ヨナタン武市善彦 兄 葬送式説教

2018年04月05日
昨日、お昼前に、古澤司祭さまから電話を頂き、武市善彦さんが亡くなられたことを知りました。   武市善彦さんの魂の平安と、ご遺族の方々に、神さまの慰めと力づけが、豊かにありますように、お祈り申し上げたいと思います。  私は、武市善彦さんと、中学生時代からの友人でありまして、ほんとうに長い付き合いでした。  今はもう、町並みは、跡形もなく変わってしまいましたが、武市君は、大阪市阿倍野区旭町2丁目61番地、私の家は29番地、現在もある大阪市立大学附属病院のすぐ側、阿倍野区と西成区の境目で、戦後間もなく、一緒に育ちました。  毎朝、私が、「武っけん」と「勇ちゃん」(善彦くんのいとこの松木勇一郎くん)を誘いに行き、松虫中学校まで、笑ったり突き合ったりしながら、仲良く通いました。  私の家の前の広場で、「武っけん」と「勇ちゃん」は、よく、キャッチボールをしていました。また、日曜日の朝には、毎週、広場の向こう側の道を市大病院の方に向かって、「武っけん」と「勇ちゃん」が歩いて行きます。わたしが「武っけーん、勇ーちーゃん、どこへいくねーん」と叫びます。すると、武っけんと勇ちゃんは、「教会へいくねーん」と答えが返ってきます。わたしは「何しにいくんやーっ」と言うと、2人で声をそろえて、「アーメンやー」と返ってきます。「帰ってきたら、また、遊ぼなーっ」「よっしゃーっ」  毎週、毎週、同じ言葉を、飽きずに叫んでいました。  あれから、約60数年、今、私が、聖愛教会で、武っけんの葬送式に出席し、このように、高い所に立って「説教」をしているとは、ゆめゆめ、想像すらできないことでした。  それから後、私が引っ越し、武っけんも、勇ちゃんも、私も、別々の高校へ通うようになり、後は、中学校の同窓会で会うぐらいのお付き合いになりました。それでも、久しぶりに会うと、「武っけん」、「勇ちゃん」と呼び交わし、昔の関係が続いていました。  武市善彦くんの略歴を、簡単に紹介しますと、大阪市立松虫中学校を卒業したあと、彼は、天王寺区にあります大阪府立夕陽丘高等学校に入学し、さらに、三重県立大学水産学部(現在の三重大学生物資源学部)に入学されました。  大阪から三重県津市まで通ったと聞きました。  ある時、会って、「大学で、何やってるんや」と聞くと、「毎日、顕微鏡ばっかりのぞいてるんや」と言っていました。  大学を卒業後、日鋼商事株式会社の関西特約店に、定年退職されるまで、お勤めになりました。  退職後は、近所の小学生の野球チーム、少年野球の監督、コーチとして、尽力されました。最近まで、一生懸命頑張っていたと聞きました。  1936年(昭和11年)8月21日生まれ、おじいさんの小林清三郎先生の薫陶を受け、小さい時から大阪聖愛教会の日曜学校に通いました。  1959年(昭和34年)3月15日に、この聖愛教会において、松岡安立司祭から洗礼を受けました。洗礼名を「ヨナタン」と命名されました。  ヨナタンとは、旧約聖書に出てくる人物の名前で、サウルという王さまの息子でした。後に「ダビデ王」となったダビデと、友情が篤く、父と友人の間に立って苦しみました。  ヨナタンは、純情で勇敢な、男らしくて広い心の持ち主でした。善彦さんにふさわしい洗礼名だったと思います。  同年、1959年9月27日、この教会において、柳原貞次郎教区主教から堅信式を受けられました。  さらに、1963年(昭和38年)3月25日、松岡安立司祭司式のもと、リベカ中野節子さんと結婚式を挙げられました。  ご長男・重紀(しげき)(53才)さん、次男・善紀(よしき) (50才)さん、お2人の息子さんが、立派に成長しておられます。1965年(昭和40年)6月から、一時期、庄内キリスト教会に、教籍を移されましたが、2011年(平成23年)に、この大阪聖愛教会に帰ってこられました。  武市善彦さんは、約3年前、脳梗塞を起こして後、自宅で、静養しておられましたが、月曜日、去る4月2日、午前3時ごろ、眠っている間に、静かに息を引き取られました。自然死と診断されるほど、静かに神さまの元に召されました。81歳と7ヶ月のご生涯でした。  一昨年に亡くなった放送作家の永 六輔さんという方が出された「二度目の大往生」という本(岩波新書)の中に、こんな言葉がありました。  「人間は、病気で死ぬんじゃない。寿命で死ぬんだよ」  「友人が、がんセンターに入院した時、同室になった老人から聞いて、感動したことばである。」と、永さんが注記しています。  私はこれを読んで思わず、「なるほど」と思ってしまったのですが、後になって、「寿命」という言葉を辞書で引いてみました。広辞苑では、寿命とは、「命のある間の長さ」と記されています。それでは、その「命の長さ」というのは、誰が決めるのかと、考えてみますと、やっぱり、私たちに命を与え、また、ある時には、命を取り上げる、目に見えない力、命を支配する目に見えない大きな力があることを、認めざるをえません。私たちは、それを神さまと呼んでいます。  図らずも、武市善彦さんが亡くなったのは、教会の暦の中で、大切な「イースター」「復活祭」という祭日、祝日の翌日です。イエス・キリストが、死んでよみがえられたことを祝う日です。  イエスさまは、私たちに、このように約束して下さいました。「わたしは復活(よみがえり)であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて、わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と。(ヨハネ11:25)  また、先ほど読んで頂きました福音書には、このように記されていました。  「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。 もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」すると、トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:1-6)  武市善彦さんは、ひと足先に、イエス・キリストが示された、「道」を通って、神さまのもとへ行きました。  「武っけーーん、どこへいくねーん」、武市くんと、私が 少年時代に呼びかけあったように、今、もう一度呼びかけます。「神さまのところやーーーーーっ」という、声が聞こえてきます。  「また、いっしょに、遊ぼなーーーっ」。  父と子と聖霊のみ名によって。アーメン