敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
2017年02月19日
マタイによる福音書5章43節〜46節
今、読みました今週の福音書も、先主日と同じイエスさまがなさった山上説教の一部です。
その5章43節、44節に、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と記されています。
旧約聖書のレビ記19章18には、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」と書かれた所はあるのですが、「敵を憎め」と、書かれた所はありません。」
たぶん、当時のユダヤ人社会の中での言い伝えであったり、常識になっていた言葉ではないでしょうか。
そのような当時のユダヤの人たちの間で、当然のように言い伝えられていた言葉を引用して、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と共に「敵を憎め」と、あなた方は教えられていると言われ、さらに「しかし、わたしは言っておく」と前置きして、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。
ルカによる福音書を見ますと、山の上で、群衆に向かって語られた言葉ではなく、弟子たちに向かった語られた教えとして、このように述べられています。
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6:27)
文語の聖書では、「汝の敵を愛せよ」という言葉です。
自分を愛してくれる人を愛することはできます。しかし、イエスさまは、明らかに自分を憎んでいる人、自分に刃向かってくる者、ことごとく自分に反対する人、自分を打ち負かそうとする人、そのような人を、愛しなさいと命じられるのです。これほど厳しく、不可能に近い命令はありません。
その人のことを思うと、むかむかする、顔も見たくない、早く死んでしまえばいいのにと思うぐらいの人、そのような「敵」と思える人を愛しなさいと命令されるのです。
しかし、腹を立ててカンカンになっている時に、「あなたの敵を愛しなさい」と言われても、いくらイエスさまの言葉でも、私にはできませんと言いますし、どうしたらよいのだと言って、投げ出してしまいたくなります。
そのような思いで、本棚を探していますと、一冊の本を見つけました。マーティン・ルーサー・キングという牧師が書いた「汝の敵を愛せよ」という題の本です。(1965年翻訳初版)
マーティン・ルーサー・キング牧師は、1929年に生まれたアメリカ合衆国のプロテスタント、バプテスト教会の牧師でした。キング牧師の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動しました。「I Have a Dream」(私には夢がある)で知られる有名な演説を行った牧師です。
1964年にはノーベル平和賞受賞し、アメリカの人種差別、とくにアフリカ系アメリカ人に対する差別の歴史を語る上で重要な人物、有名な人です。1955年、バスの中で白人に席を譲るのを拒んで逮捕されたローザ・パークス逮捕事件に抗議して、キング牧師はバス・ボイコット運動を指導しました。これをきっかけに、連邦最高裁判所からバス車内人種分離法が憲法違反であるという判決を勝ち取り、それ以降、キング牧師は、全米各地で公民権運動を繰り広げました。キング牧師の運動の特徴は「非暴力主義」。インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫きました。1963年になされたキング牧師の有名な演説「I Have a Dream(私には夢がある)」は、広く共感を呼び、これらの運動によってアメリカ国内の世論も、盛り上がりを見せ、1964年には、公民権法が制定されました。その後、キング牧師は「ベトナム反戦運動」への積極的な関与を始め、敵も増えていくなか、精力的に活動を続けていましたが、1968年4月4日、テネシー州で
「I've Been to the Mountaintop(私は山頂に達した)」と演説をした後、モーテルで白人の男性に銃で撃たれて亡くなりました。39歳でした。
このキング牧師は、アメリカで公民権運動の指導者となって行く間、精神異常の婦人にナイフで刺されて瀕死の重傷を負い、そのほかに身体的に襲われたことが3回、自宅に爆弾を投げ込まれてことが3回、投獄されたことが20回等、多くの受難を経験し、黒人差別問題の根強さと、多く白人からは敵と見なされ、これに立ち向かった生涯でした。
そのような中で、「汝の敵を愛せよ」と題する説教集を、ジョージア州の刑務所で書き、1963年に出版されました。
この説教集の中から、その内容を要約して、紹介したいと思います。
この説教の冒頭に、マタイによる福音書5章43節〜45節を引用し、「おそらく、イエスの訓戒の中で、『汝の敵を愛せよ』という命令に従うこと以上に難しいことはないだろう」と言っています。
そして、「いかにして、われわれは自分の敵を愛するのか」と問い、次の3点を上げています。
