでくれ。』
ところが、1タラントン預かった僕も、ご主人の前に進み出て言いました。『御主人様、あなた様は、蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地面の中に穴を掘って隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
すると、ご主人は言いました。『お前は、怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、いっそのこと、わたしの金を銀行に入れておいた方がましだった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、この僕のタラントンをこの男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
このような「たとえ」を語られました。
私たちの人生は、生命は、いろいろな能力や体力は、神さまから預かっているタラントンです。私たちは、それぞれに預けられたタラントンを使って、毎日の生活をしています。
ところが、神さまは、突然、私たちに清算を求められます。
神さまからお預かりしたタラントンをお返ししなければなりません。私たちが人生の最後を迎える時、神さまから「忠実な良い僕だ。よくやった。わたしと一緒に喜んでくれ」と、誉められ、喜ばれるような人生を送りたいと思います。
今日の福音書の言葉は、ご主人が、突然帰ってきて、清算を求められるように「その時が来る」だから、眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいなさいと言われます。(�汽謄汽蹈縫隠機В院�10)
〔2015年11月15日 聖霊降臨後第25主日(B-28) 東舞鶴聖パウロ教会〕