「来て、見なさい。」

2018年02月11日
ヨハネによる福音書1章43節〜51節  教会の暦では、今日は、「大斎前主日」です。今週の水曜日、14日から、「大斎節」に入ります。この主日は、大斎節を迎える前の大切な日なのですが、今日、2月11日は、同時に「日本聖公会組織成立記念日」という「小祝日」に当たります。今、「大斎前主日」の特祷と共に、この小祝日の日の特祷をささげました。今日は、この「日本聖公会組織成立記念日」に、焦点をあわせて、ご一緒に考えたいと思います。  2月11日が、なぜ「日本聖公会組織成立記念日」なのかと言いますと、幕末の頃、アメリカのペリーが4隻の軍艦を率いて来航し、徳川幕府に開国を迫りました。  その6年後、鎖国が解けて間もなく、1859年(安政6年)、アメリカ聖公会の宣教師、ジョン・リギンス師と、チャニング・ムアー・ウイリアムズ師が、長崎に上陸しました。  その後、アメリカ聖公会、イギリス聖公会から次々と宣教師が来日し、伝道活動を繰り広げました。  そして、ウイリアムズ師が来日して、28年目。  1887年(明治20年)2月11日から14日まで4日間、大阪川口の聖三一神学校において、日本聖公会第1総会が開催されました。この総会において、始めて「日本聖公会」という教派の名称が決定され、また、日本聖公会法憲法規が制定されました。この法規によって、日本聖公会の組織や制度、手続きが決められました。この第1総会が開会された日、2月11日を、「日本聖公会組織成立記念日」として記念されています。その後、1917年(大正6年)5月に開催された第12総会において、「2月11日」を「日本聖公会組織成立の日」とする。「記念日」とするということが決議されました。  今日は、その131年目の記念日となります。  さて、私たちは、洗礼を受けて、クリスチャンであると同時に、「聖公会」、「日本聖公会」という教派、教会のメンバーですが、この「聖公会」とは、どのような教派でしょうか。ローマ・カトリック教会やその他の沢山あるプロテスタントの教会とは、どこが、どのように違うのでしょうか。  もし、教会外の人から、尋ねられたとすると、私たちは、どのように答えるでしょうか。  大津聖マリア教会の皆さんは、どのようにお答えになるでしょうか。「あなたが通っている教会は何派? どこの教会?どんな教会?」などと尋ねられたことはありませんか。  「うちの教会は、京町1丁目の交差点を東に曲がった西側にあるでしょ、教会があるでしょ」と言えば、「あー、ある、ある」と言ってはもらえるのですが、場所や、教会の建物は分かっても、「聖公会とはどんな教会?」とか、「日本聖公会とはどんな教派?」という問いには、答えたことにはなりません。なかなか、うまく答えられないのではないでしょうか。  私にも、こんな経験があります。まだ40歳になる前だったと思います。大阪教区で、開拓伝道を行うことになり、富田林市の金剛団地という所に遣わされました。まだ、土地も建物もありません。教会を建てるために、いろいろなことを試行錯誤をして後、若い人たちが住むニュータウンですから、まず、幼稚園か保育園を建て、そこに礼拝堂を建てるということを考えました。  そこで、ある日、富田林市役所を訪ねて、その地域の幼児教育について、市の方針や計画を聞きに行きました。  名刺を出して、応接室に通され、教育長さんに会わせて頂いたのですが、名刺を出すと、これを見ながら、教育長さんから、尋ねられました。  「日本聖公会って、どんな教会ですか。カトリックですか、プロテスタントですか。その教会は、どちらにあるのですか」と訊かれました。  「いえ、まだ教会も、礼拝堂もないのです」と言い、「聖公会」というのは、と言って、汗をかきながら、一生懸命、説明したことを覚えています。  「聖公会」というのは、大きく分けるとプロテスタント教会の一派で、しかし、性格的には、カトリックと、プロテスタントの中間ぐらいの教派です。「英国国教会派」とも言い、もとは、イギリスから始まっています。それほど厳格な教会ではなく、どちらかというと生温い気風をもった教会です、等々、まったくキリスト教の知識がない人々に、「聖公会とは、このような教派だ」ということを説明することは、ほんとうに難しいものだということを知りました。  