幼子のような者に
2020年07月05日
聖霊降臨後第5主日(A年 特定9)
マタイによる福音書11章25節〜30節
(25)そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。(26)そうです、父よ、これは御心に適うことでした。(27)すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。(28)疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(29)わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(30)わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
今日の福音書、マタイによる福音書11章28節に、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。」
街を歩いていますと、いろいろな教派の教会で、門の前の掲示板や看板に、この聖句が掲げられているのを見かけます。いろいろな悩みや生活の苦しみを持った人が、教会の前を通りかかり、この言葉を見て、ふっと足を止め、教会の扉を叩こうとする人を招くために、掲示されているのだろうと思います。
今日の説教は、新型コロナ・ウイルスの感染防止のために、教会での礼拝が休止となり、「語られることのない説教」となったため、少し、私ごとの話題から、始めさせて頂きたいと思います。
私の父と母は、再婚者同士の結婚でした。父は、前の奥さんとは、死別し、幼い女の子がいました。日出子という名前だったそうです。母の方は、前の夫は、医者だったそうですが、その人とは、やはり女の子で澄子がいましたが、いろいろな事情で、離婚していました。父と母は、両方とも同じ歳の子どもを連れていたのですが、どなたかの紹介で見合い結婚をしたそうです。母のほうは、娘、澄子を、年老いた両親の方に預け、父と、再婚しました。再婚して間もなく、父の連れ子の日出子が、当時、流行した赤痢に罹り、母は、一生懸命、看病したのですが、亡くなってしまいました。
そのことが原因で、父と母の夫婦の関係が険悪になり、毎日、夫婦げんかが絶えなかったそうです。
ある日、父と母が、誰かに、自分たちの離婚について相談に行くために歩いている途中、当時、大阪府堺市に住んでいたのですが、ある教会の前を通りかかりました。その門の前の掲示板に、今、読みました聖句が、書かれてあったそうです。
母は、文語文だった、その時の言葉をよく覚えていました。
「すべて労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝らを休ません」
これを見て、父と母は、立ち止まり、教会の門を叩いたそうです。その教会の牧師さんに招き入れられ、初対面のその牧師さんに、自分たちの、今、置かれている状況をすべて話し、離婚しようと思っている事情を聴いてもらったそうです。いろいろ話を聞いてもらったあと、その牧師さんから、「別れるべきではない」と、諭され、離婚しないことを、約束させられたそうです。
父と母は、もう一度、結婚生活をやり直す気持ちになって帰ったのだと、ずいぶん後になって、私がおとなになってから、母から、その話を聞かされました。その時、その教会の名前や牧師さんの名前も聞いたのですが、今は、それも忘れてしまって出てきません。
私は、今日のこの福音書の言葉、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」を読むたびに、両親が目にしたであろう「教会の掲示板」のことを思い出します。もし、父と母が、この聖句を目にして、教会の扉を叩かなかったら、私も、私の妹や弟たちも生まれていませんし、今日の私たちは、存在しなかったのではないか、不思議な運命を感じます。
皆さんも、どこかで、この聖句をご覧になったことがあるのではないでしょうか。
この聖書の言葉について、学んでみたいと思います。
マタイが伝える、今日の福音書のこの個所は、イエスさまは、どのような場面で語られたのでしょうか。その前後の個所を読んでみますと、イエスさまが、宣教活動を初められて間もなく、12人の弟子たちを連れて、ガリラヤ地方の、ガリラヤ湖という湖の北の方にあるカファルナウムや、コラジンや、ベトサイダという町々に宣教活動をしておられた時に、語られた言葉です。
この地方で、イエスさまは、いろいろ教えたり奇跡を行ったり、なさったのですが、人々は、なかなかイエスさまを受け入れようとはしませんでした。この地域の人々は、イエスさまの教えに耳を傾けようとさえしませんでした。
