荒れ野で叫ぶ者の声がする
2016年12月04日
ルカによる福音書3章1節〜6節
今日、降臨節第2主日の福音書は、「バプテスマのヨハネの役割と預言」というテーマで語られています。
まず、ルカによる福音書の3章1節には、片仮名の名前がずらずらっと並んでいますが、これは、当時の歴史家が時代を表すために取った方法で、時代や時を確認しています。
ローマの最初の皇帝アウグストゥスの後を継いだティベリウスは、紀元前14年にローマ皇帝の座に着きました。その皇帝ティベリウスの治世の第15年目ということは、紀元27年から28年の頃となります。ローマの属州であったユダヤ地方には、総督ポンティオ・ピラトが派遣されていました。
当時、ユダヤの国内では、ヘロデ大王が死んだあと、その息子たち、ヘロデ・アンティパス、フィリポ・アンティパス、リサニアの3人の兄弟が、ユダヤの国を分割して領主となり、それぞれの地域を治めていました。
さらに、エルサレムの神殿では、大祭司は、アンナスとカイアファであったと記されていますが、アンナスは、紀元15年に退職し、その婿のカイヤファが大祭司に就任てしていました。しかし、その後もアンナスが大祭司の権力をふるっていたと言われます。
このようにして、バプテスマのヨハネの出現が、間違いなく世界の歴史の中に、位置づけられていることを示したい意図が見えます。それは、引いては、イエスさまの存在が、歴史的な事実であったということを強調したいのが、福音記者ルカの気持ちだったのではないでしょうか。
そのような時代に、「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」と記されています。かつて、イザヤや、エレミヤが、預言者として活動し始めた時と同じように、神の言葉を預言する人として、バプテスマのヨハネの出現が紹介されています。バプテスマのヨハネを、旧約時代の最後の預言者として、位置づけ、ここに、ヨハネの使命を表しています。
ここで、このバプテスマのヨハネという人は、どんな人だったのかということを振り返ってみたいと思います。
ヨハネの誕生物語は、ルカ福音書の1章に記されています。 祭司ザカリアと、その妻、アロン家の娘エリザベトの間に生まれたのですが、生まれる前、まだ母エリザベトの胎内にいる頃から、ザカリアに天使ガブリエルが現れて、このように告げられました。(ルカ1:13-17)
「その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らを、その神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」と。
その子が産まれた後、ヨハネと名付けられました。その時、父ザカリアは、聖霊に満たされ、このように預言しました。
「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」と。
そして、幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいたと記されています。
彼は、ユダの荒れ野で成長したのですが、その荒れ野にはクムラン教団といわれるユダヤ教の一派が生活していました。 たぶん、そこで生活していたか、何らかの影響を受けたであろうと言われています。
エルサレムから南東に20キロほど下ったところに「死の海」(死海)という湖があります。その湖は、海面下392メートルにあって、琵琶湖の1.4倍ぐらいの大きさの湖です。塩分が普通の海水の6倍と言われていて、そのためにそこにはどんな生物も生きられず、「死海」と呼ばれています。
荒涼とした荒れ野の中にあるのですが、1851年に、この死海のほとりで、集落の廃墟が発掘されました。そこからたくさんの出土品や写本が発見されました。これが、紀元前2世紀から紀元後68年頃まで、ユダヤ教の一派、エッセネ派のクムラン教団の本拠であったということがわかりました。
そこでは修道院のような厳しい戒律のもとで集団生活が営まれていて、ヨハネは、このクムラン教団に属していたのではないかと考えられています。
マタイ福音書11章18節には、「ヨハネが来て食べも飲みもしないでいると、あれは悪魔に取り憑かれていると言い‥‥」とありますから、クムラン教団の修行生活よりもっと厳しい禁欲生活を送っていた人だったのではないかと想像されます。
ヨハネが、荒れ野に現れ、人々の前に姿を現したその時の姿を、「ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」(マルコ1:6)と記されていますから、山から下りてきた仙人のような姿だったのではないでしょうか。
ヨハネの預言は、当時のユダヤ教の主流をなしていたファリサイ派やサドカイ派の人々に向かって、彼らの教えていることや、していることを厳しく批判するものでした。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」と。(ルカ3:7-9)
ヨハネは、このように、人々に悔い改めを迫り、悔い改めた人々には、ヨルダン川で洗礼を授けていました。
イエスさまも、この時、ヨルダン川のほとりに現れ、ヨハネから洗礼をお受けになりました。
その後の、ヨハネの生涯ですが、数奇な生涯を送っています。
人々に、悔い改めを説いていたヨハネの矛先は、ユダヤの王族にも及びました。
ヘロデ大王の子、アリストプロスの娘ヘロディアは、叔父のヘロデ・フィリポと結婚していましたが、ヘロディアは、これと離婚して、同じ叔父のヘロデ・アンティパスと結婚しました。このような身内での権力争いと結婚、離婚を繰り返えす状態は、人々の中にも噂となり、律法に違反していると評判になっていました。ヨハネは、このことだけではなく、王族の悪事を容赦なく追求したので、王のヘロデ・アンティパスは、世間体をはばかって、ヨハネを捕らえ、牢屋に閉じ込めました。しかし、一方では、ヘロデ・アンティパスは、ヨハネという人は、正しい聖なる人であるということも知っていて、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞き、厳しい非難には当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたというところがありました。
