預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

2016年01月31日
ルカによる福音書4章21節〜32節    イエスさまは、人々の前に姿を現し、ヨルダン川で、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、さらに、荒れ野に導かれて、40日40夜、断食して、悪魔の誘惑に打ち克たれました。  その後、ガリラヤ地方を中心に宣教活動を開始されたのですが、ある時、イエスさまは、幼年時代、少年時代、青年時代を過ごした故郷ナザレの村を訪れました。その日は安息日でした。会堂に入られ、そこでイエスさまは、聖書(イザヤ書)を朗読されました。 「主の霊がわたしの上におられる。 貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。 主がわたしを遣わされたのは、 捕らわれている人に解放を、 目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫されている人を自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4:18、19)  その聖書の朗読が終わった後、話しをされました。  イエスさまは、この聖書の中で、預言者イザヤが言っている「わたし」というのは、「わたし」のことだという意味で、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。話を聴いていた人々は、驚きました。こんな話しは聴いたことがない。その内容があまりにも具体的であり、権威をもって語られたので、皆はイエスさまをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いきました。  しかし、同時に、「この人はヨセフの子ではないか」と言う人たちもいました。それを察したイエスさまは、言われた。  「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない」と。  カファルナウムは、ナザレから直線距離で30キロほど北西に行ったガリラヤ湖に面したかなり大きいガリラヤ地方の中心となる街でした。  すでに、イエスさまは、この街で、宣教活動を始めておられ、マルコによる福音書によると、汚れた霊に取り憑かれた男が叫びだし、イエスさまは「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、その男はけいれんを起こし大声をあげて出て行ったという出来事がありました。(マルコ1:21-28)  この評判は、ナザレまで聞こえていて、それなら、この故郷ナザレでも奇跡を行ってみせろというに違いないと言われました。さらに、その一方で「ヨセフの子ではないか」と心の中でつぶやき、「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(マルコ6:3)と言って、人の生まれや育ちのことばかりに目を向けて、好奇心やからかい半分で見ている人たちもいました。  そこで、イエスさまは、「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われました。(4:23,24)  そして、イエスさまは、誰のために、何のために、来られたのかということを明らかにされるために、旧約聖書にあるエリヤとエリシャという2人の預言者にかかわる話しをされました。  預言者エリヤは、紀元前869年から849年ごろ、北イスラエル王国で活躍した預言者です。  イスラエルの7代目の王アハズ(紀元前869年〜850年)は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルと結婚しました。  このイゼベルは非常にきつい性格の女性で、イスラエル王国に権力をふるい、父エテバアルがバアル宗教の祭司であったので、その影響を発揮し、イスラエルの宗教を排斥し、サマリアにバアルの神殿を建て祭壇を築きました。  イスラエルの神に仕える預言者エリヤは、神の怒りによって、この地域一帯に数年の間、雨が一滴も降らない干ばつが起こり、飢饉に襲われることを予言しました。  ところが、アハズ王とイゼベルの手による迫害がエリヤ自身に迫ってくる中、「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」という神の声を聴き、エリヤは、神の導きによって、イスラエルから北の方に逃れ、フェニキアのツロとシドンの間にある異教の地サレプタに逃れました。  この町で一人のやもめに会い、水を飲ませて欲しいと願いました。そこで、エリアは、神の言葉によって、そのやもめに汲んでも尽きない水と、食べても尽きることのない小麦粉と油を与えました。 列王記上17章15節、16節には、  「こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった」と記されています。また、エリヤが滞在中、このやもめの息子が重い病気にかかり、死ぬという事件がありました。エリヤは、この息子をベッドに寝かせ、神さまに向かって、「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか」と祈り、エリヤは子供の上に3度身を重ねて、「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」と祈ると、神は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになり、子供は生き返りました。(列王記上17章20節〜22節)  エリヤがその子を母親に渡すと、このやもめの女性は、エリヤに言いました。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」と言って信仰の告白をしました。このやもめは、ユダヤ人ではありません。シドン地方すなわち異教の土地に住む女性です。この人がイスラエルの神の力を体験し、そして、エリヤが信じているイスラエルの神を信じたのです。  イエスさまは、この旧約聖書の列王記上17章1節〜7節に記されている出来事を取り上げ、「エリヤの時代に3年6か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」と言われました。  また、預言者エリシャの時代に起こった出来事を挙げて言われました。  エリシャは、やはり北イスラエルにおいて、紀元前9世紀 に活躍した預言者で、預言者エリヤの後継者と言われています。このエリシャは、数々の奇跡を行ったと列王記に記しています。その中からイエスさまは、エリシャが、アラムの王の有能な将軍ナアマンのらい病を癒やしたという出来事を取り上げておられます。  アラムの王の軍司令官であったナアマンは、数々の勝利を挙げて王に重んじられ、気に入られていました。