バラバは救われたか?

2017年04月09日
マタイによる福音書27章1節〜54節  今日は、「復活前主日」です。次の日曜日には復活日(イースター)を迎えます。  この1週間は、イエスさまが、ユダヤ教の本山ともいうべき神殿のあるエルサレムに入り、ファリサイ派や律法学者たちと論争を重ね、弟子たちと最後の晩餐をし、ゲッセマネの園で捕らえられ、裁判にかけられ、鞭打たれ、侮辱を受け、十字架を担いで、ゴルゴタの丘に連れて行かれ、十字架につけられ、苦しみの中に息を引き取られました。イエスさまの最後を記念する時です。  今日の福音書は、長い聖書の個所が読まれましたが、このイエスさまの御受難の物語は、何回読んでも、心が引き締まる思いがしますし、心も肉体も引き裂かれるような苦痛、苦悩にもだえるイエスさまを思うとき、涙が出そうになります。  この受難物語には、イエスさまを囲んで、大勢の人々が登場します。主イエスを訴えるユダヤの指導者たち、ファリサイ派、律法学者、大祭司、祭司長、祭司たち、サドカイ派、長老たちや議員たち、祭りのためにやってきた群衆や商人たち。ローマの総督ポンテオ・ピラト、その妻もいます。ローマの兵隊の隊長や兵士たち、そして、遠巻きにして、主イエスの母マリア、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ、その他の女の人たち、そして、恐れと不安でびくびくしながら遠巻きにしているイエスさまの弟子たちがいます。  野次馬のような人たちもいたでしょうし、悲しみと恐怖に打ちひしがれ、身もだえしながら見つめていた人たちもいました。  さて、このイエスさまが、ローマの総督や、ユダヤの王の所へ引いていかれ、夜通し引き回され、ゴルゴタの丘にいたるまで、大勢の人々がぞろぞろとついて歩いていました。この群れの中に、もし、私たちがいたとすれば何処にいるでしょうか。どのような立場で、イエスさまを見守っているでしょうか。  よく質問を受けるのですが、今から約2千年昔、あのエルサレムの城壁の外、ゴルゴタの丘で、イエスさまという人が、十字架に架けられた、そして死んだということが、なぜ、2千年後の、今の時代に生きている私たちの「救い」になるのですかと。一人の人の死が、なぜすべての時代、すべての人々、人類の救いになるのですかと。  イエスさまの死が、あの十字架が、いったい、私と何のかかわりがあるのですかと、尋ねられます。  ここに、イエスさまの受難物語に登場する、もう一人の人物がいます。それはバラバと呼ばれる人です。  この人を通して、この疑問について、考えてみたいと思います。  バラバとはどんな人だったのでしょうか。 マルコ福音書には、「暴動のとき、人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた」とあります(15:7)。  マタイ福音書には「バラバ・イエスという評判の囚人がいた」とあります(27:16)。  ルカ福音書には「このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどでで投獄されていた」とあります(23:19)。  そして、ヨハネによる福音書では、「バラバは強盗であった」とあります(18:40)。  バラバは、暴動、殺人、強盗を働いた評判の囚人で、牢獄に長くつながれていた男でした。 いわば、いつ死刑にされても不思議ではない、悪の限りをつくした極悪非道の、自他共に認める罪人でありました。  ユダヤの習慣で、過越の祭りには、囚人の一人を釈放する「大赦」の習慣がありました。  ローマの総督ポンテオ・ピラトの所に、イエスさまが引っ張ってこられ、ピラトは、イエスさまを尋問しました。しかし、どんな罪も認めることができませんでした。  ピラトは、祭司長や祭司、長老や律法学者たちが、イエスさまを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていましから、人々が集まったときに言いました。  「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」と、尋ねました。  ところが祭司長たちや長老たちは、バラバの方を釈放して、イエスさまを、死刑に処してもらうようにと、群衆を説得し扇動しました。  総督が、「2人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と叫びました。  ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、群衆は、「十字架につけろ」と叫び続けました。  ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言いました。  「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と。  ローマの総督ピラトは、正しい判断をしなければならない責任を放棄し、群衆に暴動でも起こされたら自分の汚点になると思い、自分の地位を守るために、自分の良心に従った正しい判決を下すことを放棄したのです。 民は、こぞって答えました。  「その血の責任は、我々と子孫にある」と、言ったので、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。  さて、突然、釈放されたバラバは、その後、どうなったのでしょうか。  イエスさまが、十字架に磔にされることによって、身代わりになって、確実に、救われた人がいるとしたら、 それはこのバラバだったということができます。 誰が見ても、誰に聞いても、極悪非道な生き方をして、殺人や強盗を繰り替えし、死刑にされて当然という罪人、このラザロのほうが救われたのです。  一方、ラザロのほうは、何人もの人を殺した残虐さの反面、自分の死を恐れながら、手枷足枷をつけられ、暗い地下の牢獄で、処刑される日を、いつか、いつかたと、待っていたに違いありません。  ところが、突然、牢番や役人がやってきて、「お前は釈放だ。すぐに出て行け」と言って、真っ暗な牢獄から、明るい太陽の光がまぶしい屋外に、放り出されました。  自分の人生にあきらめていたバラバは驚きました。びっくりしました。何が何だかわかりません。 半信半疑で街に出たに違いありません。彼は、自由の身になりました。解放されたのです。なぜそうなったのか、わからないままに、まさに死んでいた者が生き返った「救われた」と思った瞬間であったに違いありません。  ここに一冊の文庫本があります。スエーデンの、文学の巨匠と言われるペール・ラーゲルクヴィストが、1950年に書いた「バラバ」という小説です。(岩波文庫赤757-1、1974年)   ラーゲルクヴィストは、この作品によって、1951年に、ノーベル文学賞を受けました。  この作品で、この著者は、バラバの、その後の生涯を描くことによって、現代に生きる私たちの姿を、そして、ほんとうの「救い」とは何かを、示そうとしていると言われます。  少しだけ、その「あらすじ」を紹介したいと思います。  バラバは、なにも意味がわからないままに、町に出ると、多くの人々が、ある方向に向かって、走っていくのに出会います。その人だかりの中に、ひとりの男が、十字架を担いで、倒れながら歩かされているのを見ました。何ごとだろうと、群衆に混じってついていくと、ゴルゴタの丘という死刑場につきました。間もなく、そこに3本の十字架が立てられ、3人の男が、はりつけになり、ぶらさがっています。  毒づいている両側の男たちには見覚えがありました。  しかし、バラバは、3本の十字架の真ん中にぶら下がっている、いちばん弱々しく、ぶざまな姿の男のことが、気になって仕方がありません。隠れるようにして、遠くから眺めていました。そして、ついに息絶え、気になるその男は、十字架から墓場に運ばれていきました。バラバは、その光景を見物していた人々が立ち去ったあと、エルサレムの街に帰りました。  バラバは、自由の身になって初めて酒場に入り、隅の方に座っていると、昨日から今日にかけて、起こった出来事を、酒場の連中がわいわいと話し合っています。そこで、あの十字架につけられていた、気になっていた、一番ぶざまな男について噂を聞きました。  「バラバか、ナザレのイエスか」と言われて、群衆が「イエスを十字架につけよ」と叫び、自分の身代わりになって、あの男が十字架につけられたのだということを、バラバは、そこで始めて知りました。  その後も、イエスという、あの男のことが、気になって仕方がありません。何も手につかない、昔の仲間とも一緒になれない。そんな毎日を過ごしていました。  そして、バラバは、何日か経って、昔の仲間の所に戻ったのですが、事件に巻き込まれ、また捕らえられ、罰として、鉱山で働く奴隷にされてしまいました。地下の暗いところで、2人ずつ鎖でつながれて、朝から晩までむち打たれながら、働かされます。生きながら、地獄を見ているような生き方をさせられました。  その時に、鎖でつながれて相棒になったのが、アルメニア人の奴隷で、サハクという男でした。  