12人の弟子たちの派遣

2017年06月18日
マタイ福音書9章35節〜10章8節  教会の暦では、今日から、「聖霊降臨後」という期間が続きます。この期間、聖餐式の聖書日課として読まれる聖書の個所は、イエスさまは、何をなさったか。何を教えられたか、ということについて学びます。  イエスさまには、12人の弟子たちがいました。その他にも、熱心な女性たちが後に従っていましたし、弟子と呼ばれる人たちが、70人とか90人といわれる集団が、イエスさまを取り囲んでいました。今でいう、ファンや追っかけのような人たちもいたのだろうと想像することができます。  その中でも、この12人の弟子たちは、特別の地位を持っていました。彼らは、「12人の弟子」という呼び名のほかに、「12使徒」とも呼ばれています。それは、特別の使命を持って遣わされた人たちという意味です。今読みました福音書には、その12使徒の名前が、挙げられています。  「12使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれる シモンと、その兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブと、その兄弟ヨハネ、フィリポと、バルトロマイ、トマスと徴税 人のマタイ、アルファイの子ヤコブと、タダイ、熱心党の シモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」(マタイ10:2〜4)と、あります。  彼らは、まず、イエスさまによって選ばれた人たち、イエスさまによって招かれた人たちです。そして「わたしに従いなさい」と命じられた人たちでした。彼らはイエスさまに従って歩き、共に生活し、イエスさまから直接教えられ、訓練を受け、試みられ、そして大事な使命が与えられ、各地に派遣されました。  イエスさまの3年間の公生涯は、ご自身が福音を宣べ伝えることでしたが、同時に、弟子たちを忍耐強く訓練することでもありました。  イエスさまの思いや教えが、なかなか理解できない弟子たちに対して、ある時には、きびしく、ある時には優しく戒めながら、彼らに教え、訓練し、整えてこられました。  6、7年ほど前のことです。平安女学院が創立130年を記念する式典がありました。その行事の中で、講演会があり、特別講師として、アテネ・オリンピック・シンクロナイズ・スイミング日本代表のヘッドコーチとして有名な井村雅代さんの講演がありました。その時には、27年間、日本のシンクロのコーチをし、6回オリンピックにまで選手たちを導いたと紹介されていました。「鬼の井村」と言われ、厳しい指導、訓練の結果、世界に、日本のシンクロ・スイミングの名を有名にした人でした。2004年のアテネ・オリンピックの後、日本代表コーチを退任し、その後、中国の代表チームの監督に就任したり、イギリス代表のコーチに就任したりして、いろいろ噂されました。2014年2月、日本代表のコーチに復帰し、昨年の8月、リオデジャネイロ・オリンピックにおいて、井村さんの指導を受けた日本シンクロチームはデュエットとチームで銅メダルを獲得しました。  この方の「井村式人材育成法」については、皆さんもテレビなどを見て、よくご存じだと思います。  この方の講演を聴いて、シンクロナイズド・スイミングの選手たちを育て、オリンピックにまで導き、メダルを獲得するにいたった、さまざまな具体的な裏話を聞くことができました。大変な苦労をなさり、そして、いつも次の目標に向かって努力をしておられる生き方を学びました。  たくさん語られた中で、一つ心に残る言葉がありました。  それは、「ゴールが見えているか」という言葉です。  人が何かを努力するのに、目標が見えているか、どこへ行こうとしているのか、そのことがはっきりしているのかと、問い続けたと言われました。  その目標は、どんなに大きくてもよい、到達しようとする目的地は、どんなに遠くてもいい。その目標、到達点に向かって、今日の目標を定めなさい。それは、ミリ単位の小さな目標でよい。それを、毎日達成しなさい。今日一日の目標は決して大きなものであってはなりませんと言われました。  たとえば、40センチしか飛び上がることが出来ない人は、今日、40センチと1ミリを飛び上がりなさい。そして、次の日には、さらに1ミリ、すると40センチと2ミリになります。すると、10日で、1センチ、100日で10センチ飛び上がれます。そして、今日の1ミリが飛べない時は、なぜ飛べなかったのか、真剣に考えなさい。飛べるために工夫しなさい、と、熱っぽく語られました。それが全てではありませんが、オリンピックという、世界で1位、2位を競い合うスポーツの厳しさを教えられました。  