「あなたの信仰があなたを救った」
2016年10月09日
ルカによる福音書17章11節〜19節
私が使っています1993年発行の「新共同訳聖書」には、今読みました聖書の個所には、「らい病を患っている10人の人をいやす」という見出しがついています。その後発行された聖書では「重い皮膚病を患っている人」となっています。
この「重い皮膚病を患っている人」とは、「らい病」という病気で、長い歴史の中で、この病気に対する強い偏見と差別があり、数多くの人々が苦しめられてきました。
1871年、A.G.H.ハンセンによって、細菌学的に病原が明らかにされ、1943年には、アメリカにおいて、プロミンという薬が開発され、この薬によって、らい病は、完治されることになりました。日本では、1947年頃から使用され、完全にこの病気はなくなりました。それでもなお、社会的、精神的な差別や偏見が続き、「らい病」という言葉には、そのような差別と偏見の意味がまだ残っているので、聖書には「重い皮膚病を患っている人」という言葉で表現されることになりました。
約2000年昔、イエスさまの時代には、この重い皮膚病に対する治療の方法がない時代ですから、重い皮膚病の症状からこの病気にかかった人に触れると、病気がうつる、悪霊に取り憑かれているといった偏見が強く、宗教的にも「汚れている」と言って、一般の社会から隔離され、恐れられていました。
旧約聖書のレビ記の13章、14章には、この皮膚病について、非常に細かい規定が記されています。
「もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか、彼の家系の祭司の一人の所へ連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、重い皮膚病である。祭司は、調べた後その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。」(13:2〜3)
さらに45節以下には、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」と、神の掟として定められていました。
この「らい病」、「重い皮膚病」という病気にかかると、それは、伝染すると言われ、祭司に見せて、「この人は汚れている」と宣言されると、人の住む所から離れて住まわなければなりません。頭からすっぽり布をかぶり、人に出会ったときには「わたしは汚れている」と呼ばわらねばなりませんでした。このような重い皮膚病を患っている人は、社会的にも宗教的にも排除され、家族からも縁を切られ、いわれのない非人間的な扱いを受けていました。生き地獄、悲惨な生活を送っていました。
イエスさまは、エルサレムに向かって進んで行かれる途中、北のガリラヤ地方からサマリア地方との間を通っておられた時のことでした。ある村に入ると、道ばたに、重い皮膚病を患っている10人の人が待っていて、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、叫びました。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫びました。
彼らは、掟に従って、布ですっぽり身を隠し、離れた所から悲痛な叫び声を上げました。
イエスさまが、あちこちで、病気の人を癒やし、奇跡を行っておられる、そのような噂を聞いて、隔離されている所から、たずねてきたのでしょうか。
「わたしたちを憐れんでください。助けてください」と、必死な思いで叫びました。すると、イエスさまは、彼らを見て、「祭司たちの所へ行って、体を見せなさい」と言われました。
レビ記の掟に従って「彼らは清くなった」と、祭司たちに証明してもらわなければ、社会復帰ができません。
彼らは、イエスさまの言葉を信じて、祭司の所へ向かいました。そして、その途中で、彼らは癒されました。イエスさまが手を置いたとか、一人一人に何かをしたわけではありません。「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」と記されているだけです。その時、奇跡が起こったのです。
その病いのゆえに、神に呪われた者としてレッテルを貼られ、社会から追われ、家族からも友人からも、あらゆる人間関係から排除されて、人間として生きていくことを全く否定されていたこの10人。しかし、この瞬間、彼らは癒されたのです。「汚れた者」と、自分も認め、人々から言われていた人たちが、「清くされた」のです。彼らは癒されたことを感じ、現実に起こったことを知って、躍り上がって喜びました。祭司に体を見せ、「清くなった」ことを証明してもらって、それぞれ自分の家にもどって行きました。
