聖霊は一人一人の上にとどまった。

2019年06月09日
使徒言行録2章1節〜4節  私の若い頃の、経験談を聴いて頂きたいと思います。  1972年の9月、私が36歳の時でした。アメリカの神学校で学ぶ機会が与えられ、ペンシルベニア州のフィラデルフィア神学校で、1年間、寮生活をし、授業を受けたり、レポートを書いたりしながら、いろいろなことを経験し、学びました。  ある時、「ボブ」と呼ばれている若い神学生が、私に、「ボクが、毎週、通っている教会で、ヒーリング・サービスという礼拝があるので、一緒に行かないか」と誘われました。  何曜日だったか忘れたのですが、神学校の夕の礼拝が終わった後、ボブの自動車に乗せてもらって、彼の教会へ行きました。その教会は、住宅街の真ん中にある聖公会の教会で、石造りの立派な聖堂がそびえていました。  その聖堂で、礼拝があるのかなと思っていると、階段を降りて、地下の集会室に案内されました。ちょっと天井は低いのですが、体育館ほどある広いホールでした。一方の壁際に、食べ物が並んでいるコーナーがあって、集まった人たちが、三々五々、自分が食べる軽食と飲み物をとって、座り込み、食べたり談笑したりしています。「日本から来て、神学校で学んでいる友人です。すでに司祭なのですが」と言って、ボブは、私を、その教会の司祭さんに紹介し、まわりの信徒の人々にも、紹介してくれました。ホールには、床全体に毛布のような敷物が敷いてあって、年配の人々も、若い人たちも、全部で、100人か、150人ぐらい居たでしょうか。あちこちに輪になって、座り、賑やかにしゃべっています。まるでピクニックのような賑やかさでした。  午後8時頃になって、夕食の後片付けが終わると、聖歌集が配られ、その教会の司祭さんが、立ち上がり、それでは、礼拝を始めましょうと声をかけますと、静かになり、ギターの伴奏で、聖歌を歌い始めました。1曲、歌い終わると、次の曲をリクエストする声が聞こえ、また、みんなで、それを歌います。何曲も何曲も歌います。その間に、司祭さんが、マイクを手にして、詩編を朗誦、聖書を朗読します。さらに、お祈りをしました。  先ほどまでの賑やかさとは、がらっと雰囲気が変わり、厳粛な雰囲気になりました。  そのホールの真ん中に、椅子が一つ置かれ、それを囲むようにして、みんなが座っています。司祭さんが、「ここで、お祈りをしてもらいたい人は、前に出て来てください」と言いました。3人、4人と手を挙げます。招き出された人は、自分の病気の症状や、今悩んでいることを訴えます。すると、司祭さんが、少し解説を加え、その人を真ん中の椅子に座らせ、先ず、司祭さんが、頭に手をおき、続いてまわりにいる人たちが、立ち上がったり、中腰になって、手を置きます。100人以上も居る人々が、手を伸ばし、手が届かない人は、前の人の肩や背中に手を置いて、そして、それぞれに、自分の言葉で、その人のための、声を出して祈ります。そのホール全体に声が響き、それが、いつの間にか、なんとも言えないハーモニーになり、一つになりました。それが終わると、次の人が立って、椅子に導かれ、また、みんなで手を置いてお祈りします。  ある人は、自分の奥さんがガンの宣告を受け、入院している、みんなで祈ってほしいと訴えました。そして、その人が真ん中の椅子に座り、また、みんなで、手を伸ばして、手を置き、みんなで祈り、祈りのハーモニーが続きました。  そのうちに、一人の東洋人、男性の青年が立って、お祈りしてほしいと、訴えました。彼は、日本人でした。すると、その教会の司祭さんが、ちょうど、日本から来ている日本人の司祭が居る、彼に、先導のお祈りをしてもらおうと言って、私が、呼び出されました。「えええーーっ、わたしが?」と、びっくりしたのですが、真ん中へ、呼び出されました。椅子に座った、彼の後ろに立ち、頭に手を置いて、日本語で、彼のためにお祈りしました。気がつくと、近くの人たちは、いっせいに、私に、手を置き、手を前に突きだし、頭をたれて、口々にお祈りを唱えていました。