預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
2019年02月03日
ルカによる福音書4章21節〜32節
イエスさまは、30歳位になった頃、突然、人々の前に姿を現し、ヨルダン川で、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、さらに、荒れ野に導かれて、40日40夜、断食して、悪魔の誘惑に打ち克たれました。
その後、ガリラヤ地方の各地で、宣教活動を開始されたのですが、ある時、イエスさまは、幼年時代、少年時代、青年時代を過ごした故郷(ふるさと)ナザレを訪れました。
その日は、安息日でした。会堂に入られ、そこでイエスさまは、手渡された聖書を朗読されました。
それは、旧約聖書のイザヤ書61章1節の言葉でした。
「主は、わたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には、解放を告知させるために。‥‥」
聖書の朗読が終わった後、イエスさまは、言われました。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。それを聞いた人々は、その教えに驚き、その言葉の一つ一つに、深い恵みを感じ、感動しました。
イエスさまは、この聖書の中で、イザヤが預言している「わたし」というのは、「わたし」のことだと言い、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した、成就した」と、話し始められました。
会堂で、イエスさまの話を聴いていた人々は、ますます驚いたのですが、しかし、同じように聞いている人たちの中でも、こんなことを言う人たちがいました。
「この人はヨセフの子ではないか」とささやきました。
それを察したイエスさまは、言われました。
「あなたがたは、きっと、『医者よ、自分自身を治(なお)せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここナザレでも、奇跡を起こして見せてくれ』と言うにちがいない」と。
カファルナウムは、ナザレから直線距離で30キロほど北西に行った所にあるガリラヤ湖に面した、かなり大きいガリラヤ地方の中心となる街です。しかし、それはこの街だけではなく、「他所の町や村で行った奇跡」という意味で、ナザレ以外の街や村で行った奇跡を、ここでも行ってみよ」と言うに違いないと言われました。
日頃、偉そうなことを言っている医者でも、自分自身や、家族も、風邪を引いたり、いろいろな病気にかかることがある。偉そうなことを言う前に、自分自身を、または身内を治してみよと言われる「ことわざ」を引いて、イエスさま自身の故郷であるこのナザレでも、人々を救ってみよ、奇跡を行ってみよと言うに違いないと言われました。
イエスさまの評判は、イエスさまが育ったナザレにも聞こえていたのでしょう。この故郷ナザレでも、救いの業、奇跡を行ってみせろと言い出すに違いないと、言われたのです。
マルコの福音書によると、イエスさまに対して、ナザレの人々は、「ヨセフの子ではないか」と言い、「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(マルコ6:3)と言って、人々は、イエスさまに、つまづいたと記されています。
人の生まれや育ちのことばかりに目を向けて、好奇心やからかい半分で、イエスさまを見ている人たちがいたということがわかります。そこで、イエスさまは、「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われました。(ルカ4:24)
そして、イエスさまは、誰のために、何のために、この世に来られたのかということを明らかにされるために、旧約聖書にあるエリヤと、エリシャという2人の預言者の物語を挙げて、教えられました。
第1の物語は、旧約聖書の列王記上17章に記されている物語です。預言者エリヤが、干ばつが起こることを預言し、ヨルダン川の東にあるケリトに避難し、また、サレプタの地で、死んだやもめの息子がを、生き返らせたという物語です。
エリヤは、紀元前850年頃に活躍した預言者です。
イスラエルの7代目の王となった、アハズは、シドン人の王、エテバアルの娘イゼベルと結婚しました。このイゼベルは、非常にきつい性格の女性で、イスラエルの国の王妃となると、権力をふるい、父のエテバアルが、バアル宗教の祭司であったことから、その影響を受け、アブラハム以来のイスラエルの宗教を排斥し、サマリアに、バアルの神殿を建てて、祭壇を築きました。
イスラエルの神に仕える預言者であるエリヤは、神の怒りによって、この地域一帯に、数年の間、雨が一滴も降らない干ばつが起こり、飢饉に襲われるだろうと預言しました。これを聞いた、アハズ王と、その妻イゼベルは、エリヤを殺そうと考え、迫害の手が、エリヤに迫まりました。
その時、エリヤに、神の声が聞こえ、「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこで、あなたを養わせる」と言われました。