最初に、われわれは、赦す能力を発展させ、養わねばなりません。赦す力に欠けている者は、愛する力にも欠けています。
第2に、われわれは、敵である隣人の悪い点、われわれに害を与える言葉や行いが、決してその人のすべてを完全に表しているものではないということを認めなければなりません。その相手の善性(良いところ、すばらしいところ)の要素というものがあるはずです。どんなに悪い人、われわれの敵と思われる人の中にも、何かよいところを見出すことができるはずです。
第3に、わたしたちは、その敵を打ち負かそうとしたり、屈辱を与えようとしたりしないことです。そして、反対にその人の友情や理解を勝ち取るように努めなければなりません。一つ一つの言葉と行為は、敵との和解に役立てなければなりません。
キング牧師は、「どのようにして」「いかにして」、自分の敵を愛するのかということを考えることから、さらに、私たちは、「なぜ、自分の敵を愛さなければならないのかと問いかけています。
その第1の理由は、憎しみに対して、憎しみをもって報いることは、憎しみを増すだけだと言います。
すでに星のない夜に、なお深い暗黒を加えるだけです。暗黒は、暗黒を追い払うことはできません。それができるのは、光だけです。憎しみは憎しみを追い払うことはできません。それができるのは愛だけです。憎しみは、さらに憎しみを増し、暴力は暴力を増し、頑固さ、かたくなさは、破壊の一途をたどるだけです。
「なぜ自分の敵を愛さなければならないのか」という理由の第2は、憎しみは、人の心、魂に傷跡を残し、人格をゆがめてしまうからだと答えています。現在でも、世界中のあちこちで起こっている、戦争、テロ事件、暴動、殺人、差別など、憎しみは憎しみを生み、それは増幅していきます。憎しみは、人間の価値、人間の感覚や客観的な判断力を破壊してしまいます。
そして、「なぜ自分の敵を愛さなければならないのか」という理由の第3として、キング牧師は言います。
「愛は、敵を友に変えることのできる唯一の力だ」と言っています。私たちは、私たちの敵意を取り除くことによって、敵を取り除くことができる、憎しみは、すべての関係を破壊し、分裂をもたらす。そして、愛は、創造し、建設する、新しい関係を造り出していきます。
そして、最後に、「なぜ、私たちは、自分の敵を愛さなければならないのか」という、いちばん大事な、究極の理由は、
「あなたがたの天の父の子となるためである。」(5:45)と言っています。「わたしたちが、天におられる父である神の子となるために、あなたの敵を愛しなさい」と、イエスさまが言われたからです。これこそが、私たちが、私たちの敵を愛さなければんらない理由です。私たちは、神さまと、特別の関係を実現させるために、この出来ない不可能と思われる「敵を愛さなければ」ならないのです。
マーティン・ルーサー・キング牧師の「汝の敵を愛せよ」と題する説教の要約を述べてきました。
そこで、改めて考えることは、イエスさまは、どうだったのか。イエスさまは、弟子たちに、人々に、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と、命じただけだったのでしょうか、イエスさま自身は、どうなさったのでしょうか。
イエスさまが、十字架につけられた時の最後の場面を思い出してください。
イエスさまは、ゲッセマネの園で祈っておられる時、ローマの兵士や、ユダヤの役人に捕らえられ、長老や祭司長や律法学者たちが集まる最高法院に引っ張っていかれ、ローマの総督ポンテオ・ピラトのもとに引っ張っていかれ、ヘロデ王の所に引っ張っていかれ、再びポンテオ・ピラトの所に連れて行かれ、一晩中、引き回され、最後に、人々から「十字架につけろ」「十字架につけろ」と叫ばれ、その間に、暴行を受け、むち打たれ、茨の冠をかぶせられ、ののしられ、つばを吐きかけられながら、衰弱しきった体で、重い十字架を担がせたれて、ゴルゴタの丘に引かれて来ました。そして、2人の犯罪人と共に、手と足に釘打たれ、十字架につけられました。十字架の上で、苦しみもだえながら、イエスさまは、叫ばれました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と。(ルカ23:34)
苦しみもだえる中で、ご自分を、陥れ、民衆を煽(あお)り、十字架につけろと叫んだ人たち、手と足に釘を打ち込んだ人たち、そこにいるすべての人たちのため、まさに、彼らこそ、イエスさまの敵です。その敵のために、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈り、息を引き取られました。ご自分の命と引き替えに、ご自分が犠牲となり、自らの敵のために赦しを乞い、一身に彼らの罪をも引き受けて、その使命を全うされました。
今、改めて、イエスさまの十字架を仰ぎながら、「あなたの敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われる声を聴き、私たちの、最も身近にいる人々との人間関係を見つめてみたいと思います。
〔2017年2月19日 顕現後第7主日(A年) 聖光教会〕