そこで、気がついたのですが、そこで祈っている人たちの言葉は、英語でもない、日本語でもない、フランス語でも、イタリア語でもない、「異言」を語っていることがわかりました。それが、四部合唱というのか、三部合唱というのか、美しいハーモニーになって、部屋中に響いていました。  その集会が終わったのは、夜の11時頃だったと思います。  その祈祷会は、私にとって、不思議な、始めての体験でした。「ヒーリング・サービス」とは、「癒やしの礼拝、お祈り」という意味です。  1960年4月3日、アメリカ聖公会の司祭、デニス・ベネット師は、主日の礼拝説教で、異言を伴う聖霊のバプテスマを受けたと語り、それが原因で、教会を辞任するという事件がありました。自由主義神学の立場であったベネット司祭は、聖霊のバプテスマを受けてから、聖書を読み、祈る人に変えられたといいます。2,600人もの信徒を牧会する聖公会の司祭が、聖霊カリスマ体験で、教会を追い出されたというこの事件は、一般紙の「タイム」や「ニューズウィーク」でも報道されました。ベネット司祭は、カリフォルニア州の大教会から、シアトルの崩れかけた教会の司祭として赴任し、その教会は、急速に成長し、聖ルカ監督派教会(聖公会)(St.Luke's Episcopal Church)となり、カリスマ派の拠点となったと言われています。  その影響を受けて、アメリカ全土に「聖霊運動」が広まり、私が、アメリカで学んだのは、丁度、10年後でしたから、アメリカの教会で、広く関心を持たれ、あちこちの教会で、このような礼拝や集会が持たれていたのだと思います。  それまでも、「ペンテコステ派」という、聖霊を強調する教派などはあったのですが、宣教の働きを継続するために「教会」や「教団」を結成していました。これに対して、「カリスマ運動」(「カリスマ」とは、神の賜物、聖霊から与えられる時別な力の意)は、聖霊体験を持った聖職や信徒が、それぞれの教会にとどまり、それぞれの教会の教理を信じながら、参加して、組織化され、制度化された既存の教会の刷新をめざす運動となりました。ペンテコステ運動とは違って、世界中で、聖公会、ルーテル派、バプテスト派、メノナイト派、改革派など、福音派・非福音派の枠を越えて、カトリックまでこの運動が広がっていきました。日本でも、福音派の諸教会、単立教会、日本基督教団、聖公会等の伝統的教派、さらにはローマ・カトリックにも影響が及んだ時期がありました。  そのような、「聖霊運動」とか、「カリスマ運動」と呼ばれる聖霊の働きを中心にした信仰運動があったことを知って頂きたいと思います。  さて、今日の主日は、イースターから数えて、50日目です。当時のユダヤ人が守っていた「収穫感謝の日」に、イエスさまの弟子たちをはじめ、大勢の人たちが集まっている所へ、聖霊が降ったという出来事がありました。このことを記念して、この日のことを、「聖霊降臨日」(ペンテコステ)と呼んでいます。  今日の使徒書、使徒言行録2章1節から11節までですが、五旬祭の日が来て、祭りのために大勢の人々が集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡りました。そして、炎のような、舌のようなものが、分かれ分かれに現れ、そこにいた一人一人の上にとどまりました。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだしたと記されています。  ルカによる福音書を書いた記者が、その続編として書いたのがこの「使徒言行録」だと言われているのですが、「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、家中に響いた」(2:2)、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(2:3)というように、本来、ふつうでは目に見えない神の力、聖霊が、耳で聞こえた、目で見えた情景として、ここに描かれています。  そして、そのような聖霊体験によって、弟子たちに、大きな変化が起こりました。死んだようになっていた弟子たちは、この体験によって、生まれ変わったのです。  