マタイによる福音書11章20節以下には、このように記されています。「それから、イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が、悔い改めなかったので、叱り始められた。『コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。‥‥カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。』」と言って、これらの悔い改めない町の人々を叱っておられます。
今日の福音書の個所は、そのあとに続く個所で、イエスさまは、思い直すかのように、父である神さまに語りかけ、祈っておられます。
イエスさまは、父である神さまとの対話の中で、神さまに、受け入れられる人々の条件を、改めて確認しておられます。
その条件とは、何でしょうか。
第一の条件は、「幼な子のような者になる」(11:25)ということです。反対に、自分には、知恵がある、賢いのだと思っている人々には、神さまは、最もだいじな真理を隠してしまわれるということです。「幼な子のような者」とは、ただ、可愛らしい、可愛いというだけではありません。赤ん坊は、わがままで、身勝手で、自分の欲望を満たすために、ところかまわず、泣き出したらとまりません。腹が立つこともありますけれども、本来的には、お父さんやお母さんに、しがみついていなければ、生きていけない存在です。お母さんの乳房にしがみついている赤ちゃんの姿を思い出して下さい。このお母さんは、良い人か、悪い人か、どんな性格を持ったお母さんか、などと考えながら、お乳を飲んでいる赤ちゃんはいません。
一方、わたしには、学歴がある、いろいろな経験もしている、何でも知っている、いろいろな宗教についても研究して、知っている、科学的な知識も持っている、私は賢いのだと思っている人には、神さまは、門を閉じてしまって、「あなたがたは、わたしが求める条件には適していません」と言われます。
第二の条件は、イエスさまは言われます。
「すべてのことは、父から、わたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」(27節)
それは、神さまとイエスさまの関係を、きちんと受け入れ、しっかり信じていることです。神さまとイエスさまの関係は、父と子の関係です。ほんとうに父を知っている、父のみ心を知っているのは、子です。そして、ほんとうに子を知っているのは、父です。それは、頭の中で分かっている関係ではなく、血のつながりというか、体の一部ともいうべき知り方です。愛する子に痛い所があれば、父もその痛みを感じる関係です。その関係を知ってこそ、イエスさまのなさること、教えられること、さらに、これからなさろうとすることが、正しく理解できるのです。その関係を正しく理解し、受け入れた上で、あなたは、信じられますかと問われているのが、第二の条件です。
そして、第三番目の条件は、第一、第二の条件を経た上で、さらに、自分で立ち上がり、自分の足で、イエスさまに近づこうとする行動を起こしなさいと言われます。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは、柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(28節〜30節)
イエスさまが語られたその当時は、「疲れた者、重荷を負う者」とは、私たちが頭に浮かぶ、生活上の問題や人間関係の問題で苦しんでいる。職場の問題、家庭の事情などで苦しみ、へとへとになっている、そのような状態の人だけを言っているのではありませんでした。
それよりも、もっと大きな問題は、イエスさまの時代の宗教生活、ユダヤ教に問題がありました。当時のイスラエルでは、律法を守ることが厳しく教えられ、旧約聖書にある掟だけでなく、それ以外に無数にある、さまざまな言い習わしや、律法の解釈、毎日の生活の習慣にいたるまで、これを守ることが厳格に義務づけられ、そのために、祭司たちや律法学者たち、ファリサイ派の人たちが、住民に向かって、これを強要し、権力を振るっていました。
それを守ることが、熱心に信仰生活を送ることだと教えられていました。一般のユダヤ人には、何よりも律法主義、掟を厳格に守らされることが「重荷」でした。日々、そのことのために、くたくたに疲れていました。そのような人々に向かって、イエスさまは、言われました。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは、柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と。
「くびき」とは、牛や馬などが肩と首に掛けられて、鋤につないで、土地を耕したり、馬車や牛車をかじ棒に繋ぐ、木製の棒状の器具をいいます。