そして、最後には、「東京の立教大学、立教女学院、香蘭女学校、名古屋の柳城短期大学、京都の平安女学院、大阪の桃山学院大学、中学や高等学校、プール学院、中学、高等学校、短期大学、神戸の松蔭女子学院、八代学院など、関係学校の名前を挙げて、これらの学校と教会の関係を説明し、何とか身分の証明ができ、話を聞いてもらったというようなことがありました。  しかし、後でよく考えてみますと、「聖公会とは」とか、教会そのものについての答えにはなっていません。  先ほど、1887年(明治20年)に開かれた、第1総会で、教会の名称が「日本聖公会」と定められ、同時に、法憲法規が制定されたと言いましたが、ここに大事な「聖公会」を表す言葉が表れています。  「名は体を表す」と言いますが、第1に、教会の名称ですが、「聖公会」の「聖」は、ただ「きよい」というだけではなく、「俗なるものとは、別のもの」「イエス・キリストによって立てられた」「神さまに所属する」という意味が込められています。聖書の「聖」、聖霊の「聖」などと同じ意味です。 聖公会の「公」は、「おおやけ」ですが、「個人の立場を離れて全体に関わる」という意味です。「カトリック」という言葉は、英語で Catholicity と言いますが、寛大な、包容性、普遍性という意味です。かつては、聖公会のことを「普公教会」とか「使徒的教会」「監督教会」などという言葉を使っていたことがありました。  第2に、組織、制度を規定するために「法憲法規」が制定されたのですが、その「序文」に次のような言葉があります。  そのまま読みますと、  「主イエス・キリスト、自ら使徒と預言者の基の上に建て給うた聖公会は、成長して全世界の国々にまで伸展した。安政6年(1859年)、米国聖公会(The Protestant Episcopal Church in the United States of America)、先ず宣教師を我が国に送り、次いで明治元年(1868年)英国聖公会宣教協会(Church Missionary Society)、明治6年(1873年)英国聖公会福音宣布協会(The Society for the Propa-gation of the Gospel)より、それぞれ宣教師派遣を見たが、その後、これらの聖公会より、福音の使者相次いで来たり、聖公会は我が国にも発展した。かくて明治20年(1887年)2月11日、本邦在任の主教及び内外の聖職、信徒、第1総会を大阪に開き、聖公会の伝承に基いて、法憲法規を定め、全国の教会一体の組織を成し、これを日本聖公会と称した。爾来、日本聖公会法憲法規は、幾多の修正を経て、今日に至った。」  この「序文」は、何度か書き換えられていますが、これは現在のものです。ここに、アメリカ聖公会と、そしてイギリス聖公会の2つの宣教団体、計3つの宣教団体それぞれから宣教師が派遣され、その熱心な伝道の働きによって、日本聖公会が発展してきたと記されています。  16世紀の初め、1517年の11月に、ドイツの修道士マルチン・ルッターによって、宗教改革が始まったのですが、イギリスでは、1834年に、国王ヘンリー8世の離婚問題から、ローマ法王と袂を分かつことになり、教会は、国王の支配下に置かれることになりました。  イギリスの従来のカトリック教会の聖職者たちの多くは、追い出されて、ヨーロッパ大陸に逃れたのですが、残った聖職者たちは、国王のもとで、ローマ法王に支配されない新しい教会を形成しました。  ヨーロッパ大陸で大きな影響を示したルターやカルヴィンなど宗教改革者たちの聖書中心の思想を持ったプロテスタントの影響が、英国にも伝わり、また、礼拝様式などを厳格に守ろうとする従来のローマ・カトリック教会の影響も残り、英国の教会は、右に、左に、何回も大きく揺れながら、そこに独特の「イギリス国教会派」という教会、教派が生まれました。1868年に日本に渡来した英国聖公会宣教協会(Church Missionary Society CMS)は、プロテスタントの福音主義的な気風が強い団体で、1873年に渡来した英国聖公会福音宣布協会(The Society for the Propa-gation of the Gospel SPG)は、ローマ法王とは縁は切れていますが、ローマ・カトリック教会の礼拝中心主義の考えを持った宣教団体でした。  