いやおうなく、24時間、鎖でつながれて、一緒にいなければなりません。  働かされている時も、寝ている時も、いつも一緒のこの男から、あのゴルゴタの丘で十字架につけられていた男のことを聞きました。  サハクは、その男の名を、イエスだと言い、キリストと呼ばれている、神の子だと言いました。  サハクは、自分のことをキリスト信者だと言いました。バラバも、その男が、十字架につけられているのを見たと話しました。  そして、サハクの首に掛けられていた奴隷鑑札に彫りつけてあった、同じ記号を自分の鑑札にも彫ってもらいました。それは、「神の奴隷」という意味でした。バラバは、サハクから、さまざまな不思議な出来事が起こったことを教えてもらい、さらに共に祈ることも教えてもらいました。  バラバとサハクは、さらに農耕奴隷として売られ、さらに製粉小屋で働かされ、ローマ人の総督の家に買い取られていきました。そこで、サハクは、キリスト信者であることが、ばれてしまい、問いつめらます。サハクは、自分は、神の奴隷だといい、神を棄てることはできないと言い張り、拷問にかけられた上、十字架に磔にされて処刑されてしまいました。  バラバは、そんな神など信じないと言い逃れて、難をさけ、助かりましたが、さらにローマに送られました。  ローマでも、奴隷として生活している時、ある日のこと、夜中に、人が走る物音が聞こえ、バラバは、「クリスチャンが、ローマの街に火をつけた」、「クリスチャンが暴動を起こした」と叫ぶ声を聞こえました。そして、ローマの街のあちこちから火の手が上がるのを見ました。  バラバは、かつてサハクから、キリストは再び来られる。この世の裁きのために来られると、教えられたことを思い出し、あのゴルゴタの男が戻って来たのだ、約束通り、人を救うために、もどって来たのだ、世界を滅ぼすために、今こそ力を示すために来られたのだと思いました。  何とかして、あの人の手助けをしなければとばかりに、駆け出しました。  もう年老いた奴隷バラバでしたが、若い頃、盗賊、暴徒の頭だったバラバは敏捷でした。一番近い火事場に飛び込み、燃え木を取り、まだ燃えていない家に火をつけてまわりました。あの無様な格好で十字架にぶら下がっていたあの方のために、何とか役に立ちたいと思い走り回りました。  そのために、バラバは、火つけの現行犯として捕らえられ、ほかに捕らえられたクリスチャンと一緒に、再び牢に入れられました。クリスチャンたちは、誰一人、自分たちは、火をつけていないと言い張りました。 しかし、バラバは、油倉に火をつけているところを見られていました。  捕らえられたバラバ自身は、自分は、クリスチャンだと言い張ってききませんでした。  クリスチャンたちは次々と磔にされて殺されていきました。そして、バラバもいちばん最後に引き出され、十字架の列のいちばん端に、一人、磔にされました。  夕方になり、暗くなって見物人も立ち去ってしまった後、バラバだけが、一人生きてぶら下がっていました。死というものを、あれほど怖れていたのに、死が近いと感じた今、「自分に代わって、死んでくれたあの男のために働いたと思う、何ともいえない満足感につつまれていました。  静かに、彼は暗闇の中へ話しかけるように言いました。  「おまえさんに委せるよ、おれの魂を。」 そして、彼は息を引き取りました。  これは、ラーゲルクヴィストという作家の創作です。  バラバは、イエスさまが、身代わりになってくれたとき、死刑を免れ、解放されて、命は長らえましたが、それは、ほんとうの「救い」だったのでしょうか。しかし、彼を待っていたのは、もっともっと大きな苦しみでした。  キリストのことを教えられても、それを否定し、反抗し、悶々として過ごし、最後には、鎖でサハクにつながれました。このサハクこそ、キリストご自身ではなかったかと思います。  そして、最後の最後に、怖れていた死を、目の前にしながら、すべてを、魂を、あの十字架の上にぶざまにぶら下がったあの方に委ねたのでした。  ほんとうの救いとは何か、この「バラバ」という作品は、多くのことを考えさせてくれます。  ゴルゴタの丘に立てられた十字架を取り巻く多くの人々、この十字架を見つめている人、それぞれに生き方があり、人生があり、命があり、恐れがあり、不安があり、喜びがあり、悲しみがあります。  そして、すべての人は、救われたいと願っています。  そして、私たちも、今、十字架を仰いでいます。  何を思って、この十字架を仰いでいるのでしょうか。   〔2017年4月9日 復活前主日(A年)説教 ブログ掲載〕