ところが、妻のヘロディアの方は、ヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていました。しかし、なかなかその機会がありません。
ある日、夫ヘロデ王が自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催しました。その席上、ヘロディアの娘(連れ子)サロメが入って来て、踊りを見せ、ヘロデ王とそこに集まった客を、たいそう喜ばせました。
そこで、王(ヘロデ)は、サロメに、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前に何でもやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやってもいい」と、人々の前で約束しました。すると、少女サロメは、座を外して、母親の所へ行きに、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「バプテスマのヨハネの首を」と言いました。 そこで、サロメは、大急ぎで、宴会場の王のところにもどり、「今すぐに、ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と言いました。王は非常に心を痛め、躊躇したのですが、誓ったことですし、また客の手前もあり、少女の願いを退けることは出来ません。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じました。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て、少女に渡し、少女はそれを母親に渡しました。ヨハネの弟子たちは、このことを聞いて、王宮にやって来て、ヨハネの遺体を引き取り、墓に納めました。
ヨハネの最後について、マルコ福音書は、6章14節〜29節まで、この劇的な出来事をくわしく伝えています。
4 ヨハネとイエスの関係
さて、最後に、イエスさまと、このバプテスマのヨハネとの関係は、どんな関係だったのでしょうか。
今日の福音書、ルカ福音書3章2節以下にこのように記されています。
「神の言葉が、荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
これは、イザヤ書40章3節〜5節の言葉です。
ユダヤの人々にとって、荒涼とした荒れ野は、神さまとの出会いの場です。この荒れ野に神さまの声が響き渡ります。
荒れ野は、黄色く渇いた土と砂、岩と石と、大きな起伏がうねり、まっすぐに歩くことが難しい土地です。そこを神さまが通られる。神さまが来られる。神さまのために道を整え、曲がりくねった道をまっすぐにせよ。登ったり下ったりする山を平らにならし、でこぼこの道をならして平らにせよと言います。
バプテスマのヨハネは、神さまの救いがもたらされる。すべての人々はこれを仰ぎ見る。その時が来たのだと、預言者イザヤの言葉を引用して叫びました。バプテスマのヨハネは、この瞬間、預言者の役割と、神の救いの到来を前触れする「先駆けする人」の役割を果たしています。
「大切な方」をお迎えするためには、その方の前に立って前触れする人が必要です。それは、人々に、心の準備をさせるためでした。
ヨハネによる福音書では、バプテスマのヨハネのことを、このように言って紹介しています。
「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」 (ヨハネ1:6-9)
福音記者ヨハネは、バプテスマのヨハネのことを、「まことの光」を証しする人であると、紹介しています。「証しする」とは、「物事をはっきりさせる、今まで隠していたことを明るみに出す、疑わしい点をはっきりさせる、証明する」という意味です。イエスさまのことを指さして、この方こそ、間違いなく「まことの光、その方です」と証明したのです。ヨハネは、わたしはその証人だと言いました。
「ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言いました。『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』と、わたしが言ったのは、この方のことである。」
(ヨハネ1:15)
ヨハネは答えました。「わたしは水で洗礼を授けているが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしは、その方の履物のひもを解く資格さえもない。」
(ヨハネ1:26-27)
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言いました。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』
『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』と、わたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」(ヨハネ1:29-31)
そして、さらにヨハネは証ししました。
「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方(すなわち神)が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』と、わたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」(ヨハネ1:32-34)
バプテスマのヨハネは、「この方こそ神の子である」と証ししました。
私たちは、間もなく主のご降誕を迎えます。
主をお迎えする私たちの心は、整っているでしょうか。
その道筋をまっすぐになっているでしょうか。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされ、曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになっているでしょうか。神の子イエスさまを、受け容れる心の準備は出来ているでしょうか。
もう一度、荒れ野で叫ぶヨハネの声を聴きたいと思います。
バプテスマのヨハネが指さす、証しているほうを見つめて、主が来られるのを待ちたいと思います。
〔2016年12月4日 降臨節第2主日(A年)〕