「あなたの信仰があなたを救った」

2019年10月13日
ルカによる福音書17章11節〜19節  イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」  私が使っています1993年発行の「新共同訳聖書」には、今読みました聖書の個所には、「らい病を患っている10人の人をいやす」という見出しがついています。  その後、発行された聖書では「重い皮膚病を患っている人」と、変更されています。  日本の国会で、1996年(平成8年)5月に、「らい病」という病名を「ハンセン病」と改めると決議されたからだと思います。  長い歴史の中で、このハンセン病に罹った人に対して、強い偏見と差別があり、そのために、数多くの人々が苦しめられてきました。  1871年、A.G.H.ハンセンによって、細菌学的に病原が明らかにされ、1943年には、アメリカにおいて、プロミンという薬が開発され、この薬によって、らい病菌の繁殖はなくなりました。日本では、戦後、1947年頃から、このプロミンが使用され、今では、もう完全に、この病気はなくなったと言われます。それでもなお、社会的、精神的な差別や偏見が続き、「らい病」という言葉には、そのような差別と偏見の意味がまだ残っていると言われます。  日本において、らい病患者を救う「救らい事業」のために、英国聖公会の外国人宣教師、とくに婦人宣教師の働きがあったことを知って頂きたいと思います。  1895年(明治28年)11月、イギリスのCMS(英国聖公会宣教協会)の婦人宣教師、ハンナ・リデル、そして、エディ・ハンナ・ライトによって、熊本の地に「熊本回春病院」が開設されました。  もう一つ、群馬県の草津に、聖公会の婦人宣教師によって、らい病専用の病院と施設が設けられました。  草津温泉は、昔から、皮膚病によく効く湯治場として知られていましたが、明治時代に入ってから、そこに、らい病患者が多く集まっていたと言われています。  この草津で、ハンセン病患者に対する救済活動は、やはり、イギリスの婦人宣教師、コンウォール・リー女史によって始められた「聖バルナバ・ミッション」でした。  ミス・リーは、母親が亡くなった後、日本へのキリスト教伝道を決心し、英国伝道協会の自給伝道師として、1908年(明治41年)、51歳の時、日本に到着し、日本語を学びました。1915年(大正4年)7月末、群馬県草津の「湯ノ沢」を訪れ、そこに集まる、らい患者の状況、不治の病いのために人々の心はすさび、風紀は乱れている状況を始めて見ました。  大正5年5月、59歳の高齢の身をもって、残る生涯を、らい病患者のために献身することを決心し、草津に移り住みました。男子ホーム、女子ホーム、夫婦ホームができ、家族単位で救護する準ホームもできました。建物は、教会も含めて36棟もありました。  ミス・リーの熱心な伝道活動により、草津の湯之沢における信徒数は、昭和5、6年頃には、約800名のらい病者の内、500名を数え、陪餐者は、250名もいたといわれます。  草津のらい患者から「かあさま」と呼ばれ、ほんとうのお母さんのように慕われたミス・リーは、晩年、老衰のため、引退し、1941年(昭和16年)12月18日、太平洋戦争開戦の10日後に、亡くなりました。  この「聖バルナバ・ミッション」は、その年まで継続されましたが、間もなく解散され、各施設も閉鎖されました。  そこに収容されていたらい病患者は、国立療養所栗生楽泉園に収容され、現在に至っています。  ここで、少しだけ、私の若い頃の体験をお話したいと思います。1963年(昭和38年)の3月の末だったと思います。聖公会神学院の3年生になる前の、春休みに入る前、北関東教区から来ている1学年下の松村神学生から誘われて、群馬県の草津に行きました。その松村君のお父さんは、松村栄司祭といって、草津聖バルナバ教会の牧師さんでした。同時に、「国立療養所楽泉園」の中にある「聖慰主教会」の管理司祭をしておられました。約1週間、牧師館に泊めて頂いて、春休みの休暇を過ごしました。  日曜日の朝、今日は、楽泉園のチャペルで、主日礼拝を行うから、出るようにと言われ、証しでいいから、そこで、何か話をしなさいと言われました。そして、朝早く、まだ深い雪が残る山道を歩いて、楽泉園につきました。  毎主日、礼拝が始まる前に、病棟を回って、病床聖餐をすることになっているから、ついて来なさいと言われ、司祭さんは、式服を着け、聖別したパンと聖杯を捧げ持って、私は、その後をついて、歩きました。  病棟に入って、ふつうの病院の病室のように、ベッドが、3つずつ、2列に並び、おばあさんらしい人が、ベッドに座ってうつむいているのですが、その姿を見て、息を飲みました。髪が抜け落ち、鼻がない人や、目が見えない人、耳がない人、皮膚は、白い所とピンクの所が、まんだらで、背中を丸めてうずくまっています。松村司祭さんは、懺悔の祈りを一緒に唱え、赦罪の祈りをし、パンをぶどう酒に浸して、口に入れます。人によっては、自分で飲み込めない人のために、指を喉まで突っ込んで、助けてあげています。  どの患者さんも、ベッドの横のサイド・テーブルには、ティッシュで包んだ献金が置いてあって、「先生、有り難うございました」と小さな声で言って、その献金を献げていました。