十字架につけられたキリストを宣べ伝える。

2020年02月08日
コリントの信徒への手紙一 2章1節〜11節 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、   「目が見もせず、耳が聞きもせず、   人の心に思い浮かびもしなかったことを、   神は御自分を愛する者たちに準備された」 と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。  今日は、先ほど読んでいただいた、使徒書、コリントの信徒への手紙一2章1節以下から、学びたいと思います。  よくご存知だと思いますが、この「コリントの信徒への手紙」は、パウロが、ギリシャの大きな商業都市、コリントにある教会、まだ生まれたばかりの集会であり、コリントに住むユダヤ人が中心になって集まった教会の信徒に宛てて書かれた手紙です。  かつて、パウロは、イエスさまが、十字架上で亡くなられて、20年ぐらいが経った頃、西暦で言えば、49年から51年頃まで、約2年間、このコリントに滞在し、そこで宣教活動をして生まれた教会でした。その後、パウロは、伝道旅行を続け、54年の春、エフェソから、コリントの教会に書き送った手紙が、この「コリントの信徒への手紙一」だと言われています。  パウロは、かつてコリントにとどまり、そこで、福音の種を播いた時のことを思い出しながら手紙を書いています。  「兄弟たちよ、わたしが、そちらに行った時、『神の秘められた計画』を宣べ伝えるのに、特別に優れた言葉や、特別の知恵を用いたのではありませんでした。それは、なぜかというと、わたしは、あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも、『十字架につけられたキリスト』以外、何も知るまいと心に決めていたからです」(2:1、2)と書いています。  パウロが、ここで、最初に言っている「神の秘められた計画」とは、何のことを言っているのでしょうか。ギリシャ語の聖書では、「マルテュリオン」という言葉を使っているのですが、それは、「証し、証言、証明」などという意味です。 しかし、パウロは、ここでは、特別に「トゥ ミュステ-リオン」、「神の秘密」、「神の隠された知恵」というような意味に使っています。そして、その「神の秘められた計画」とは、神の秘密、神の秘められた、神の隠されたご計画ともいうべきものであって、人間のどんな知恵によっても、簡単には理解できない「神のご計画」なのだと言います。  この神の「隠された秘密」は、どんなに優れた人間の知恵によっても理解できない、どんなに立派な言葉を重ねても説明しつくせない、伝えられないものだからです。  だから、パウロは、はっきりと目に見えた歴史的な事実、「十字架につけられたキリスト」についてしか、語らなかったのだと言っています。  さらに、パウロは、自分が語った言葉も、宣教の内容も、自分の知恵や自分の言葉によって語ったのではなく、聖霊の力によって証明されたことを語ったのだと言います。それを聴いた人々は、パウロの力によって信じるようになったのではなく、神の力によって信じるようになったのだと言っています。  「神の秘められた計画」とは、神の秘密、神の秘められた、神の隠されたご計画とは、どのようなものでしょうか。  ここで、恥ずかしいことですが、私のささやかな信仰の「証し」をさせて頂き、私が感じたことを知って頂きたいと思います。  皆さんの中には、「ボーン・クリスチャン」と言って、赤ちゃんの時、幼い時に、幼児洗礼を受け、また、神さまを、イエスさまを、信じて当たり前、当然という環境の中で、育った方もおられると思います。  しかし、私は、1957年(昭和32年)のクリスマスに、21歳の時に、大阪の聖ヨハネ教会という聖公会の教会で、洗礼を受けました。小さい時から、我が家には、小さな仏壇があり、神棚があり、いたって平均的な日本人家庭の宗教的環境で育ちました。  高校時代に、同級生で、片山くんというクリスチャンの友人がいて、いつも下校の道が一緒で、教会や神さまのことを、語っていました。目に見えない神を、在るかのように信じているなんて、「こいつ、アホとちがうか」と、その友だちの顔をまじまじ見つめたことを、今でも覚えています。  近所に、山上操先生という婦人が住んでおられて、(のちに、その方は大阪聖ヨハネ教会の婦人伝道師だったことを知りました。) 母を通じて、教会の掃除のアルバイトを頼まれました。土曜日の午後、婦人会の方々が当番制で、礼拝堂の掃除をしているのですが、どうしても当番の日に、都合がつかない人は、山上先生に連絡して、私の所に連絡してくれます。半日分のアルバイト料と市電の切符をもらって、他の婦人の方々と一緒に、教会の掃除をしました。それが、教会という所に足を踏み入れた最初でした。  高校を出てから、小さな印刷会社に就職し、2年間働いたのですが、過労のため、腎炎になり、約1ヶ月、入院しました。その入院がきっかけで、やはり大学に行きたいという気持ちになり、本を引っ張り出して、受験勉強をし直し、関西大学の法学部に入学しました。いろいろなことがあったのですが、印刷屋に丁稚奉公している頃から、「生きがいとは何か」とか、「人間は何のために生きるのか」というようなことを、考え込み、友だちに議論を吹っかけていました。いろいろな本を読みあさりました。とくに、フランスの小説家、哲学者のアルベール・カミュの小説などを読み、「不条理」だとか、実存主義などという言葉を振り回し、どんどんと厭世的な気持ちになり、悲観主義に陥り、何を見ても「くだらん」と思い、発作的に電車に飛び込みたくなったりしていました。ある日、真っ暗な闇の中を、底のない井戸のような所を落ちていくような夢を見て、怖くなり、何か助けを求めて、掃除のアルバイトに行ったことのある、大阪聖ヨハネ教会へ飛び込みました。