エリヤは、神の導きによって、イスラエルから北の方に逃れ、フェニキアのツロとシドンの間にある異教の地サレプタに逃れました。この町で、一人のやもめに会い、水を飲ませて欲しいと願いました。しかし、この地方一帯でも干ばつのため、水も、食べ物もない状態でした。
エリアは、神の声に従って、そのやもめに、汲んでも尽きない水と、食べても尽きることのない小麦粉と油を与えました。列王記上17章15節、16節には、「こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶(かめ)の油もなくならなかった」と記されています。
さらに、エリヤが、この家に滞在中、そのやもめの息子が重い病気にかかり、死ぬという出来事がありました。エリヤは、この息子を、寝台に寝かせ、神さまに向かって、「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ、災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか」と祈り、エリヤは、子供の上に3度身を重ねて、「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」と祈ると、神は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになり、子供は生き返えりました。奇跡が起こりました。(列王記上17章20節〜22節) このやもめは、エリヤに言いました。「今、わたしは分かりました。あなたは、まことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」と言って、信仰の告白をしました。このやもめは、ユダヤ人ではありません。シドン地方すなわち異教の土地に住む女性です。この女性が、イスラエルの神の力を体験し、そして、預言者エリヤの神、エリヤが信じていたイスラエルの神を信じたという物語です。
イエスさまは、このように、旧約聖書の列王記上17章に記されている出来事を取り上げられた、「エリヤの時代に3年6か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤは、その中の誰のもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた」と言われた、異教の地で、奇跡を行われたという物語です。
さらに、もう一つ挙げられた第2の物語(ルカ4:27)は、エリヤの少し後に現れた預言者、エリシャの物語です。
エリシャは、預言者エリヤの後継者と言われています。
このエリシャは、数々の奇跡を行ったと、列王記に記していますが、その中から、イエスさまは、エリシャが、アラムの王の有能な将軍ナアマンの、重い皮膚病、らい病を癒やしたという出来事を取り上げておられます。
アラム(サマリアの北、シリヤ)の王の、軍司令官であったナアマンは、数々の勝利を挙げて王に重んじられ、気に入られていた将軍でした。この人は、勇士でしたが、ある時、重い皮膚病、いわゆるらい病を患っていました。
アラムの軍隊が、かつて、イスラエルの地に攻め込んだ時、一人の少女を捕虜として連れて来られました。ナアマンは、この娘を、ナアマンの妻の召し使いにしました。この少女は、女主人に言いました。「イスラエルの国のサマリアに、エリシャという預言者がいます。ご主人さまが、この人の所においでになれば、あの重い皮膚病をいやしてもらえるのですが」と。そこでナアマンが王さまの所へ行って、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、アラムの王は、「行くがよい。わたしも、イスラエルの王に手紙を送ろう。」と言いました。こうして、ナアマンは、金銀や贈り物を持って、サマリアに向かいました。
ナアマンがイスラエルの王のもとに持って行ったアラムの王からの手紙には、「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように」と書かれていました。
イスラエルの王は、この手紙を読むと、衣を裂いて言いました。「わたしが、人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。このアラムの王は、皮膚病の男を送りつけて、癒やせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ」と。
神の人と言われる預言者エリシャは、イスラエルの王が衣を裂いて、怒っているということを聞いて、イスラエル王のもとに人を遣わして言いました。
「あなたは、なぜ、衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼は、イスラエルに、預言者がいることを知るでしょう。」
ナアマンは、数頭の馬が牽く戦車に乗って、エリシャの家に来て、その入口に立ちました。すると、エリシャは、使いの者をやって、「ヨルダン川に行って、7度身体を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と伝えさせました。すると、ナアマンは怒って、こう言いました。