松村司祭さんは、顔を耳に近づけて、一人一人に声をかけ、祝福を与えて、また、次のベッドへ移ります。いくつもの病棟を回り、病室を訪ね、約20人ほどの病床聖餐を、毎主日、礼拝が始まる前に、なさっていました。  その後で、伺ったのですが、若い時に発病して、親からも、兄弟からも、あらゆる人間関係から、突然、引き離されて、ほとんどの人が、ここに身を隠して生きています。そのような中で、ミス・リーに出会い、また、ほかの信徒に出会って、神さまのことを知り、イエスさまのことを知って、クリスチャンになった人たちですと言われました。  彼らは、彼女たちは、視神経がらい病菌に犯され、聖書が読めなくなります。聴覚も犯されていきます。点字を習って、点字で聖書を読もうとしますが、指先の触覚も犯されていきます。点字の聖書を最後に残った唇で読もうとしますが、それも唾で濡れてしまいます。最後の手段として、ブリキ板に、点字を打ってもらって、それを唇で読もうとします。ブリキ板の尖った先で、唇が裂け、血だらけになって、それでも、聖書を読みたいと努力をしている人の姿を、想像できますかと、問われて、言葉を失いました。  10時半になって、チャペルで、主日の礼拝、聖餐式が始まりました。その礼拝堂では、会衆席が畳になっていて、自分で歩ける人たちが、約100人ほど集まっていました。  私は、いちばん後ろに座っていたのですが、説教の所で、司式をしておられた松村司祭さんから呼び出され、紹介されて、会衆の皆さんの前に立ちました。そこで見た光景に驚いて、声が出なくなってしまいました。会衆席に座っている、全員と言っていいほど、男性も女性も、帽子を目深にかぶり、濃い色のサングラスを掛け、大きなマスクをして、こちらを見つめておられる異様な光景に、今日は、「神さまの愛について」話そうと思っていた、小生意気な神学生の頭は、真っ白になってしまいました。あと、何を言ったのか覚えていません。何かを言ったのでしょうが、何も覚えていません。  長々と、自分の体験談を語ってしまいましたが、それまで、何の知識も持たなかった私は、ハンセン病の恐ろしさとその病気に罹った人の苦しみ、また家族の人々の苦しみを知る体験をしました。  今日の福音書に戻ります。  約2000年昔、イエスさまの時代には、この重い皮膚病、らい病に対して、治療する方法がなかった時代ですから、重い皮膚病の症状から、この病気にかかった人に触れると、病気がうつる、悪霊に取り憑かれるといった偏見が強く、宗教的にも「汚れた人」として、社会から隔離され、恐れられていました。  旧約聖書のレビ記の13章、14章には、この皮膚病について、このように、非常に細かい規定されていました。  「もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合は、その人を祭司アロンのところか、彼の家系の祭司の一人の所へ連れて行きなさい。祭司は、その人の皮膚の患部を調べ、患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、重い皮膚病(らい病)である。祭司は、調べた後、その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。」(13:2〜3)  さらに、その45節以下には、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」と、神の掟として、定められていました。  イエスさまが、エルサレムに向かって、弟子たちと共に歩いておられる途中、北のガリラヤ地方から来て、サマリア地方に歩いておられる時でした。ある村に入ると、道ばたに、らい病を患っている10人の人が待っていて、遠くの方に立ち止まり、声を張り上げて、叫びました。「イエスさまーーっ、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫びました。  彼らは、掟に従って、布ですっぽり身を隠し、離れた所から悲痛な声で、叫び続けました。  イエスさまが、あちこちで、病気の人を癒やし、奇跡を行っておられるという噂を聞いて、隔離されている山奥の寂しい所から出て、たずねてきたのでしょうか。  「わたしたちを憐れんでください。助けてください」と、必死な思いで叫びました。  すると、イエスさまは、彼らを見て、「祭司たちの所へ行って、体を見せなさい」と言われました。掟によると、いくらその重い皮膚病が治ったと思っても、自分で思うだけでは、完全に治ったことにはなりません。まず、神殿に仕える祭司の所へ行って、見てもらい、「あなたがたは清くなった」と、宣言してもらい、そのことを証明してもらわなければ、社会復帰ができなかったのです。(レビ記13:1〜46)  彼らは、イエスさまに、言われた通り、その言葉に従って、祭司の所へ向かいました。すると、その途中で、彼らは癒されました。イエスさまに手を置いて頂いたとか、一人一人に、イエスさまが、何かをしたわけではありません。「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」と記されているだけです。