すべての人に対して すべてのものになりました。
2018年02月04日
コリントの信徒への手紙一 9章19節〜23節
今、読んで頂きました今日の使徒書、とくに、後半のコリントの信徒への手紙一 9章19節から23節から学びたいと思います。
この手紙は、パウロが、西暦50年頃に書いたものだと言われています。イエスさまが十字架にかけられて亡くなったのが、西暦30年頃ですから、それから約20年後のことです。
パウロ自身は、生前のイエスさまには、お会いしたことはなく、従ってイエスさまと共に歩いていた12人の弟子たちの中には入っていません。むしろ、パウロは熱心なユダヤ教徒であって、後にキリスト教徒を迫害する側でした。
イエスさまが亡くなって1年か2年が経った頃、エマオという町に向かう途中、不思議な聖霊体験をし、まもなくキリスト教に回心しました。(使徒言行録9章) その後、クリスチャンになったパウロは、誰よりも熱心なキリスト教の伝道者となり、地中海沿岸を巡って、宣教活動を繰り広げました。
地中海沿岸各国各地を歩いて命がけの伝道旅行を3回も行っているのですが、その第2回目の伝道旅行では、ギリシャのアテネからコリントに入り、そこで約1年半滞在し、ユダヤ教の会堂を中心に福音を宣べ、そこに教会の基礎を築きました。さらにコリントからエフェソに向かいましたが、その間に、追いかけるようにして、生まれたばかりのコリントの教会から手紙が届き、その教会に起こっているいろいろな問題が報らされ、その問題を解決するための、指導を求めて来ました。
コリントの教会には、ギリシャ人、ローマ人、ユダヤ人等、さまざまな国の人々が回心してクリスチャンになっており、それぞれに、過去の生活や宗教的な思想や習慣を引きずっています。教会の中で意見が対立し、論争が絶えません。
それに答えるために、書かれたのが「コリントの信徒への手紙」です。ただ疑問に答えるだけでなく、キリスト教信徒になった人々に教え、指導し、励ますために、16章にわたる長い手紙を書いたのです。
今日の使徒書の9章19節に、パウロは、「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」と言います。
新約聖書の中に、「自由」という言葉は、23回出てくるのですが、その内の14回は、パウロが書いた手紙の中にあります。「自由」という言葉の意味は、時代と共に変わってきたと言われ、哲学者の世界でも大きなテーマの一つです。
パウロの時代の伝統的な、または社会的な使われ方は、「奴隷に対する自由人」の意味に使われています。
聖書の個所を例に挙げますと、このように言っています。
「召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。」(�汽灰螢鵐�7:21-24)
イエスさまも、パウロも、奴隷制度反対だとか、人権問題だと言って、社会制度を変えようとはしていません。
奴隷が身代金を払って買い取られ、自由の身になるように、イエス・キリストの命と引きかえに、私たちは、自由にして下さったのだと言います。(ガラテヤ5:1)
当時のコリントの教会には、この間まで、神殿に祀られた神々を拝んでいたギリシャの市民も、太陽神を拝んでいたローマ人も、律法を守ることに命をかけていたユダヤ人もいました。また、自由な立場の市民も、金持ちも貧乏な人も、さらに奴隷の身分の人たちもいました。そのようなさまざまな過去や身分を持った人々に、パウロは、イエス・キリストの福音を説きました。そして、それを聞いて心を動かされた人々が、信仰を告白し、洗礼を受けてクリスチャンになりました。
ここで、パウロは言います。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。」
「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。」(パウロは生まれつきユダヤ人です。)
「律法に支配されている人に対しては、わたし自身は、そうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」
「また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。」
「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。」
「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」
このようにパウロは、「わたしは、何々ですが、何々のようになりました。何々を得るためです」と、繰り返しています。パウロという人は、なんて優柔不断、八方美人、人の顔色を見る人、嫌な人なんだろうと思ってしまいます。
しかし、パウロには、一つの大きな目的がありました。
それは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです(23節)。」
「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」という目的のため、わたしは、そのようにせずには居られないのですと、言います。
パウロは、ここで、何を言おうとしているのでしょうか。
ここで、少し現代風に、考えてみたいと思います。
私たち人間の精神活動を説明する時によく言われている言葉に、「知情意の調和」と言います。
私たちの心の動きは、知性・感情・意志の3つの要素からなっていると言われます。
私たちは、日常生活の人間関係の中で、頭では分かっているのだけれども、頭では理解できるのだけど、「気持ち」がついていかない、胸のところが、ストンと落ちないのよ、と言うことがよくあります。
職場でも、学校でも、家庭でも、夫婦の関係、親子の関係でも、お互いに、そのような時には、うまく行かないことがあります。
私が、30歳代の後半だったと思いますが、大阪教区の尼崎聖公会(現・尼崎聖ステパノ教会)という教会にいました時、尼崎市内のプロテスタント系の教会の牧師が集まって、牧会研究会という会を、毎月持っていました。その会に、関西学院大学の当時やはり若い先生で、武田 健先生という方が、毎回出席しておられて、牧会カウンセリングということについて、いろいろ教えて下さいました。その先生は、カウンセリング心理学を研究しておられて、とくに、アメリカの有名な心理学者カール・ロジャースという先生が提唱された、「来談者中心療法」、「非指示的カウンセリング」について研究し、私たち牧師にも指導して下さいました。6人ぐらいのメンバーだったと思うのですが、理論を学ぶと共に、メンバーが交替で、来談者(クライアント)と、カウンセラーとになり、実演し、批評しあう臨床訓練を受けました。
このロジャース博士のカウンセリング方法とは、心に悩みを持つ人の相談に乗るのですが、その時に、絶対に、指示を与えない、指示することを言わないという方法です。
反対に、その患者さんの言うことを、注意深く聞いて、受け容れる(accept)ことに徹するのです。これを「受容」と言います。
いろいろな悩みをもって相談に来た人は、誰かに、心の内を、その悩みを受け容れてもらうと、その人が自分自身を受け入れることができ、同時に自分の力で、自分が変化し、成長することができるというのです。
今は、このロジャース博士の非指示的カウンセリングの方法というのは、当たり前にになっています。
カウンセラーは、クライエントを無条件に受容し、尊重することによって、自分自身を受容し、尊重することを促すのです。
聖書の言葉に帰りますが、パウロが、「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。」
「何々に対しては、その人のようになりました。その人を得るためです」という考えは、まさに、出会っている人にまっすぐに向かい合い、その人の主張するところ、考えていること、感じていることを、全面的に受け容れ、受け止めることであり、そのことを、パウロは「その人になる」と言っているのだと思います。ということは、その人の心を、気持ちを、100パーセント受け入れるということだと思います。
しかし、パウロと、ロジャース博士の違いは、その人の悩みを解消するだけではなく、パウロには、「その人を得るためです」という目的がありました。
それは、「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」(22節、23節)
と言います。
ただ、鬱病のような症状、分裂症のような症状を治すためではなく、その向こうにあるイエス・キリストによるほんとうの救い、その福音に触れてもらいたいという思いがあります。そして、パウロは、そのためにパウロ自身の使命がありました。
私たちの人間関係をふり返るとき、最も身近な人々との関係で、目の前の人、一番身近な人の心を、理屈ではなく、何を言いたいのか、その心を、受け入れ、受け止め、その人のようになる「愛」を学ぶと共に、そこをきっかけとして、その向こうにある福音の喜びを共にしたいと思います。
〔2018年2月4日 顕現後第5主日(B年) 京都聖ステパノ教会〕