10人のうち、9人は、躍り上がって喜び、家に帰って行ったのですが、ところが、その中の一人だけは、自分がいやされたことを知って、大声で、神さまを賛美しながら、イエスさまのところに戻って来ました。そして、イエスさまの足もとにひれ伏して感謝しました。(15節、16節)そして「この人はサマリア人だった」と、記されています。
わざわざここに、この人は、サマリア人だったと記されていることには、大きな意味があります。
もとは、ユダヤ民族として、同じ国の人だったのですが、
紀元前850年、北イスラエルのオムリという王は、息子のアハブを、ツロの王エテバアルの王女イゼベルと結婚させました。イゼベルは、バアルの神という偶像を信じる信仰の持ち主で、北イスラエルの、とくにサマリア地方に偶像崇拝、バアル信仰をもたらしました。さらに他民族との結婚を強制したため、それ以後、ユダヤ人は、サマリア地方の住民に対して、偏見や差別意識が生じ、長い歴史の中で、強く根付いていました。(水を汲みに来たサマリアの女とイエスさまの会話。「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。」ヨハネ4:9)
「あれは、サマリア人だ」いう時、「異邦人だ」「外国人だ」というのと同じ意味を持っています。
「この人はサマリア人だった」と、わざわざ語られているのは、日頃、自分たちこそアブラハムの子孫である、モーセの律法を忠実に守っていると自負するユダヤ人。サマリア人を差別している側のユダヤ人。彼らには、イエスさまのなさったみ業に、神の力を見い出したり、感謝をささげる信仰は、みじんもなく、一方、差別されている側のサマリア人には、その信仰があったことが対比されています。
そこで、イエスさまは「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」と、言われました。
「大声で神を賛美しながら戻って来た」、「そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」それは、礼拝する人の姿です。このサマリア人は、一人だけ、イエスさまの後ろに神を見、感謝と賛美をささげ、足下にひれ伏し、イエスさまを礼拝したのです。この人は、イエスさまに信仰告白をしたのです。
ほかの9人も、同じように、らい病、重い皮膚病を癒やして頂きました。同じように喜び、躍りあがって、イエスさまのことなど忘れてしまって、引き離されていた家族や友人の所に帰って行きました。
彼らは、社会的にも、経済的にも、人間関係においても、その重い皮膚病によって苦しめられ、絶望していたものが、今、回復され、助かったのです。救われたのです。しかし、年月が経つと、その有り難さや喜びも、当たり前になり、いつか記憶も薄くなってしまいます。
しかし、一人だけ、イエスさまの所にもどってきたサマリア人は、どこへも行かず、家族や友人の所へは行かず、イエスさまの足もとへ、帰って来たのです。「イエスさまのところに帰ってきたのです」。イエスの足もとにひれ伏して感謝しました。いいかえれば、奇跡を与えてくださった、神さまの足もとに帰ってきたのです。
イエスさまは言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
9人の人たちは、重い皮膚病で苦しんでいたところを癒やして頂き、救われました。彼らも病気から解放されて、救われました。汚れた者とレッテルを貼られていた者が、「清い者」とされたのですから、彼らも救われたことには違いはありません。
しかし、イエスさまのもとに帰ってきたサマリア人は、肉体的に癒やされた、病気から解放されただけではなく、この奇跡を通して、イエスさまに出会ったのです。神さまに出会ったのです。神を賛美し、心から感謝することができる人に生まれ変わったのです。肉体的に癒やされただけではなく、心が解放された、ほんとうに神を知る人になったのです。
イエスさまは、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。
伝統的なユダヤ教徒の信仰にはない、ほんとうの信仰の喜び、いつまでも尽きることのない喜びの人生を、異邦人、外国人とさげすまれていたサマリア人に与えられたのです。
「救い」とは、「救われる」とは、何でしょうか。
「あなたの信仰が、あなたを救った」と言われるような信仰を持ちたいと思います。
〔2016年10月9日 聖霊降臨後第21主日(C-23) 聖光教会〕