その時、「奇跡」が起こったのです。  その病いのゆえに、「神に呪われた者」というレッテルを貼られ、社会から追われ、家族からも友人からも、あらゆる人間関係から排除されて、人間として生きていくことを、完全に否定されていた、この10人。しかし、この瞬間、彼らは癒されたのです。「汚れた者」と、自分も認め、人々から罵られ続けていた人たちが、「清くされた」のです。  彼らは癒されたことを感じ、自分の身に起こったことを知って、躍り上がって喜びました。祭司に体を見せ、「清くなった」ことを証明してもらって、まっすぐに、それぞれの家にもどって行きました。  10人のうち9人は、飛び上がって喜び、自分の家に帰って行ったのですが、ところが、その中の一人だけは、自分がいやされたことを知って、大声で、神さまを、賛美しながら、イエスさまのところに戻って来ました。そして、イエスさまの足もとにひれ伏して感謝しました。(15節、16節)  聖書には、「この人は、サマリア人だった」と、記されています。  「サマリヤ」というのは、ユダヤの国の真ん中、北のガリラヤ、南のユダに挟まれた地方なのですが、紀元前850年頃、当時、北イスラエルと呼ばれていた地方のオムリという王は、息子のアハブを、異教徒の国、ツロの王エテバアルの王女イゼベルと結婚させたという事件がありました。ところが、このイゼベルは、「バアルの神」という偶像を拝む信仰の持ち主でした。さらに、このイゼベルが、サマリア地方に偶像崇拝、バアル信仰をもたらしたことから、それ以後、ユダヤ人は、サマリア地方の住民に対して、強烈な差別意識を持つようになり、長い歴史の中で、それが、強く根付いていました。同じユダヤ人でありながら、「あれは、サマリア人だ」という時、「異邦人だ」、「外国人だ」というのと同じぐらい忌み嫌う関係になっていました。  「この人はサマリア人だった」と、わざわざ語られているのは、日頃、自分たちこそアブラハムの子孫であると誇り、自分たちは、モーセの律法を忠実に守っていると、自負しているユダヤ人と、差別されているサマリア人が、ここで対比されています。  イエスさまによって、10人の「らい病患者」が、癒やされました。しかし、ユダヤ人であることを誇る9人の元らい病人には、イエスさまがなさったみ業に神さまの力を見い出し、神さまに感謝をささげるというような信仰は、みじんもありませんでした。  一方、差別されている方のサマリア人には、その信仰がありました。そこで、イエスさまは、言われました。  「清くされたのは、10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人(サマリア人)のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」と。  サマリア人は、「大声で神を賛美しながら戻って来ました」。そして、「イエスさまの足もとにひれ伏して感謝しました。」それは、彼が、神さまに出会い、神さまを礼拝する人であったということです。このサマリア人一人だけが、イエスさまの後ろに神を見、感謝と賛美をささげ、足もとにひれ伏し、イエスさまを礼拝したのです。この人は、イエスさまに、信仰告白をしたのです。  ほかの9人も、同じように、らい病、重い皮膚病を癒やして頂きました。同じように喜び、躍りあがったのですが、イエスさまのことなど忘れてしまって、引き離されていた家族や友人の所に、まっすぐに帰って行きました。  彼らは、社会的にも、経済的にも、人間関係においても、その重い皮膚病によって苦しめられ、絶望し続けていたものが、今、回復され、助かったのです。彼らも救われたのです。しかし、時が経つと、その有り難さも、喜びも、当たり前になってしまいます。いつのまにか、記憶も薄くなってしまいます。  イエスの足もとにひれ伏して、感謝した、いいかえれば、奇跡を与えてくださった、神さまの足もとに帰ってきたサマリヤの人に、イエスさまは言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と。  イエスさまのもとに帰ってきたサマリア人は、身体的に癒やされた、病気から解放されただけではなく、この奇跡を通して、イエスさまに出会ったのです。神さまに出会ったのです。  神さまを賛美し、心から感謝することができる人に生まれ変わったのです。肉体的に癒やされただけではなく、心が解放された、ほんとうに神を見る人になったのです。  イエスさまは、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。  それまでの、伝統的なユダヤ教徒の信仰にはない、ほんとうの信仰の喜び、いつまでも尽きることのない喜びの人生を、異邦人、外国人以上に、さげすまれてきたサマリア人に与えられたのです。  ほんとうの「救い」とは、ほんとうに「救われる」とは、どういうことでしょうか。それは、ほんとうにイエスさまに出会い、神さまに出会うことです。  私たちも、「あなたの信仰が、あなたを救った」と言われるような信仰を持ちたいと思います。 〔2019年10月13日 聖霊降臨後第18主日(C-23) 大津聖マリア教会〕