まことの羊飼いであり、羊の門である主

2020年05月03日
ヨハネ福音書10章1節〜10節 (1)「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。(2)門から入る者が羊飼いである。(3)門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。(4)自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。(5)しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」(6)イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。 (7)イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。(8)わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。(9)わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。(10)盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」  歴史的に見て、人類の生活類型として、大きく、牧畜(遊牧)民族と、農耕民族に分かれると言われています。私たち日本人は、田んぼでお米を作る農耕民族だとされています。これに対して、イエスさまの時代、イエスさまが活動されたパレスチナ地方の人々は、牧畜民族で、羊を飼って生活する牧畜民族でした。牧畜と言っても、ヨーロッパやオーストラリアの牧場風景のように、緑の芝草が山一面に広がる牧草地帯と違って、パレスチナの地形は、荒涼とした砂漠や荒れ地で、所々に生えたブッシュと言われる草を食べさせて羊を飼っていました。羊飼いたちは、羊の群れを連れて、牧草と水のある所を求め、荒野を移動しなければなりませんでした。  今日の福音書を読む上で、そのような厳しい自然の中で、羊飼いたちは、羊の所有者から預けられた羊たちを守り、養うという重い責任を持って働く人たちであったことを想像しながら、読んでいただきたいと思います。  今、読みました福音書から、3つの点を取り上げて、ご一緒に考えたいと思います。  まず、第1に、イエスさまは言われます。「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」(10:9)という言葉です。第2は、「門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。」(10:2,3)  第3は、「羊はその声を聞き分ける。」(10:3)  イエスさまは、イエスさまと、私たちの関係を、羊飼いと羊たちとの関係にたとえて、語っておられます。  イエスさまは、ここで、「わたしは、良い羊飼いである」と言われ、羊飼いと羊のたとえを用いて、ご自分のことを語っておられます。  まず、第1の、イエスさまは、ご自分のことを、「わたしは羊の門である。」(9節)と自己紹介をし、「門から入る者が羊飼いである。」(2節)、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」(9節)と言われました。  羊飼いは、多くの場合、羊の所有者ではありません。 羊の所有者にとって、羊は、大切な財産ですから、自分の家に隣接して、羊を囲こう庭を設け、塀を作り、門を設け、門番を雇って、何十頭、何百頭という羊を守ります。夜になると門を閉め、羊盗人や獣から羊を守ります。  そして、朝になると、羊飼いたちがやって来て、門番が羊の門を開き、羊飼いたちが、羊を連れ出し、荒れ野に草を求めて誘導し、ブッシュのある所で放牧して、羊に草を食べさせます。時には遠方まで連れて行って、野宿することもありますが、多くの場合、日が沈む前に、羊の所有者の家に帰ってきて、門を通って塀の中へ入れ、羊飼いたちは、自分の家へ帰って行きます。毎日、毎日、このような生活が続いています。  イエスさまは、その当時、誰でも知っている、この地方に長く続いている牧畜生活を指しながら、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」と、言われました。  朝早く、一番先に、この門を通るのは羊飼いたちです。そして、羊飼いたちは、羊たちを連れだします。羊たちも、この門を通ります。  ところが、この門を通らないで、羊の庭に出入りする者がいたとすると、それは、盗人であり強盗です。正式の門を通らず、塀を乗り越えたり、柵を壊したりして、押しかけ、羊を盗んだり、奪ったり、傷つけたりします。  6節では、「イエスは、このたとえを、ファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった」とあります。  ヨハネによる福音書9章1節から12節に、イエスさまが、生まれつき目が見えない、盲人の目を見えるようにされたという奇跡物語が記されています。それが、治療行為などして はならないと思われる「安息日」であったため、ファリサイの人々は、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言って、盲人だった人に何度も問い詰めました(9:16)。そして、この奇跡物語の最後に、イエスさまは言われました。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」と。(9:39)   すると、イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言いました。イエスは言われました。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」と言われました。(ヨハネ9:39〜41)  今日に福音書、ヨハネの10章1節以下は、そのファリサイ派の人々とのやりとりの続きとして語られています。  その前後のつながりから見ますと、「羊の囲いに入るのに、イエスさまという門を通らないで、ほかの所を乗り越えて入って来る者、それは、盗人でり、強盗である」と言われます。 それは、目の前にいるファリサイ派の人々であり、その当時の、ユダヤ教の指導者たち、すなわち、王であり、祭司長や祭司たちであり、律法学者たちのことを言っておられます。  彼らこそ、ユダヤ民族の指導者でありながら、律法を振り回して、人々を苦しめ、自分たちの地位や欲望を満足させることしか考えない人たちであると、イエスさまは、厳しく追及されます。  彼らは、今、イエスさまによってせっかく癒やしていただいた、生まれつき盲人だった人を、安息日に、イエスさまによって直してもらったからと言って会堂から追い出し、破門してしまいました。このようなユダヤ教において権威を握っている者たちに対して、彼らは、羊飼いのように見えるけれども、イエスさまという門を通らない盗人なのだと、イエスさまは言われます。しかし、このたとえをファリサイ派の人々に話されたのですが、やはり、彼らには、その話の意味が、何のことか分かりませんでした。(10:6) 第2は、「門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。」 (10:2,3) 門から入り、門から羊の群れを連れ出すのは、羊飼いたちです。イエス・キリストという方の門を通って、教会に入るのは牧師であり、牧師は、信徒や求道者の群れを養います。羊飼いである牧師は、正しくイエス・キリストを信じ、その権威を認め、イエス・キリストに従おうとする者でなければ、教会のどのような権限も、規則や掟を持っていても、空しいということを教えています。  羊飼いたち自身が、イエスさまという門を、ちゃんと、くぐっていること、まず、「自分自身が救われている」ことを自覚していなければなりません。  そして、その羊飼いに連れられた羊たちが、救いに至る門をくぐります。 「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」(9節)  第3は、「羊はその声を聞き分ける。」(10:3)  ある人の話を聞いたことがあります。  「スコットランドから来た旅行者が、羊の群れと一緒に歩いている羊飼いに頼んで、ぜひ、あなたの服装をわたしに着させてくれないかと言って、自分の洋服と羊飼いの服を交換しました。その旅行者は、身ぐるみ一切を、その羊飼いのものと替えて、羊の群れの先頭に立ち、得意になって導こうとしました。ところが、羊はどうしても動かない。旅行者の背広に着替えた羊飼いが呼ぶと、羊たちはそっちの方へついて行ってしまいました。」  羊たちは、羊飼いの服装や姿にではなく、声に従ったと言います。  「門番は、羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは、自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」(3-5節)  羊飼いは、つねに、羊の群れの先頭を歩き、時々奇妙な声を出して、羊たちに合図を送ります。羊たちは、その声を聞いて、安心し、ある時は危険を感じます。羊たちは、羊飼いの声を聞いて、歩き出したり、立ち止まったりします。  羊飼いである牧師は、信徒である羊の前に立ち、羊を導き、羊を守ります。羊飼いである牧師の声は、神の声であり、イエスさまから聞こえる声でなければなりません。  今日の福音書は、今日の教会、羊飼いである牧師と、羊の群れである信徒のあり方を示唆するメッセージです。  イエスさまによって語られた時は、明らかに当時の、宗教的指導者、政治的指導者に向けて語られた言葉でした。 6節の言葉、「イエスは、このたとえを、ファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった」とあります。  それは、ファリサイ派の人々が、「分かろうとしなかった」、「分かりたくなかった」ということではないでしょうか。