「あの方は、ここにはおられない。 復活なさったのだ。」

2019年04月21日
ルカによる福音書24章1節〜10節  イースターおめでとうございます。  今日は、主イエスの復活を記念する日です。ただ単に、お祭りだから「おめでとうございます」ではなく、私たちに与えられた「主の御復活」の証しをしっかりと受け取り、さらに私たちも復活にあずかる希望と信仰を確認し、喜びの日にしたいと思います。  今、読んで頂きました今日の福音書、ルカの福音書から、イエスさまが、十字架につけられ、息を引き取られた後の出来事について、その場面を、もう一度頭に思い浮かべながら振り返ってみたいと思います。  一週の6番目の日、イエスさまは、十字架につけられ、想像を絶する痛みと苦しみの中で呻いておられます。  昼の12時ごろから、3時頃まで、それが続きました。その最後の時、イエスさまは、ひときわ大きな声で叫ばれました。  「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」  こう言って息を引き取られました。  十字架の下で、これを見ていたローマの兵隊の隊長は、イエスさまを仰ぎながら「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美したと、記されています。  最初は、興味半分で見物していたユダヤ人たちも、皆、この凄絶な光景を見て、胸を打ちながら、それぞれに散って行きました。そこに残った弟子たちや、イエスさまを慕ってついて来た婦人たちは、遠くに立って、呆然とこの出来事を見守っていました。  さて、ユダヤ人の議会の議員で、ヨセフという人がいました。この人は、アリマタヤの出身で、密かにイエスさまのことを信じ、イエスさまが教えた神の国を待ち望んでいる人でした。善良な正しい人であったと記されています。(ルカ23:50) このヨセフが、ローマの総督ピラトのところに願い出て、イエスさまの遺体を十字架から降ろし、亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩山に掘った横穴式の墓に納めました。  その日は、過越の祭りの準備の日でした。夕方から安息日が始まります。ガリラヤから来てイエスさまと行動を共にしていた婦人たちは、ヨセフの後について墓に入り、イエスさまの遺体が納められた様子を見届け、家に帰りました。安息日が明けるともう一度お墓を訪れて、イエスさまの遺体の手入れをするために、香料と香油を準備しました。  一週の第一日目の朝、明け方早く、婦人たちは、準備しておいた香料を持って、イエスさまのお墓に向かいました。お墓に行ってみると、お墓の入口、横穴の入口をふさいでいた大きな石が墓のわきに転がしてあり、中に入って、イエスさまの遺体を安置した所へ行ったのですが、ところが、確かにそこにあったはずのイエスさまの遺体が見つかりません。イエスさまの遺体が、無くなっていました。  婦人たちは、驚くと共に、どうしていいのかわからず、途方に暮れていると、白く輝く衣を着た2人の人が、そばに現れ、婦人たちは、恐くなって、地に顔を伏せると、その2人は言いました。「なぜ、生きておられる方を、死者の中に捜しているのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。  かつて、ガリラヤにおられた時、イエスさまが、お話しになったことを思い出しなさい。『人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、3日目に復活することになっている』と、言われたではないか」と。  そう言われて、弟子たちが聞き、また婦人たちも聞いていた、かつて、イエスさまが語られた言葉を思い出しました。  そこで、婦人たちは、お墓から急いで帰り、11人の弟子たちがいる所に行って、お墓で出会った状況をみんなに一部始終を報らせました。このように、最初に「空っぽ」のお墓を発見したのは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであったと、わざわざ名が記されています。弟子たちは、このような話を聞いても、すぐには、信用できませんでした。  しかし、ペトロは、立ち上がって墓へ走り、お墓のある洞窟の中を、身をかがめて中をのぞくと、イエスさまを葬った場所には、そこには、イエスさまを包んであった亜麻布しか見えませんでした。弟子たちは、この出来事に驚きながら、家に帰って行きました。  これが、金曜日から日曜日の朝にかけての出来事、ルカによる福音書が伝えるイエスさまの十字架上の最後と、葬りと、よみがえりの出来事です。  その後、復活したイエスさまが、たびたび弟子たちの所に現れ、「主イエス復活」のニュースが、口から口へ、語り継がれ、伝えられていきました。  このことが、30年ぐらいが経ってから、最初に、書き記るされたのが、「マルコによる福音書」でした。さらに、それから 14、5年経って、西暦80年ごろに、このマルコの福音書を見て、これをもとにして、さらに独自の資料を集めて、マタイとルカによる福音書が書かれました。さらに10年ぐらい経って、ヨハネによる福音書が書かれました。それぞれが属する教会に伝わっていた伝承に基づいて書かれました。  そのような事情で、イエスさまの受難の出来事、十字架の出来事、よみがえりの出来事など、同じように書かれていながら、少しずつ、違ったところがあることがわかります。  ここで、私たちは、イエスさまのご復活の出来事を、もう一度、確認するために、「もし、イエスさまが、復活しなかったら‥‥‥」ということを、一緒に考えてみたいと思います。  なんて不遜なこと、不信仰なことを言うかと、思われるかも知れませんが、ご一緒に考えてみて頂きたいと思います。  聖書の中には、たくさんの奇跡物語があります。イエスさまは、多くの人々の病気を癒やしたとか、5千人以上の人々に食べものを与えたとか、イエスさまは、不思議なことを、奇跡を、大勢の人々にお見せになりました。  しかし、考えて見ますと、どの奇跡物語よりも、いちばん不思議な、いちばん信じ難い奇跡とは、それは、死んだ人がよみがえらせるという奇跡ではないでしょうか。仮死状態ではない、本当に死んだ人、本当に生命を断たれた人が、生き返って、よみがえったということです。  