この人は勇士でありましたが、重い皮膚病、らい病を患っていました。  アラムの軍隊が、かつてイスラエルの地に攻め込んだ時、一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていました。あるとき、この少女は、女主人に言いました。「イスラエルの国のサマリアにエリシャという預言者がいます。ご主人様がこの人の所においでになれば、あの重い皮膚病をいやしてもらえるのですが」と。そこでナアマンが王さまの所へ行って、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、アラムの王さまは、「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」と言いました。こうしてナアマンは金銀や贈り物を持ち、サマリアに向かいました。ナアマンがイスラエルの王のもとに持って行ったアラムの王からの手紙には、「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように」と書かれていました。すると、イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言いました。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。このアラムの王は皮膚病の男を送りつけて、癒やせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ」と。  神の人と言われる預言者エリシャは、イスラエルの王が衣を裂いて怒っているということを聞いて、イスラエル王のもとに人を遣わして言いました。  「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼は、イスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」  ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入口に立ちました。すると、エリシャは、使いの者をやって、「ヨルダン川に行って7度身体を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」  すると、ナアマンは怒って、こう言いました。  「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を置き、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。川の水で洗えというぐらいだったら、ダマスコの川の方がまだましだ」と言って、彼は身を翻して、憤慨しながら去って行きました。  しかし、ナアマンの家来たちが将軍の所へ来ていさめました。「将軍さま、あの預言者が何か大きなことをせよと、あなたに命じたとしても、あなたはその通りになさらなかったでしょうか。あの預言者は、『身体を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」と言いました。ナアマンは、思い直して、神の人エリシャの言葉どおり、言われたように、ヨルダン川に入り、7度身を浸しました。すると、ナアマンの身体は、元に戻り、小さい子供の体のような肌になり、清くなりました。ナアマンは、家来全員を連れて神の人、預言者エリシャのところに引き返してきて、エリシャに言いました。「私は今、イスラエル以外には、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください」と。すると、エリシャは、「わたしが仕えている主は生きておられます。わたしはその贈り物は受け取ることはできません」と言って、辞退しました。  この後、この物語は続くのですが、列王記下5章1節〜27節に記されているお話しです。  この旧約聖書に記された出来事を挙げて、イエスさまは、 「また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにも、重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかは、だれも清くされなかった。」と言われました。(4:27)  預言者エリヤの出来事、たいへんな飢饉の中で食べ物が与えられ、死んでいた息子を生き返らせたという奇跡も、さらにエリシャの出来事、シリアのナアマンのらい病を癒やした奇跡でも、神さまからの霊の力によって奇跡が行われ、大きな恵みがもたらされたのですが、それを受けたのは、異邦人であった、異教徒だったではないかと言われるのです。  神さまから特別の力が現される、奇跡が行われるのは、血筋でもなければ、特別の地位や権力、名声によるのではないと言われます。旧約聖書に記された実例を挙げながら、イエスさまは、神の救いの普遍性を強調されます。人種や民族や、貧富の差や、権力の有無などを越えて、神の救いがもたらされるだということを語られました。  「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」(4:24) しかし、ナザレの人々にとっては、イエスさまと、同郷、故郷が同じであったために、両親や兄弟のこと、小さい時のことなどをよく知っているために、それが妨げになって、壁になって、イエスさまの本当の姿を、まっすぐに見ることができませんでした。素直に話しを聴いて受け止めることはできませんでした。  ナザレの会堂で、イエスさまが言われる「わたしだ」「わたしだ」、イザヤ書に記されている「わたし」と書かれているのは、わたしのことだと言われた意味を受け入れることはできませんでした。 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスさまを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとしました。しかし、イエスさまは、人々の間を通り抜けて、ナザレの村から立ち去られました。(4:28-30)  さて、私たちと、イエスさまとの関係、神さまとの関係ですが、長い信仰生活の中で、長年、慣れ親しんでいるために、いつの間にか、私たちの心が故郷ナザレの村に、ナザレの村の人々のようになっていないでしょうか。  イエスは、「ヨセフの子ではないか」、「この人は、大工だった」、「マリアの息子で、その兄弟姉妹も知っている。彼らは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と言って、なれなれしくなり、イエスさまのことを、神の子イエス、救い主イエス、この方によって、私たちの罪が贖われ、救いが、解放が、ほんとうの平安が与えられていることを、忘れてしまっていることはないでしょうか。  「預言者は、己が郷にて尊ばれることなし。」   〔2016年1月31日 顕現後第4主日 下鴨キリスト教会〕