イエスさまが亡くなった後、これから先、何を頼って生きていけばいいのか、恐怖と不安のため、弟子たちは、何も手につかず、心配のあまり、ただ、ただ、息をひそめ、体を寄せ合っていました。  そのような状態の時に、この事件が起こりました。彼らの上に、聖霊が降ったという出来事です。  この出来事によって、聖霊を受けた人々は、突然、一人一人立ち上がり、不思議な言葉で、語り始めたのです。  弟子たちが受けた聖霊体験によって、その瞬間、教会が生まれたと言われます。ペンテコステによって、最初の教会が誕生したのです。  私たちは、天地の造り主、全能の父である神さまを信じます。そして、その独り子、私たちの主、イエス・キリストを信じます。そして、さらに、聖霊を信じます。  そのことを一つの言葉で表現して、「三位一体の神を信じます」と、信仰告白をします。  私たちは、日頃、「神さま」、「イエスさま」とは呼びますが、聖霊に対しては、ただ「聖霊」呼び捨てにし、「もの」のように扱って、聖霊も、神そのものだということを忘れてしまっていることはないでしょうか。  聖霊さまは、神さまとイエスさまから出て、私たち一人一人を強めてくださる神さまです。この聖霊さまが働いて、弟子たちを、生まれ変わらせ、立ち上がらせ、突き動かし、前へ押し出したように、私たちにも、聖霊さまが、後から突きだしてくださいます。  私は、聖霊とは、「目に見えない神さまから出る力、エネルギー」だと、言っているのですが、もっと、わかりやすく、「神さまからの風」と呼ぶことができると思っています。 また、現代に生きる私たちには、聖霊は、神さまから発せられる電波や電磁気にたとえることができます。  私たちは、テレビやラジオを持ち、携帯電話を使って、便利な生活を送っています。よく考えてみますと、それは、テレビ局やラジオ局、携帯電話の発信基地などから、発せられる「電波」を、私たちが持っている受信機や携帯が、これを受けて、それで、美しい画像や音声、音楽などを楽しむことができます。  しかし、電波そのものは、私たちの目には見えません。触ることもできません。しかし、世界中から発せられる電波が、私たちの体の周りを取り巻いているのです。  無数の電波は、私たちの目には見えませんが、誰も、電波の存在を、否定したり、疑ったりする人はいません。  神さまとイエスさまから発せられる霊は、私たちの目には見えませんが、明らかに存在し、私たちに働きかけ、動かし、助け、導いてくださいます。  私たちは、一人一人は、神さまから与えられている「受信機」であり、「携帯電話」です。神さまから絶えることなく発せられる電波、すなわち聖霊を、体中で受けることができるのです。神さまからの電波、聖霊は、つねに発せられているのですが、それを受ける受信機、携帯のスイッチは、私たちの手元にあるのです。神さまから、どんなに聖霊が送られていても、発せられて来ても、私たちの心の中の「信仰のスイッチ」が、オンになり、周波数が合っていなければ、その声を、音声を聴くことができません。きれいな、はっきりとした画面を見ることが出来ません。  もし、私たちの心の受信機、携帯電話のスイッチが、オンになり、神さまの発する周波数と、私たち受信機、携帯の周波数が、ピタッと合った時には、「あなたがたに平和があるように」と言われるイエスさまの第一声が、聞こえてくるはずなのです。  神さまから遣わされる聖霊さまは、私たち一人一人にとどまって、力を与えて下さいます。聖霊さまは、私たちを励まし、私たちの心と体を強め、癒やして下さいます。   今日は、聖霊降臨日です。神さまから送り続けられている「聖霊さま」について、改めて考える日です。私たちの心のスイッチ、信仰のスイッチは、いつも、オンになっているでしょうか。神さまからの聖霊を受ける準備として、神さまから送られてくる電波の周波数に、きちんとピントが合っているでしょうか。もう一度、自分自身の信仰生活をふり返ってみたいと思います。     〔2019年6月9日 聖霊降臨日(C)  於 ・ 大津聖マリア教会〕