牛や馬のように、律法という重荷を肩に枷をつけて働かされている人たちに向かって、イエスさまは、わたしの所へ来て、律法主義の重荷を降ろしなさい。わたしが、あなたがたを休ませてあげましょう。そうすればあなたがたは安らぎを得られることになるでしょうと言われました。
さらに、わたしが、あなたがたを解放しますから、あなたがたは、新しいわたしのくびきを負いなさい。わたしの「くびき」は負いやすく、軽いのだからと、言われました。
私たちは、今、現在という時代に住んでいます。私たちも、それぞれ、生きていく上で、人には言えない、重い重い荷物を背中に背負って歩いています。ひょっとすると、教会においても、奉仕や人間関係や、献金のことなどで、重荷になっていることがあるかも知れません。
イエスさまは、今、改めて、私たちの前に立ち、「わたしの所へ来て、その荷物を降ろしなさい。そして、もっと軽い、もっと負いやすい、ほんとうに負うべきわたしの荷物を負いなさい」と言われます。
こんな方だと、自分で勝手に想い描いているイエス像。キリスト教とは、教会とは、こんなものだと、自分で思い込んでいる教会の姿。その思い込みのために、自分で重荷を背負い込み、反発したり、不信仰になったりしていることはないでしょうか。日々の、自分自身の姿を振り返り、正しい信仰に立ち、イエスが招いて下さる方向に、自分で、一歩、前へ足を出して、イエスさまが受け入れてくださる条件に、近づけるように歩き続けなければなりません。
イエスさまは、「幼子のような者に、(これらのことを)お示しになりました」と言われました。(11:25)
『幼子』のような者になるとは、どうすればいいのでしょうか。そのために、皆さんに、一つの提案をします。
それは、私が編み出した方法ではありません。井上洋治というカトリック教会の神父さんが、提唱しておられる言葉の受け売りです。
この井上神父さんは、1927年(昭和2年)に生まれ、東京大学文学部哲学科を卒業し、1950年(昭和25年)にフランスに渡り、カルメル修道会というカトリックの修道院に入会し、リヨン大学、リール大学で学び、1957年(昭和32年)に帰国されました。
1960年(昭和35年)に、カトリック教会の司祭になられ、いろいろな分野で活動をされました。たくさんの本も出しておられます。2014年3月に、87歳で亡くなられました。
この神父さんが、72歳の時、1999年(平成11年)の5月のある日、けやき並木を散歩中、「南無アッバ」という言葉が突然、口を突いて出たといわれます。2001年(平成13年)2月、NHKラジオの「宗教の時間」で「南無アッバの心で聖書の深みを味わう」と題して講演されました。それ以後、「南無アッバの心」という言葉が有名になりました。
さて、この「南無アッバ」とは、どういう意味でしょうか。「南無」とは、仏教の「南無阿弥陀仏」(浄土宗、浄土真宗)、「南無妙法蓮華経」(日蓮宗)、「南無大師遍照金剛」(真言宗)などと、唱える称名の最初の2文字の「南無」です。
もとの「ナム」は、サンスクリット語の「ナモ」から来ていて敬意、尊敬、崇敬を表す意味から来ています。中国経由「ナーモー」から。日本に入ってきて、仏教の中で、南無という漢字で音写され、とくに浄土宗では、南無は、「帰依する」、「おすがりする」、「おまかせします」という、信仰対象への帰依、信仰告白の意味で用いられるようになりました。
一方、「アッバ」とは、イエスさまの時代に、ユダヤ人社会で広く使われていた日常語のアラム語で、赤ちゃんや、幼児が使う「お父ちゃん」という意味です。新約聖書では、3ヶ所で出てくるのですが、マルコによる福音書14章36節では、イエスさまは、ゲッセマネの園で祈られた時、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」と言われました。
また、パウロは、ローマの信徒への手紙8章に言っています。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として、再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ロマ8:15、ガラテヤ4:6)
イエスさまが、「お父ちゃん」と、幼児語で、祈られたのです。南無は、先に言いましたように、「帰依する」「おすがりする」(embrace)という意味ですから、「南無アバ」は、神さまに向かって、「お父ちゃん、おすがりします」と、幼児のように抱きついて、祈る心だというのです。
イエスさまは、「これらのことを智恵ある者や賢い者に隠して、幼子のような者にお示しになりました」(11:25)と言われたのですから、そのことを、具体的に、生活の中に生かすために、井上洋治神父さんが提唱されたこの言葉を使って、思いっきり「南無アッバ!」、「お父ちゃんである神さま、すべてを委ねます。全身全霊で、おすがりします」と叫んでみてはどうでしょうか。仏教徒が、お題目を唱えるように、朝晩、折りに付け、これを唱えてみて下さい。「南無アッバ!」