そして、その教会の牧師、有近康男先生に、何時間も話を聞いてもらい、「次の日曜日、洗礼志願式を受けなさい」と言われました。聖書は持っていましたが、キリスト教のことは、何もわかっていません。言われたように、次の日曜日、教会の礼拝に出席し、言われたように、前に出て行きました。当時は、文語の祈祷書で、有近牧師が「なんじ天地の造主・唯一の真の神を信ずるか」と言われ、祈祷書に書かれていた言葉、「我これを信ず」と唱えました。「汝もろもろの神・仏・偶像を拝むことを廃めたるか」と問われ、「我これを廃めたり」と応えました。さらに、「汝キリストの道を学び、洗礼を受くる準備を為さんと願ふか」と問われ、「我これを願ふ」と応えました。  そして、1ヶ月後のクリスマスに、洗礼を受けました。洗礼の準備と称する「お勉強」は、全くしていません。それをすると、また、「神とは何か」とか「神は在るのか」とか、「神は誰が造ったのか」などと、質問や議論を始めるので、有近司祭さんは、議論や論理で、どんなに、言葉を尽くしても、神さまのことが解るものではないと考え、強引に頭に水をかけて、洗礼を施されたのだと思います。  その後、信徒按手式を受け、大学卒業後、父の反対を押し切って、東京の神学校へ行くことになり、気がつくと司祭になり、定年を迎え、今日に至っています。  なぜ、こんな話をし始めたのかといいますと、パウロがコリントの信徒への手紙にいう、「わたしの言葉も、わたしの宣教も、知恵にあふれた言葉にもよらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」という言葉に、私自身の未熟な体験を思い出したからでした。  私たち日本人の多くは、日本人として、独特の宗教観をもっているように思います。  例えば、「祈る」ということにしましても、神社やお寺では、お賽銭を投げ入れて、手を合わせて拝みます。そこで、まず、最初に、自分の「願いごと」があって、神や仏の力によって、その願いが、かなえられることを、ひたすら、一生懸命願う、それが、宗教であり、信仰を持つことであり、救いを求めている姿だと、思っているような気がします。  一方、聖書が示している、または、パウロが、わたしたちに、教えようとしている信仰というものは、違うように思います。パウロが、コリントの教会の人々に示そうとしている「救い」の中心とは、「十字架につけられたキリスト」を知ることであり、それ以外にはないと言います。  神の子、イエス・キリストが、十字架につけられ、苦しみを受け、その命が献げられました。そのことによって、ほんとうの「救い」がもたらされたのです。すべての人々の罪を贖うために、祭壇に献げられた子羊になられたのです。そのことによって、私たちは、救われたのです。  ところが、パウロは言います。この「十字架につけられたキリスト」を、ほんとうに知るということは、「神の秘められた計画」であって、人間の知恵や、ありふれた言葉では説明できない、語り尽くせないものなのだと言うのです。  人は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、それを、言葉に置きかえて理解し、信じます。  しかし、私たちもそうですが、パウロ自身、肉体を持ったイエスさまには会ったことはありませんし、直接、声を聴いたこともありません。ペテロやアンデレ、テモテやヤコブなど、その他の弟子たちが見たように、十字架につけられ、苦しみもだえ、血を流し、息を引き取られたイエスさまを、パウロは、自分の目で見ていません。復活して、空っぽになったお墓も、自分の目で見て、確かめたこともありまえん。  ただ、かつて、パウロが、熱心なユダヤ教の信徒として、キリスト教徒を捕らえて、牢にいれることに熱心だった、迫害する側の青年、まだサウルと呼ばれていた頃に、ある時、不思議な聖霊体験をしました。「サウロが旅をして、ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が、彼の周りを照らし、サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞きました。  「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』という声が聞こえた。‥‥サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。」使徒言行録9章1節以下に、このように記されています。(9:1〜8)  サウルのちのパウロは、その後、この不思議な聖霊体験によって、生まれかわり、キリスト教を迫害する者から、キリスト教を宣教する者、誰よりも熱心な伝道者となりました。キリストのために命を捨てる殉教者になりました。  今日の使徒書の少し前の文章、コリントの信徒への手紙一1章26節以下に、パウロはこのように書いています。  「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は、知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は、地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によって、あなたがたは、キリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって、神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」(コリント一1:26〜31)  私たちが祈りをささげる時、ただ、私たちの「願いごと」を述べ、神さまへの要求を並べる立てるだけでなく、何よりもまず、キリストの十字架によって救われていること、贖われていることを思い、心から記念し、感謝することではないでしょうか。 〔2020年2月9日 顕現後第5主日(A年) 於 ・ 大津聖マリア教会〕