「わたしたちはどうすればよいのですか。」
2015年12月12日
ルカによる福音書3章7節〜18節
イエスさまが、人々の前に姿を現して、宣教活動を始められたのは、およそ30歳であったと記されています。) イエスさまが、人々の前に姿を現す前に、ヨハネという人が荒れ野に現れて、人々に罪の悔い改めを勧め、
ヨルダン川で、洗礼を授けていました。
そのことから、このヨハネは、バプテスマのヨハネ、洗礼者ヨハネと呼ばれます。
このバプテスマのヨハネは、そこに集まってきた群衆に向かって、
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。‥‥ 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(ルカ3:7-9)、と叫び、神の怒りと神の裁きを宣告していました。
これを聞いた群衆は、徴税人も兵士たちも、それぞれ、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねました。 これに対して、ヨハネは、自分さえ良ければよいという貪欲な生活を捨てよと勧めていました。
このようなヨハネの言葉を聞いて、ユダヤ人たちは、ひょっとしたら、この人は、われわれが待ち望んでいる救い主、メシヤではないかと思い始めました。
それを知ったヨハネは言いました。
「わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしはあなたたちに水で洗礼を授けているが、その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、その方は、箕を持って、麦と麦殻を選り分けられる。麦を倉に入れ、麦殻は火で焼き払われる。」と言いました。(3:16-17)
バプテスマのヨハネは、自分の後から来られる、イエスさまのことを「わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。」と言って紹介しました。
バプテスマのヨハネは、イエスさまに対して、旧約聖書時代の最後の預言者として、道備えする者、イエスさまを迎えるために、人々に心の準備をして待つことを告げる人でありました。(イザヤ40:3-5)
聖書にたびたび強調されていることですが、イエスさまは、無色透明、まったく白紙の状態の所に、突然、姿を現わされたのではありません。
旧約聖書の中に預言された出来事、そして、約束された方が、その預言や約束を実現するために、この世に来られたのだということです。
言いかえれば、私たちに旧約聖書時代の歴史や出来事について、知識がなければ、新約聖書に記されている事柄、イエスさまの教えや、イエスさまがなさったこと、イエスさまがこの世に来られた意味そのものが、まったくわからなかったということです。
バプテスマのヨハネは、ユダヤの人たちに、旧約聖書に記された言葉や事件を思い出させ、自分の後に来られる方こそ、それを実現される方なのだと指さし、理解することを求めました。
ずいぶん昔のことですが、私が45歳の頃、1981年の5月に約1ヶ月、アジア・キリスト教協議会という超教派の団体から招きを受けて、教会の中堅指導者研修会に参加しました。
その会合は、インドで開かれ、インドの真ん中にあるバンガローという町で行われ、そこで会議に出席したり、研修を受けたりしました。
その研修プログラムの一つとして、インドの各地方にある教会を訪ね、その教会の信徒の人たちと交わりを持ったり、礼拝を共にするというプログラムがありました。
私は、インドのいちばん南、ケララ州のコチンという町に行くことになり、飛行機と、列車と、さらに迎えに来てくれた自動車に揺られて、まる1日かかって、目的地に着きました。
そこには、南インド教会、マルトマ・チャーチというキリスト教の教派の教会があり、さらに、その町から自動車で迎えに来てもらって、田舎の教会へ連れて行かれました。
あとで地図を見ると赤道のすぐ上にある地域で、熱帯の森林の中にある小さな村でした。そこの教会は、教会と言っても、柱と屋根があるだけの建物です。正面の高い所に祭壇があり、粗末なベンチに、男女が左右に分かれて座り、通路も柱の外にもいっぱい人が群がり、前の方には子どもたちが土間にじかに座っています。
その日は、日曜日の礼拝が行われました。その教会の司祭さんは、いくつもの教会を受け持っているということで、英語で話をすることができました。時間になって、聖餐式が始まりました。
聖餐式は、すべて土地の言葉で唱えたり、歌ったりしていますが、司祭さんの動作などを見ていると、今、何を唱えているか、だいたい分かります。伴奏は太鼓だけ、リズムのいい歌声を響かせます。しかし誰も祈祷書や聖歌集を持っていません。全部暗記していて、大きな声で歌います。体中で楽しんでいるような活気のある礼拝でした。
聖餐式が進んで、いよいよ日本からはるばるやってきた私が説教をすることになりました。
礼拝前の打ち合わせでは、私が英語で話をし、司式をしているその教会の司祭さんが、その土地の言葉に通訳してくれることになっていました。
「わたしは、日本から来ました。」「I came from Japan.」と、先ず第一声を発しました。
ところが、私の隣りに立って通訳してくれているその司祭さんが、その後で10分ぐらいしゃべるのです。
何を言っているのか、私にはその内容は全然わかりません。やっと一区切りついたところで、私は次の言葉を語りました。
「わたしは、日本の大阪から、インドのカルカッタまで、ジェット機に乗って来ました。」
すると、また、その先生が、汗をかきながら、20分ぐらいしゃべるのです。
できるだけやさしく話そうと思って、準備していたのですが、なかなか前に進みません。
