クリスマスのテーマは「愛」

2015年12月25日
ヨハネによる福音書1章1節〜14節  クリスマス、おめでとうございます。  イエスさまのご降誕をお祝いし、心から神さまを賛美したいと思います。  クリスマスの聖餐式では、毎年、今、読みましたヨハネの福音書の1章1節以下の聖書の個所が読まれます。  新約聖書の最初に4つの福音書があります。イエスさまの誕生から亡くなるまで、その後、復活されるまで、イエスさまのなさった活動や教えられたことが記されています。  その内の、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書では、マリアさんとヨセフさんが、住民登録をするために、ガリラヤ地方からベツレヘムの町に来て、馬小屋で、イエスさまがお生まれになったこと、星に導かれて東方の国から占星術の博士たちがはるばるやって来たり、荒れ野で、夜、野宿して羊の番をしていた、羊飼いたちの所に、天使が現れて、ユダヤの王、救い主、メシヤがお生まれになるというお告げを受け、それぞれ、飼い葉桶に寝かされているイエスさまを拝みに来たという、イエスさまの誕生物語、クリスマス物語が記されています。  しかし、今、読みました4番目の福音書、ヨハネによる福音書には、そのような、キリスト誕生のほのぼのするような物語は一言も触れられていません。  その代わりに、淡々と次のような言葉で始まります。 「初めに言があった。言は神と共にあった。言葉は神であった。言は肉となってわたしたちの間に生まれた。」(1:1,1:14) 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:18)と、このように記されています。  マルコ福音書は、西暦60年〜65年頃、マタイとルカは、80年から85年頃に書かれたと言われています。一方、ヨハネ福音書は、100年頃と言われますから、イエスさまが亡くなってから 70年も経ってから書かれたと言われています。  マタイ、マルコ、ルカが書かれた時代は、ユダヤ人クリスチャンの教会の影響を受け、旧約聖書の預言の成就や、ユダヤ人が持っている救い主待望の思想や信仰に応じようとする背景の中で書かれました。  そして、ヨハネは、ギリシャ人クリスチャンが集う教会の中で書かれ、ギリシャ思想、グノーシスと言われるのですがその影響を受けていると言われます。  ヨハネ福音書の1章1節の「初めに言があった」と書かれた「言」ですが、ギリシャ語で、「ロゴス」と言います。これは、単に「ことば」というだけでなく、哲学的な深い意味を持っています。創世記の最初に「初めに、神は天地を創造された。」その時、神さまは「光あれ」と言われました。この「光あれ」こそ、神の言であり、神さまの思いであり、神さまの意思です。  そのような意味で、言は、意思、理性、などを表します。 私たちも、ものごとを考えるのも、ことばで考えるのであり、それを表現するのもことばを使います。人間が、他の動物と違い、万物の霊長と言われるのは、このように言葉を持っているからだと言えます。(日本にキリスト教が伝えられ、聖書が日本語に訳される時、ヨハネ福音書冒頭のこの言葉を、宣教師ギュツラフは「初メニカシコイモノゴザッタ」また「初めに道ありき」と訳しました。)  ヨハネは、イエスさまがこの世にお生まれになったことを、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。言は世にあった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と表現しました。  イエスさまの前に荒れ野に現れたバプテスマのヨハネは、イエスさまのことを紹介し、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:16-18)と言いました。  昨夜は、クリスマス・イヴ、今日は、クリスマス。  世界中で、これほど誕生日が意識され、祝われている方は、イエスさま以外にありません。  日本でもいたる所で、クリスマスの飾りが飾られ、クリスマスの音楽が流れ、プレゼントが行き交い、この日だけは、みんなクリスチャンになったのではないかと驚くほどですが、ところが、少なくとも日本の国では、今日が過ぎると、みんなクリスマスのことを忘れてしまいます。クリスマス・ツリーをはじめ、すべての飾りを外し、明日からはお正月の飾りつけに変わってしまいます。  しかし、私たち本当のクリスチャンにとって、大切なことがあります。今日こそ、クリスマスの本当の意味をしっかり受けとらなければなりません。  馬小屋で飼い葉桶を囲み、そこに寝かされている乳呑み児を見つめる姿の中に、クリスマス・ケーキやプレゼントの中にも、込められている意味を忘れてはなりません。  最も大切な、クリスマスのテーマは、クリスマスの意味は、「神さまを愛し、人を愛する」ということです。  クリスマスのテーマは、「愛」です。  馬小屋でお生まれになったイエスさまは、30年後、おとなになって、再び人々の前に姿を現されました。そのイエスさまに出遭うことです。そのイエスさまは、人々にいろいろと教え、病気の人々を癒やし、弱い人、最も小さい人々と共に居られ、そして、つねに天上の父である神さまを指さしました。  そして3年後には、十字架につけられ、殺されてしまったのです。その生きざま、死にざまを通して、私たちに教えられてのは、「愛」であり、「神の恵み、真理」であったのです(1:17)。  ある時、律法学者の一人が、イエスさまに、たくさんある律法の中で、どの律法が一番だいじなのですかと、尋ねました。 それに答えて、イエスさまは言われました。 「第一の掟は、『わたしたちの神である主は、唯一の主である。全身全霊を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』  第二の掟は、『隣人を自分のように愛しなさい。』この2つにまさる掟はほかにない」と。(マルコによる福音書12章28節〜31節(マタイ22章34節〜40節、ルカ10章25節〜28))  また、ある時、イエスさまは言われました。  「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、あなたがたは、わたしの弟子である」と。(ヨハネによる福音書13章34節〜35節)  また、ヨハネによる福音書15章では、「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と。(ヨハネによる福音書15章9節〜13節)  また、聖パウロは言います。。(コリントの信徒への手紙一 13章1節〜13節)  「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとして、わが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。‥‥‥それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」  さらに、ヨハネの第一の手紙の言葉を紹介しましょう。 「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。  神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」(ヨハネの手紙一4章7〜11節)  ヨハネ福音書の1章18節に、このように記されています。  「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子であるある神、この方が神を示されたのです。」  イエス・キリストは、わたしたちと同じ肉体をとり、わたしたちに見える姿であらわされた神の愛です。わたしたちには、神は見えません。いまだかつて、神を見た人はいません。しかし、今日、この日、神は、御子をこの世に与え、神の愛を見せて下さったのです。  わたしたちは、誰でも、みんな、いつも人を愛したい、人から愛されたいと思っています。人間関係をつなぐ力は、愛です。親子、夫婦、友だち関係、あらゆる世界で愛が求められています。テレビドラマでも、映画でも、文学、小説でも、歌の歌詞の中にも、「愛」をテーマにしたものが、溢れています。「愛」は、人生の永遠のテーマです。  しかし、なかなか人を愛することができません。人々は、愛に飢えています。ほんとうに愛し合うことができないためにいろいろな悲劇が起こっています。  愛そのものは、最も身近にあるにかかわらず、これを取り出して、直接これを見せることはできません。  唯一、「神の愛はこれです」と言って、見える姿で表されたのが、イエス・キリストです。  クリスマス。今年のクリスマスこそ、神さまが与えられた神の愛を、しっかりと受け取る時です。  クリスマスのほんとうの喜びは、ここにあります。  今日、与えられた神の恵みをしっかりと受け取り、喜びにあふれてこの時を祝いましょう。  クリスマスの感謝と賛美の礼拝をささげましょう。    〔2015年12月25日 降誕日 京都聖ヨハネ教会〕