「彼が自分で出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上に手を置いて、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。川の水で洗えというぐらいだったら、ダマスコの川の方が、まだましだ」と言って、ナアマンは、身を翻して、憤慨しながら去って行きました。
ところが、ナアマンの家来たちが、将軍の所へ来ていさめました。「将軍さま、あの預言者が、何か大きなことをせよと、あなたに命じたのだったらともかく、あの預言者は、『身体を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」と言いました。諭されたナアマンは、思い直して、神の人エリシャに、言われたように、ヨルダン川に入り、7度身を浸しました。すると、ナアマンの身体は、元に戻り、小さい子供の体のような肌になり、清くなりました。
ナアマンは、家来全員を連れて神の人、預言者エリシャのところに引き返してきて、エリシャに言いました。「私は今、イスラエル以外には、この世界のどこにも、神はおられないことが分かりました。今、この僕(しもべ)からの贈り物をお受け取りください」と言いました。
すると、エリシャは、「わたしが仕えている主は、生きておられます。わたしは、その贈り物は受け取ることはできません」と言って、辞退しました。
この後も、この物語は続くのですが、列王記下5章1節〜27節に記されている話です。
イエスさまは、この旧約聖書に記されている奇跡物語を挙げて、言われました。
「預言者エリシャの時代に、イスラエルにも、重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかは、だれも清くされなかった。」と。(4:27)
その地方一帯で起こった大飢饉の中で食べ物が与え、死んでいた息子を生き返らせたという、預言者エリヤによる奇跡物語も、シリアの将軍ナアマンのらい病を癒やしたというエリシャによる奇跡物語も、神さまからの霊の力によって、奇跡が起き、大きな恵みがもたらされたのは、それを受けたのは、異邦人であった、異教徒だったではないかと、イエスさまは、言われたのです。
神さまからの特別の力が現されるのは、奇跡が行われるのは、生まれや血筋でもなければ、特別の地位や権力、名声によるのでもないと言われます。当時のユダヤ人なら誰でも知っている、旧約聖書に記された有名な物語、実例を挙げて、イエスさまは、神の救いの普遍性、すなわち、広くすべての人々に、力がおよぶことを、強調されました。
イエスさまは、ここで、ナザレの人々に、神さまの救いや恵みは、人種や民族の違い、貧富の差や、権力の有無などを越えて、すべての人々にもたらされるのだということを語られました。
「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」(ルカ4:24)と。
ナザレの人々には、イエスさまと、同郷であるために、両親や兄弟のこと、小さい時のことなどをよく知っているために、それが妨げになって、それが壁になって、イエスさまの本当の姿を、まっすぐに、見ることができませんでした。
イエスさまの教えを聴いても、まっすぐに受け止めることはできませんでした。
ナザレの会堂で、イエスさまが言われる「わたしだ」「わたしだ」、イザヤ書に記されている「わたし」と書かれているのは、わたしのことだと言われても、これを受け入れることはできませんでした。
その結果、イエスさまの話を聞いた会堂内の人々は、皆、憤慨し、総立ちになり、イエスさまを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとしました。イエスさまを殺そうとしたのです。しかし、イエスさまは、人々の間を通り抜けて、ナザレの村から立ち去られました。(4:28-30)
さて、私たちと、イエスさまとの関係、神さまとの関係ですが、長い信仰生活の中で、長年、慣れ親しんでいるために、いつの間にか、私たちの「心」が、故郷ナザレの村のような状態になっていないでしょうか。ナザレの村の人々のようになっていないでしょうか。
イエスさまに対して、ナザレの人々が、「ヨセフの子ではないか」、「この人は、大工だった」、「マリアの息子で、その兄弟姉妹も知っている。彼らは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と言ったように、私たちの心が、馴れ馴れしくなり、イエスさまを、まっすぐに見つめることが出来なくなってしまっていないでしょうか。神の子イエス、救い主イエス、この方によって、私たちの罪が贖われ、救いが、解放が、ほんとうの平安が与えられていることを、忘れてしまっていることはないでしょうか。
「預言者は、己が郷にて尊ばれることなし」と言われた言葉を、覚えて、自分自身を振り返りたいと思います。
〔2019年2月3日 顕現後第4主日(C年) 京都聖ステパノ教会〕