しかし、そこに集まっている人たちは、大人も子どもも一生懸命聴いています。日本からはるばる来て、説教をしているのに、こちらは、単語を3つか4つずつしかしゃべっていないのに、通訳にかこつけて10分も20分も自分でしゃべるのです。
自分はいつでもしゃべれるだろうに、なんぼ何でもそれは失礼だろうと、途中から頭にきました。
ずいぶん時間がかかるので、準備した説教の半分も語れず、途中で説教をやめてしまいました。
それでもその日の主日礼拝は3時間半ぐらいかかっていたと思います。
聖餐式が終わって、控え室にもどりました。
礼拝後のお祈りがすんで、私は、早速、その司祭さんに、抗議をしました。
「わたしが3語か4語ぐらいしか話していないのに、あなたは通訳するのに10分もしゃべった。いったい何をしゃべっていたのだ」と尋ねました。
すると、その司祭さんは、「あなたが『わたしは、日本から来ました』と言っても、ここにいる人たちは、日本という国はどこにあって、どんな国か知りません。だから、日本の国がどこにあって、どういう国なのかということを説明しなければならないのです。『ジェット機に乗って来た』と言っても、ここにいる人は、誰も、一度もジェット機というものを見たことも、乗ったこともありません。ジェット機とはどんなものかを説明しなければわかりません。だから、ジェット機の説明をしていたのです。」「日本とインドは、何千キロも離れていると言っても、高度1万メートルで飛んできたと言っても、そのまま通訳しても、その距離感がありません。またその説明が必要になります。」と言いました。
文明や文化の違いだと言ってしまえばそれまでですが、私たちが、当たり前だ、常識だと思っていることが、コチンの、さらに山奥に住む人々には、まったく理解出来ないことだったのです。反対にインドのコチンの山奥に住んでいる人たちがよく知っていることで、私たちが知らないことがたくさんあるのだということがわかりました。そのことがわからなくて、頭にきていた自分を恥ずかしく思いました。
その時以来、35年も経っていますから、今は、その村にもテレビが普及し、携帯電話も持っているでしょうし、世界中の情報が入っているだろうと思いますが、当時は、まだそのような時代ではありませんでした。
このように、私たちも、自分が生きている時代や環境の中で、過去において経験したことや知ったこと、知識というものがなければ、予備知識がなければ、まったく別の世界の新しい出来事を口で語られても、なかなか理解することはできません。そして、それは受け容れられないということになってしまいます。
キリスト教や、キリスト教の神さまを否定する人と、話をしてみても、それを受け入れるためのある程度の予備知識がなければ、話は噛み合いません。たとえば「愛」について話し合っても、愛という言葉の意味に共通点がなければ、いつまで経っても受け入れあうことは難しいのです。
さて、神の御子をこの世にお迎えするということについて考えてみましょう。まず、それは私たちの知識や経験をはるかに越えた出来事であったということです。
何の知識も準備もない人のところに、イエスさまが現れて、「わたしだ、わたしだ。わたしが神の子だ。救い主だ」と言われても、とうてい人々には、それが何のことだかわかりませんし、受け入れることが出来なかったと思います。
イエスさまが、この世に来られるためには、イスラエル民族という、一つの小さな民族が選び出され、教えられ、訓練を受け、試みられることが必要でした。
その間に、律法が与えられ、預言者やさまざまな指導者たちが与えられました。
それでも神のみ心に背くユダヤ人の頑なに生きた生き方が続きました。
神の御子が、私たちと同じ肉体をとって、この世にお生まれになる、そして人々の前に姿を現されるためには、旧約聖書に描かれている物語、何千年という長い時間が必要だったのです。その長い時間を経て、知識と経験が与えられ、そして、時が満ちて、その時が与えられたのでした。
それでも、すべての人がこの方を受け入れられたのではありません。
これを受け容れた人たちと、受け容れられなかった人たちがいました。
洗礼者ヨハネは、イエスさまの出現を前に、ユダヤの人々に、目と耳に、さらに彼らの心に、準備をさせる、
予備知識を与える大きな役割を果たしたのです。
バプテスマのヨハネは、イエスさまをゆび指す人であり、紹介者であり、露払いの役割を果たすために現れました。
同時に、バプテスマのヨハネは、人々に、罪の悔い改めを迫りました。そして「悔い改めにふさわしい実を結べ」と叫びました。
ヨハネは、来たるべき方のために、道備えを叫ぶ人でありました。「悔い改めにふさわしい実を結べ」と言われた当時の人々は、口々に「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねました。
今、イエスさまをお迎えしようとする私たちが、ヨハネの言葉を聞いて、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねると、バプテスマのヨハネはどのように答えるでしょうか。
ヨハネは、私たちの前に立ち、
「あなたがたの心の中に、主がお生まれになる。主が歩まれる道を整え、荒れ野の土のように固まったあなたの心を掘り起こし、曲がった心をまっすぐにし、でこぼこ道のような心を平らにし、神の救いを仰ぎ迎えよ」と、
言われるのではないでしょうか。
これが、今、主のご降誕を迎える私たちの心の準備です。
クリスマスを何十回祝っても、何千回祝っても、もし、私たち一人一人の心に、今、イエスさまがお生まれにならなければ、イエスさまとのほんとうの出会いがなければ、空しいお祭り騒ぎにすぎません。
間もなく、主がお出でになります。私たちの心が、馬小屋の飼い葉桶になり、「すべて準備はできています。
さあ、どうぞ、ここにお生まれ下さい」と言えるように、心の準備を整え、その日を待ちましょう。
〔2015年12月13日 降臨節第3主日(C) 於 ・ 京都聖マリア教会〕