この3つの宣教師団が、ほぼ、同時に日本の宣教に着手し始めたことから、日本の聖公会は、独特の背景を持った教会ということになりました。「ハイ・チャーチ」「ロー・チャーチ」という言葉をどこかでお聞きになったことがあると思います。  第3番目に、私たちは、法憲法規のほかに、「綱憲」というものを持っていることを、覚えておいていただきたいと思います。1888年のランベス会議において、確認されたため、「ランベス四綱領」と言われています。日本聖公会では「綱憲」と言っています。  それは、次のような言葉から成っています。 日本聖公会綱憲  日本聖公会は、全世界の聖公会と共に、次の聖公会綱憲を遵奉する。 第1 旧約及び新約の聖書を受け、之を神の啓示にして救を得る要道を悉く載せたるものと信ずる。 第2 ニケヤ信経及び使徒信経に示されたる信仰の道を公認する。 第3 主イエス・キリストの命じ給うた教理を説き、其の自ら立て給うた洗礼及び聖餐の2聖奠を行い、     且つその訓誡を遵奉する。 第4 使徒時代より継紹したる主教、司祭、執事の3職位を確守する。  以上の4ヶ条です。世界の聖公会と共に、この4つの個条を守ると宣言しています。  第1は、新・旧約の聖書です。第2は、使徒信経とニケヤ信経の2つの信経です。第3は、洗礼と聖餐の2つを聖奠(サクラメント)として守ります。そして、第4は、主教、司祭、執事の3職位を守る、聖職制度です。  聖公会という教会について知りたいと言うお友だちや家族の方々に、いま言ったような、聖公会の歴史や教理や制度のことなど、一度に話すのは、たいへんですが、しかし、私たちの教会の歴史や、あるべき姿を知る上で、ぜひ学んでおいて頂きたいと思います。  最後に、聖書の言葉を引用します。  イエスさまは、ガリラヤ方面に行こうとされたときに、フィリポに出会いました。  イエスさまは、フィリポに「わたしに従いなさい」と言われました。フィリポは、ガリラヤの漁師であったアンデレとペトロが住んでいた町、ベトサイダの出身でした。  しばらくして、フィリポは、友人のナタナエルに出会いました。フィリポは、ナタナエルに言いました。  「わたしたちは、モーセが律法に記している、預言者たちも書いている方、救い主に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスという方だ。」  するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言いました。  そこで、フィリポは、「来て、見なさい」と言いました。  イエスさまは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われました。  「ご覧なさい。この人こそ、ほんとうのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と。  それを聞いて、ナタナエルが、「あなたは、初対面ですのに、どうして、わたしのことが分かるのですか」と言いました。すると、イエスさまは、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言わました。  すると、ナタナエルは答えました。  「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と言って信仰告白をしました。(ヨハネ1:43〜51)  聖公会の教会とは、どんな教会ですかと、問われた時、フィリポが、ナタナエルに言ったように、「来て、見なさい」と言いたいと思います。  「教会に来て、教会の礼拝に出席して、見てください。」 「そこで、イエスさまに、出会ってください。必ずイエスさまに出会うことができます」と。  期待して、教会に来て、教会の礼拝に始めて出席した人が、がっかりして、イエスさまに出会えずに帰ってしまわないように、私たちは、心から神さまを賛美し、心から感謝をささげ、熱心に祈り、つねに愛に満たされた交わりを保っていれば、その中に、イエスさまがいて下さいます。お友だちも、必ずイエスさまにお会いすることができるにちがいありません。   〔2018年2月11日 大斎節前主日(B年) 大津聖マリア教会〕