イエスさまも、弟子たちをきびしく指導して来られました。  イエスさまの、弟子たちに与えた目標、目的を、今日の福音書から見つけますと、  「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と、弟子たちに言われた言葉です。(マタイ10:6、7)  そして、そのために、こまごまと注意をし、指示を与えて、その上で、弟子たちを派遣されました。  このように、イエスさまも弟子たちに、福音宣教のためのコーチをしておられます。  では、井村さんのコーチと、イエスさまのコーチは、どこが、どう違うのでしょうか。 もちろん、その中身が、スポーツの種目と福音宣教とでは内容も目指すところも全然違います。しかし、井村さんも真剣に選手たちと向かい合い、生涯をかけて、命がけで選手の指導にあたっておられます。  しかし、もっと根本的な違いがあります。それは、井村さんは、ヘッド・コーチではありましたが、あくまでもコーチです。  イエスさまも、弟子たちに教え、指導し、叱ったり、励ましたりしておられるのですが、根本的に違うところは、それは、イエスさまご自身、自分で、まず、実践し、それを見せておられるということです。  先ず、ご自分で 町や村を残らず回わり、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされました。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ、病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払われました。  イエスさまは、愛について、繰り返し教えておられます。 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」 「あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」  神を愛する、人を愛する、そのことが最も大切なことだと繰り返し、繰り返し、教えられました。しかし、そのことをただ、口で教え、命令されただけではありませんでした。  今日の使徒書((ローマ書5:6-8)をごらん下さい。パウロは、ローマの教会の信徒にあてて、このように手紙を書いています。  「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者なら、いるかもしれませ。しかし、わたしたちが、まだ罪人であったとき、キリストが、わたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」  イエスさまは、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という言葉を、ただ口で教えるだけではなく、ほんとうに自分の命を捨てて、十字架につけられることによって、神の愛を示してくださったのです。  イエスさまの生きざま、死にざまを通して、神の愛を、ご自身の愛を、表してくださったのです。  イエスさまはこのようにして、弟子たちに教え、導き、そして、ご自身の命を与え、聖霊を与えて、さらに、彼らを育て、導き、生まれ変わらせてこられました。  そして、弟子たちは、いずれも、最後には、イエスに従って、殉教の死をとげたと伝えられています。  このようにして新しい教会が生まれました。  イエスさまが、弟子たちを呼び出し、教え、そして派遣されたように、私たちも、選び出され、教えられ、この時代のこの社会に向かって、福音を宣べ伝えるために遣わされています。わたしたちも、教育、訓練されている者です。  井村さんの言葉を借りて言いかえますと、  「教会は、ちゃんとゴールが見えていますか」、  「あなたの信仰生活のめざしているゴールはどこですか」と問われています。  教会にも、ちゃんと目標があります。目的があります。  それは、キリストの福音を、「天の国は近づいた」ことを、宣べ伝えることにあります。  教会の生活が、また、私たち一人一人の信仰が、自分たちだけのため、自分の喜びのためにだけ、自分の満足のためにだけ、自分が気持ちよくなるためにだけあるとすれば、ずいぶん次元の低い目標に止まっていることになります。そして、いつかは滅んでしまいます。  「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」友のために、命を捨てられる愛し方ができますように、大きな目標の今日の一歩を、ミリ単位の小さな目標をクリアして、自分自身が変えられていくことを、心から願いたいと思います。 〔2017年6月18日 聖霊降臨後第2主日(A-6) 聖光教会〕