現在という時代に、生きている私たちの理性や知識では、考えられないことが、起こっています。  ところが、「イエスさまが、ほんとうに死んで、ほんとうによみがえられた」という、この奇跡物語が、私たちの、キリスト教の信仰の中心になっているのです。  もし、イエスさまがよみがえらなかったら、キリスト教の教理から、「主のご復活」を取り去ったら、キリスト教という宗教は、教会の信仰は、成り立たなくなってしまいます。キリスト教の信仰では、なくなってしまうのです。  私たちは、礼拝の中で、毎回、ニケヤ信経や、使徒信経を、唱えます。「主は、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり、三日目によみがえり、天に昇り‥‥‥、」と、繰り返し唱えています。  これこそ、私たちの信仰の中心であり、このように信仰告白をしています。もし、私たちが、「聖書にあるとおり三日目によみがえり」という言葉は、どんなに考えても信じられないから、飛ばして唱えましょうと言って、そのようにしたら、2千年の教会の歴史、教会の営みを、否定することになり、正しい信仰告白ではなくなってしまいます。  パウロは、コリントの教会に当てて書いた手紙の中で、このように言ったところがあります。  「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが、復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。‥‥そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは、今もなお罪の中にあることになります。」(第一コリント15:12〜17)  パウロの時代には、コリントの教会の中に、キリストの復活など信じられないと思っていた人たちがいたのです。  パウロは、そのようなことを言う人たちのために、手紙を書きました。  当時の人々は、どのようにして、主イエスがよみがえられたことを、信じるようになったのでしょうか。どうして、信じることができるようになったのでしょうか。  主イエスは、よみがえったのだというニュースは、まず、最初に、安息日の翌日、朝早く、お墓へ行った婦人たちが、空っぽになった墓を見て知りました。その婦人たちは、真っ白の輝く衣を着た2人の若い人(マタイ、ヨハネでは「天使たち」)に出会い、かつて、イエスさまが、弟子たちに言われた「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と告げられたことを思い出しました。彼女たちは、第一発見者として、空っぽのお墓見て、聞いたことを信じました。  この婦人たちが、弟子たちに、主イエスの復活のニュースを知らせ、婦人たちから聞いた弟子たちにが、最初は信じられなかったけれども、墓に走って行き、空っぽになったお墓と(ルカ24:11〜12)、イエスさまをくるんでいた亜麻布だけが落ちているのを見ました。  さらに、今度は、別の弟子たちが、復活したイエスさまに出会い、復活したイエスさまから、語りかけられたという事件が起こりました。さらに、エマオへ行く道中で、2人の弟子たちの前に、よみがえったイエスさまが現れました。このように、たびたび、弟子たちのいる所にイエスさまが現れ、手の傷跡を示し、焼いた魚を食べて見せ、「三日目に、死者の中から復活すると言ったではないか」と、語りかけられました。  ルカによる福音書24章48節に、復活されたイエスさまは、弟子たちに対して、「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われました。  イエスによって呼び出された11人の弟子たちは、キリストがよみがえられたことを証言する証人となり、生まれ替わって、再出発しました。  このようにして、主イエスのよみがえりについて、空っぽの墓を見た婦人たちが、弟子たちに証しし、弟子たちが、よみがえった主イエスに出会って、人々に証しし、弟子たちの証しを聞いた人たちが、さらに多くの人たちが、主の御復活について、証ししました。聖霊の働きによって、教会が誕生し、教会では、キリストを証しするために聖書が書かれ、聖書を通して、世界の各国、各地に、キリストの福音として、キリストの復活について宣べ伝えられていきました。  約2千年が経ち、東洋の日本という国に生まれ、生きている私たちにも、キリストの福音が伝えられ、イエス・キリストに出会い、主の十字架の死とご復活について知り、信じる者となりました。  キリストの復活の真実性、イエスさまは、死んでよみがえられたという事実は、4福音書をはじめ、新約聖書の全体が記録し、証言しています。  しかし、私たちは、ただ、それを読んで信じるだけではありません。もう一つ大事なルーツがあります。  それは、教会が、日曜日ごとに行っている「主日礼拝」に連なっていること、教会生活をもっていることにあります。  教会は、毎主日、礼拝を行っているのは、社会が、学校や会社や役所などが、世の中の多くの人々が、日曜日に休む人が多く、集まりやすいから、日曜日に、礼拝をしているのではありません。旧約聖書の創世記の昔から、1週は7日から成り、第7日は「安息日」となっています。安息日の前日、週の第1日目は「主の日」と呼ばれていました。(アモス5:18、20、イザヤ13:6、9、ゼパニア1:7等) 新約聖書では、週の第1の日を「主の日」(テサロニケ一5:2、テサロニケ二2:2)「キリスト・イエスの日」(フィリピ1:6)などと呼ばれています。  イエス・キリストは、文字で書かれた聖書の中に証しされてきただけではなく、「一週の初めの日」に、教会が、主イエスの命令に従って、パンを裂くために集まるとき、教会は、主イエスの死を告げ知らせるだけではなく(コリント一11:26)、この日に、「主の復活」を証してきました。2千年にわたる教会の歴史の中で、教会は、その営みの中で、聖餐式をささげるということを通して、主の十字架と復活を証しし続けてきたのです。私たちは、教会の一員として、その歴史と伝統、信仰生活の中にあって、はじめてキリスト者として生かされていることを忘れてはなりません。  主のご復活を祝い、主の聖餐にあずかることの恵みを感謝し、心からその喜びを共にしたいと思います。      2019年4月21日(C年)聖光教会